芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

夢からさめて

 きょうの未明、財布を紛失する夢を見た。それが置いてあったのは薄暗い場所だった。壁を一辺三十センチくらいの立方体にくり抜いた棚の上に保管されていた。何処かをウロウロしていたが、何処をうろついていたのだろう、再びこの場所へ帰って来ると、私の財布は消えていた。

 半睡半覚醒の状態でベッドに横たわったまま、これは夢だから実際には紛失していない、財布はまだきのう入れたセカンドバッグの中だ、私はそう認識した。当たり前の話だが、夢と現実とは違うのだった。

 ベッドに寝ころんだまま更に私は瞑想した。……夢の中で自分の財布を失う、これにはいったいどんな意味があるのだろうか。

 おそらくこれは何かの予言だろう。近々最も大切なものを失う可能性に夢は言及しているに違いない。それでは、私にとって最も大切なもの、って何だ?

 おそらくそれは亡妻だった。私にとって、現在、最も大切なものは、九年近く前に喪った妻の記憶・そのまぼろしだった。私の孤独を癒してくれるただひとつのもの。それが近々失われるぞ、そんな予言なのかもしれない。

 それならば、最も大切な記憶・そのまぼろしが消滅するとはどういうことだろうか。この大切な記憶・そのまぼろしの所有者、私という存在者が近々消滅する、そんな予言だろうか。ならば、私という固有な存在者が消滅するとは、死を意味しているのか。

 もう一歩問えば、私にとって死とはいったい何だろうか。私と呼ばれている肉体を失うことだろうか。あるいは、大切な記憶・そのまぼろしを失うことか。私にとって大切な記憶・そのまぼろしとは、言うまでもなく、愛の記憶・そのまぼろしだった。

 きょうの未明の夢を読み解けば、私には近々、肉体か、あるいは、愛の記憶・そのまぼろしの消滅がやって来る、その警告なのかもしれない。なおもう一歩問えば、私にとって最も大切なものとは、私と呼ばれたこの肉体か、それとも彼女への愛だろうか。少なくとも、この夢は私という存在者の生とその死との葛藤劇だったと言っていい。

 

*今日のお昼過ぎ、久しぶりに親水公園の樹木とその上の青空と雲を撮った。