芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「黄昏氏の登場」前置 その雰囲気

            真昼にもたそがれ時のように躓き

            死人のように暗闇に座る

                  イザヤ書五十九章十 

 

 

  前置 その雰囲気

 

 AM.五時三分忽然と中庭へ驟雨が覆い、夏はわれらを哀しませた。花。T・S・E。花になる生殖。五月祭に少年たちは泉へ突き落とされて水の精と呼ばれました。豊饒多産への祈り。月下に踊るネクタイピンの群れ。例えば星。星星の缶詰。主よ、梅雨はまことに偉大でした。今憧れを失した人々へはそのまま死を与えてください。かの美麗なる手弱女らを永遠に忘れないでください。そう、その通り。誠に恋愛を知りしは古代人のみ。まったくわれらは愛から学び始めねばならぬ。ライナー・マリア・T・S・E大理石の天使像が不安げに早すぎた夏の、未明のまなこを見つめていた。何んという未明を! 拍手。幕間寸劇。突然のしわぶき。それから墜落する、ディダラスよ、翼は重い、われらみな墜落する。雨は止みそうになかった。雨は激しい。僕は広場を曲がっていった、パリへ、夏はペテルブルグからロンドン橋を、微笑、そして東京へ! 僕は幾度も暗誦する。そうだ、僕は雨からジュピターを星の泪を抽象する。Trance・Symphony・Eternity(transposition!)

 …AM.四時三十八分。広場の真只中。僕は椅子型の岩石から立ち上がった。ボーイソプラノの綺麗なるジョイスよ。見たまえ。この椅子たち、僕が腰掛ける瞬間をあんなにも待ち望んでいた椅子。でも兄さん、僕のANUSは水道管より冷たい余りに氷塊よりも軽い。誰もいないプラタナスだけが私語している広場を僕は通り過ぎてゆく、ひたすらに広場の片隅へ向かって。成程。どうやら全存在が虹色の凹所に過ぎなくなってきたな。二十三年、だが空瓶を覗く中年男のように切なくなってゆくのだ。ああ、たまらない。もう我慢ならない。ノック。コツ。ノック。コツコツ。やがてウェルギリウスがやって来るだろう。ノック。カツカツ。黄金の瀑布への哀れな夢を運んで極めてランボーに扉を叩いてみる。ノック。カツ。ノック。コツ。ノック。カツコツ。ノックノックノック。扉は閉じられた。マラルメは空瓶を城だ星だというハンカチフ。純白なる少年のようなハンカチフ。それからまったく闇。純白なるハンカチフで包んだに過ぎない蜜蜂の巣の暗さ。AM.四時四十二分。光は僕なしで存在しない、不意にその事実が今わかった。それは余りに唐突な出来事だった。拍手が沸き起こった。だが既に登場人物はいない。ただ観客席の後方からウインナーソーセージに似た酔いどれがふらりふらり立ち上がり大声で喚きたてている。そうか、これが人生というものだったのか、さあもう一度! 酔いどれはかく語った。水。水中。潜水夫。溺死。異邦人もユダヤ人も時には思い出してくれ。僕は藻搔いたのだ、まるで子供みたいに真剣に。勿論僕はいつまでも蹲ったままだった。緑陰のセバスチャン。汝らの中、罪なき者まず石を投げうて! そうでもあろう、まったく。Transportation・Secret・Eucalyptus(for LIFE!)矢張りLIFEか。馬鹿め。LIFEなんぞ青虫でさえやっている。便器の上のしゃがみ天使。世界―便器になる花花。世界―泪になる星星。

 

  もう僕はお墓へ遊びに行かない!

 

何とかしてくれ! 所有していない、僕は紙切れさえ所有していない状態に気付いたのだ。それに僕は極端なる便秘だ。生まれてこの方、僕はいい知れぬ排便の快感を抱いたことすらない。あれかこれか。ドンジョバンニ。モーツァルトかボードレールか。確かに今夜は下痢ではあるまい。で、ひょっとして下痢になったとしたら! ハンカチフでも使用することに心は固く決められていた。それともプラタナスの葉にしようか

 AM.四時五十九分。神よただただ救いと糞尿を待ち望む。仮令ドライミルクの如き物体でもよい。赦しと一滴の光とをすべての囚われ人へ満たしてください。私は光を望まないから、決して光を見ようと望まないから、あらゆる光へ向かう人々を暫くは見送らせてください。どうぞ僕をしゃがみ天使と呼んでください! 福音を垂れたまえ。糞尿も垂れたまえ。主よ、僕を完璧へ向かわせてください。僕を完全にしてください! まるで僕は公衆便所の讃美歌だ落書だ。不幸にも僕は天使に過ぎなかった。堕落なんて出来やしない。そうとも! 神へ向かって糞尿の星星さえ落とせないのだから。僕は鮮血色彩の「世界外孤独」の花花を咲かせていた。お尻は純白な薔薇の花弁を銜えていた。月光に輝きながら白薔薇が散ってゆく、そうして独り死のう。とすると夢でも見ていたのか

 AM.五時二分。夏の未明。未明は黄昏にどこか似ているので好きだ。例えば未明は黄昏のように永遠に続いてゆきそうな気がする。「永遠の未明」或は「永遠の黄昏」。こんな陳腐の表現を僕は愛している。だが朝が在り夜が在る。既に僕は排便を諦めていたAM.五時二分三十二秒。「時」は僕なしで存在している。古代人なら僕のような存在者を夢にも描かなかったに相違あるまい。僕はほんとうに排便を諦めたのだろうか? 今でも何故僕はしゃがみ込んでいるのだAM.五時二分四十九秒。確かに夜はある。が、「その小さな苦しみで夜を呼び起こしてはならない」、不意に僕はこのような詩句を発見した。いや、この詩句はミルトンではなかったかAM.五時二分五十三秒。それから「黄昏のオブジェ」と呟いてみる。オブジェー麗らかな苦悩。オブジェー惨憺たる歓喜。五秒四秒三秒二秒一秒零! ウパニシャッド! 僕は鼻糞を穿り返し便器の上へ「たそがれ」と書くでしょう。喜びの極まり耐えがたい日でさえも僕は死なないでしょう。兄さん! 僕は麗らかに死ぬでしょう!

 

 

*この作品は二十三歳の時に書いた四百字詰め原稿用紙五十三枚のうち、最初の七枚だけで独立に発表した。後は、四月二十九日付にホームページに発表した「黄昏前夜祭」と重なる部分が多く、割愛した。最後の数頁に新しい展開を試みているが、今回の発表は見合わせた。写真は、この原稿の第一枚目。