ことしも白いキキョウが咲きました。九年前、この世を去った妻の遺した花です。秋の七草ですが、毎年六月の半ば過ぎには咲き始めます。 けさ、七時半ごろ、写真に収めました。白いキキョウの花言葉は、清楚、従順。つまり、純粋に生
九年目の白いキキョウ
芦屋芸術は詩・小説・文学・音楽・絵画・・・etc 芸術誌の発行とWEBでの表現を展開する芸術コミュニティサイトです。
ことしも白いキキョウが咲きました。九年前、この世を去った妻の遺した花です。秋の七草ですが、毎年六月の半ば過ぎには咲き始めます。 けさ、七時半ごろ、写真に収めました。白いキキョウの花言葉は、清楚、従順。つまり、純粋に生
そうだ 小さい花でいいと思う 一度だけ あなたの こころのなかで咲いた 紫の あの見えない花でいいと思う
私はこの本を書いた著者の作品を既に二冊読んで、ブログにもその感想文を書いている。書名は、「私の青山探訪」と「石を訪ねて三千里」。 このたび読んだ本は「石を訪ねて三千里」と未読ではあるが「石語り 人語り」、この二冊と共
疲れていた。 しばらく休憩しようと思った。 しばらく、ちょっとだけ、そう思ってから、もう九年の歳月が流れていた。 しかし、まだ疲れは取れなかった。 九年間、何もしないで、ベッドに横たわったまま、目をつむっていたり、じっと
芦屋芸術十七号が出来ました! 内容は以下の通りです。目次をコピペしました。 contents <招待作品> 幼い子供たちへの手紙 榎本三知子 5 ベッドに横たわると
少年時。私は薄暗くてまるで蜘蛛の巣のように迷路になった酒蔵の谷間をあてどなく彷徨したものである。ある時は曲がりくねった道を背後から何ものかに追いかけられている心地がして、どきどきしながら歩き続けていた。直進しているかと
突然、誰かが扉を叩く。≪遂にやって来たな!≫ 純白の寝台からずり落ちてぼくは床に尻餅をついてしまった。と同時に、パッとズボンが裂けてしまったのであわててコートを引っ掛け、やけっぱちに扉を蹴りあげる。がむしゃらに飛び出した
月の光の降りそそぐあぱあとの屋根の下 明かるい窓の中から 子供の影絵がうたをうたってきた さっきまで台所のほの白んだ水の底で こつこつまな板を叩きつづけていた手をふと休め どうやらおかあさんは六月の夜にふさわしく しんと
広い草原のまんなかに大きなドングリがなる木が一本立っていました。まだ二十歳になるかならないか、そんなふたりが連れだって木をよじ登っていきました。風が吹く度、背中の辺りで木の葉がザワザワ騒ぎたてました。風にユサユサ震えて
わたしのなかに ろ過器がある それは イヤなことをみんなろ過してしまう いい思い出だけを残していく あなたへの愛が ろ過器だった
蟻が死んでいくように 人間も死んでいく 蟻が生きているように 人間も生きている
東川絹子さんから詩誌が送られてきた。 「オリオン」第三十九号 編集人 松川/東川 2023年5月20日発行 この詩誌は、二人の作家の作品で構成されている。 まず、松川紀代の詩作品は八篇
この詩誌を一通り読んでみた。 「月刊ココア共和国」2023年4月号 発行人/秋亜綺羅 編集人/佐々木貴子 あきは詩書工房 2023年4月1日発行 前半は、この詩誌が運営している三つの賞、
私はこの作者の著書「私の青山探訪」を読み、今年の二月二十二日、芦屋芸術のブログにその読書感想文を書いた。 このたび、同じ著者からいただいたこの本を読んだ。 「石を訪ねて三千里」 落山泰彦著 澪標 20
永井ますみさんから詩誌が送られてきた。 「現代詩神戸」281号 編集 永井ますみ/今猿人/神仙寺妙 2023年6月10日発行 一通り読んだ。さまざまな人が自分だけの独自な作品を発表してい
