芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

私は無宗教

 深夜、午前零時前後から、半覚半睡状態なのか、さまざまな人々の顔が浮かんできた。小さい時から現在までに出会った人々の顔。

 顔だけではなく名前が頭の中に出てくる場合もあり、顔だけで名前は不明の人もおおぜいいた。家族や親戚だけではなく、ビジネスで付き合った人、今も付き合っている人、趣味のギターやマジックや詩で出会った人たち、ご近所だった人、この家に住むようになってからのご近所付き合いの人、スポーツジム、ゴルフ、旅行など、様々なケースで知人になったり友達になったりした人、過去に友人だったけれど現在は付き合っていない人、もちろん幼稚園から始まった学校で知り合った人など、湯水がわくように次から次へと浮かんでは消えてゆく。まだ生きている人、もう物故の人、音信もなく、付き合いも絶えてとりとめもなく闇の中へ消えてゆく人々の顔。孤独な自営業を生業にしてきた私でさえこんなにもたくさんの顔が出てくるのだから、組織の中で人生を渡った人なら、なおさらであろう。

 私はさまざまな顔と彼等のさまざまな行く末に思いを馳せながら、私同様、この顔の数だけ一回限りの独自な生活がかつて存在し、まだ存在を続けていたり、あるいは既にこの世から消滅しているのだ、瞼を閉じたまま、そんな他愛ない思いに耽っていた。顔がこの世から消滅すれば、具体的に生きた生活も消滅して、その顔はもう無だった。その具体的に生きた生活はもうこの世のどこにも存在しないのだった。顔と共に去りぬ。

 そうだ。絶対などどこにも存在しない。騙されてはならない。あなたの生活がこの世から消えれば、あなたは無だ。業績を残す人もいると反論しても、あだ花だ。千年後にはほとんど無。一万年後には完全に無。絶対の顔などどこにも存在しない。顔は必ず死滅する。ただひたすら現在の顔とその生活を楽しめ。

 

*写真は、お昼ごろ、芦屋総合公園の中央付近を南北に抜ける遊歩道を私が撮りました。