今まで 長い歳月をかけて 積み重ね 織りあげられたさまざまな言葉が 歩くたびに すべて はがれ落ちてゆく 誰もいない 言葉が絶えた真昼 六月 小雨の中 海辺の音を聴き 公園の樹林を通り抜け また あの花壇へ出た &nbs
こんな詩誌のページを開いた。 「月刊ココア共和国」2022年7月号 発行人/秋亜綺羅 編集人/佐々木貴子 発行所/あきは詩書工房 2022年7月1日発行 一通り最後まで読んでみた。十代か
台風二号の影響もあるのだろう、きのうは激しい雨に見舞われた。けさは一転、快晴。 チュンチュンたち、私はスズメをこう呼んでいるのだが、朝早くからお待ちかね。カアカア、私はカラスをこう呼んでいるのだが、彼等のために庭に作
強い雨の中 お昼ごろ 散歩に出る 芦屋浜の沖はけむり 空の灰に混ざり 六甲山は 東から西の果てまで垂れ下がった雨雲に覆われて 公園の木々以外 何も見えない きょうも 散歩の終わりは あの花壇に立っていた 傘
後藤光治さんから詩誌が送られてきた。 後藤光治個人詩誌「アビラ」14号 編集発行/後藤光治 2023年6月1日発行 今号も全体の構成は前号から継続され、それを発展・深化させている。 ま
もうこの世から消えてしまいたい なぜか そう思う日もあった この花を見ながら *きょうもまた、お昼の散歩の終わりは、総合公園の事務所に近い花壇を歩いていた。六月の初め。十一時ごろ
榎本三知子さんから詩誌が送られてきた。一通り読んでみた。 「鳥」第84号 編集者 佐倉義信/なす・こういち/元原孝司 2023年5月10日発行 この詩誌は、一九八三年(昭和五十八年)に創
きょうも お昼の散歩の終わりは なぜか きのうと同じ花壇へ もう一度だけでいいから いっしょに歩きたい そう思った *写真は、きのうと同じ公園事務所近くの花壇。
九年前まで とんちゃん ちょっと 花壇 寄っていい 花が見たくなったの その花壇に きょうはひとりでやって来た *きょうのお昼ごろ、曇り空の下、総合公園入り口付近にある花壇をスマ
真昼にもたそがれ時のように躓き 死人のように暗闇に座る イザヤ書五十九章十 前置 その雰囲気 &nbs
昨夜は、午後六時半からベッドに横たわった。五時過ぎ辺りからフラフラしていたが、少し散歩に出て、海を見つめ、横たわるのを先へ引き延ばしていた。 きょう、朝四時前に目覚めた。家事と二十三歳の時に書いた原稿をワープロに打ち
先週の土曜日の夕刻から火曜日の朝まで寝込んでしまい、それ以降、断続的に寝たり起きたりしている。ちょうど一週間目のきのうの土曜日は午後六時ごろ寝て、今朝四時過ぎに目覚めた。家事から始まって二十三歳の時に書いた原稿を五十年
「芦屋芸術十七号」の編集・校正を終わりました。今回は四人の招待客に参加してもらうのですが、さまざまなことを考える機会になりました。詳細は書きませんが。ただ、先週の土曜日の夕刻から寝込んでしまい、日曜日・月曜日はまったく
これは一見するとミルクだが、ミルクだけじゃない。何か混ざっているのか、いったい何を混ぜたのか、記憶にない。ミルクを片手鍋に注いだはずだ。そんな遠い昔ではない。ほんの数分、いや、ついさっきの話ではないだろうか。 ここま
悲しみを消すことが出来ないように 喜びも消すことが出来ないのが わかった *写真は、2018年10月9日、我が家のダイニングテーブルの上で遊ぶアニー。十八歳。おおよそ二年後、彼女
見えないコップに 酒を注ぎ入れている テーブルは南に向かってやや傾いているので 酒は流れ 南の縁から零れ落ちてゆく
藤井章子さんから詩誌が送られてきた。 「別冊 詩的現代」 発行所/詩的現代編集部 2023年5月15日発行 一通り読ませていただいた。本誌は評論系の文章がいい、そう思った。とりわけ嵩文彦
永井ますみさんから詩誌が送られてきた。 「リヴィエール188号」 発行所/正岡洋夫 2023年5月15日発行 十四人の作家が十五篇の詩を発表している。エッセイは六篇。まは、表紙裏には川本
真昼にもたそがれ時のように躓き 死人のように暗闇に座る イ
ことしも、亡妻が遺したミニバラが咲き始めました。九年目の春。 お昼ごろ、ミニバラを一輪切りました。 我が家のダイニングの東窓の飾り棚にはまだ亡妻の骨壺と、その左右に愛猫アニーと愛犬ジャックの骨壺が立っています。亡妻
きょう、お天気がよかったので、お昼ごろ、亀の池の水替えをしました。暑いくらいで、もう初夏がやって来たのではないか、この地方に住んでいる人ならきっとそう思ったに違いありません。 三十四年目の春を迎えた亀さん、とても元気
不思議な縁で私はこの詩集を手にした。詩集に添えられた著者のレターでは、去年の三月まで千葉詩人クラブの理事をしていたこと、そしてこの不思議な縁の結び目は、私が去年の十二月十五日に芦屋芸術のブログに書いた「千葉県詩集第55
新型コロナが日本に上陸して三年余りが過ぎた。この間の著者なりのコロナに対する思いをつづったのが以下の詩集だった。 永井ますみ詩集「夜があける」 永井ますみ著 山の街企画発行 2023年5月15日 &nb
弁当が三つ。二つはダイニングテーブルの上。もう一つは流し台の右端の上。不思議なことに、これらの弁当には意味が、それもやや政治的な意味があった。 それぞれの弁当には、丁寧な字で書かれたレターが添えられている。私は、まず
深夜、午前零時前後から、半覚半睡状態なのか、さまざまな人々の顔が浮かんできた。小さい時から現在までに出会った人々の顔。 顔だけではなく名前が頭の中に出てくる場合もあり、顔だけで名前は不明の人もおおぜいいた。家族や親戚
きょうの未明、財布を紛失する夢を見た。それが置いてあったのは薄暗い場所だった。壁を一辺三十センチくらいの立方体にくり抜いた棚の上に保管されていた。何処かをウロウロしていたが、何処をうろついていたのだろう、再びこの場所へ
Ⅰ 光の小川 月光は呼び出される 森はふたたび明るくなる ひとすじ 照らされる 小道 あたかも光の小川のように Ⅱ暗くなる 雲が切れ 月の下 山と
不思議な縁でお付き合いのあるフランス文学の研究者で翻訳家のN氏から、先日出版した「恋愛詩篇 えっちゃんの夏」の読後の感想のお便りをいただいた。その中で、何故「この人」か、この問いが提出されていた。噛み砕いていえば、何故
何が何やらさっぱりわからなくなってしまった。 確かに見覚えがない、きっぱりそう断言するわけにはいかなかった。おそらく大阪の梅田近辺だろうが、かなり複雑な道路だった。入り組んでいた。連れの男と二人。あるいは、もう一人い
ただいま芦屋芸術十七号を編集校正中! 今号は私以外に四人の作家が登場します。ご期待ください。以下に名前をあげておきます。(五十音順) 榎本三知子 スミレ(ペンネーム) 野間明子 山中従子 まだ、原稿全
私は今日も 花へ よけいな愛を ささやいてしまったようだ *昭和43年(1968年)4月12日作。私が18歳の時の作品。
石を食い過ぎて 階段から転げ落ちた 腹が破れた 出て来た *十八歳のノートから
作業場で 石を持つと 骨が崩れ落ちた 黒い顔をした蝶が 肩に止まっていた *十八歳のノートから
真昼にもたそがれ時のように躓き 死人のように暗闇に座る云々。 (
従来、私は組織が嫌いで、ビジネスでも趣味でも基本的には自力でやるのが好きだった。 事実、私は生活の糧を自営業者としてまっとうしてきた。趣味も、ギター、カードマジック、詩、一人で黙って時間を重ねた。つまり、孤独が好きだ