芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ローザ・ルクセンブルクの「資本蓄積論」第三篇

 芦屋芸術の第七回「ローザ・ルクセンブルク読書会」は、マルクスが「資本論」第二巻で論及した社会的総資本の再生産表式に対して、特にその拡大再生産表式に対して、ローザ・ルクセンブルクが真正面から批判した論文を取り扱う。 &n

ローザ・ルクセンブルグの「資本蓄積論」第二篇

 前回の読書会で勉強したとおり、人間の労働はいつの時代にあっても、自分の一日の消費手段以上の生産物を生産する。これが人間の基本的な特色で、この土台の上で、人間の文化は形成されている。  さて、ボクラが現在住んでいる資本制

ローザ・ルクセンブルグの「資本蓄積論」第一篇

 「人間」という言葉をボクは時たま使うが、おそらくボクだけじゃなく、少なくとも年に一回か二回くらいは誰だって「ニンゲン」とつぶやいたりしてるんじゃないか、ボクはそう思っている。  ところで、いざ、じゃあ、君、「人間」って

ローザ・ルクセンブルク選集第四巻(1916~1919)

 虐殺の日が近づいた。信じられない話だが、改良か革命かの政治方針で激しく論争したとはいえ、かつてドイツ社会民主党の同志、エーベルト=シャイデマン一派の両手が、全身が、ローザの血で紅く染められる日が来た。    

ローザ・ルクセンブルク選集第三巻(1911~1916)

 芦屋芸術の「ローザ・ルクセンブルク読書会」も第三回を迎えた。本日の教材は以下の通りである。    ローザ・ルクセンブルク選集第三巻 現代思潮社 1969年12月25日新装第1刷  (訳者 高橋宏平、野村修、田

ローザ・ルクセンブルク選集第二巻(1905~1911)

 一九六九年といえば、もうトテモ古いお話になってしまうが、その頃、マッセンストライキという革命戦略を煽動する日本の新左翼があった。この本を読んでいて、ふとそんな二十歳前後の思い出が蘇ってきた。「芦屋芸術」がローザ・ルクセ

ローザ・ルクセンブルク選集第一巻(1893~1904)

 来年の一月十五日でローザ・ルクセンブルクが虐殺されて百年を迎える。一足早いが、「芦屋芸術」としては、ローザ・ルクセンブルクの没後百年の行事として、彼女の遺した文章の「読書会」の開催を企画している。といっても、この「読書

ルカーチの「理性の破壊」

 この本を買ったのは十九歳の時で、もうかれこれ五十年近く昔のお話。おそらく最後まで読もうとはしたのだろうが、途中で投げ出してしまった。ボクの悪いクセで、八割九割がた読み終わっていても、おもしろくない、そう思ったら最後、そ

世界の詩集第十一巻「世界恋愛名詩集」

 この詩集は二千年以上にわたる西欧文化圏の詩人七十七名、計百二十五篇の恋愛詩のアンソロジーである。収録されている詩で最も古い詩は、ギリシアの詩人イビュコスの「春されば」で、おおよそ紀元前六百年ぐらいに成立した作品である。

ルカーチ著作集第二巻「小説の理論」

 この本をボクは十九歳の時に手にした。何故、手にしたか? この当時、マルクーゼも読んでいるから、所謂「フランクフルト学派」に興味を持っていたのか? 確かボクより三歳くらい年長で、フランクフルト学派を口にする男がいたが、こ

世界の詩集第十二巻「世界女流名詩集」

 この詩集が「世界の詩集」全十二巻の最終巻である。女流詩人五十四人が登場する。「女に生まれて」、「恋愛と結婚」、「あこがれ・孤独・別離」、「自然ー四季おりおりの詩」、「時と永遠」、「世界の苦悩ー平和への祈り」、以上、全六

ルカーチの「歴史と階級意識」

 ボクは共産主義者でもなく、また、現在、革命運動を実践しているわけでもない。だからこの著作をわかった顔をして批評するつもりはまったくない。その上、批評するにしても、ボクのような浅学の徒には意味不明の文章が多く、特に政治上

世界の詩集第十巻「ホイットマン詩集」

 かつてボクはこの詩人の作品を一行も読んでいなかった。これと言って積極的な理由はなかったが、彼の本を手にしようとはしなかった。若い頃、所謂「ヒューマニズムの詩」や「説教臭い詩」に余り興味がなかったのだろう。  このたび、

マルクーゼの「ユートピアの終焉」

 この本は、一九六七年七月十日から十三日にかけて、ベルリン自由大学において行われた講演、討論を構成したものである。訳者の解説によれば、この講演の行われる一ヶ月ほど前に、官憲のテロルに対する激しい抵抗運動があり、ベルリン自

マルクーゼの「エロス的文明」

 この本は、「抑圧のない文明」、つまり現代のユートピアの可能性をフロイトの心理学をベースにして考察している。フロイトによれば、「文明は人間の本能を永久に抑圧することである」(本書1頁)。ということは、「抑圧のない文明」の

世界の詩集第九巻「ヘッセ詩集」

 そして すべての罪悪と  すべての暗い深淵からの  たった一つの 熱望  終極の憩いがみたい  そして ふたたび帰ることなく  墓場にたどりつきたい という熱望(「のけ者」第三連、141頁)    訳者星野慎

マルクーゼの「理性と革命」

 なつかしい本を書棚から引っぱり出した。ドイツやイタリア、日本がファシズムに支配され、第二次世界大戦が勃発した最中、一九四一年にこの本はニューヨークで出版されている。    「理性と革命」マルクーゼ著 岩波書店

世界の詩集第八巻 「ヴェルレーヌ詩集」

 この詩集も三年余り前に永眠したワイフの遺品の一冊だが、ボクは十七歳の時、「角川文庫」(昭和41年11月30日初版)で同じ訳者のものを買い、憑かれたように読み耽った記憶が、懐かしい。    世界の詩集8「ヴェル

「トラークル詩集」再読

 ボクは十八歳の時、この詩集を手にした。その時は、没落していく、言葉全体が沈んでいく、そんな印象を受けた。何処へ? わからなかった。この詩人は小舟にのって夜の流れをくだっていくのだが、行き着く先はボクにはわからなかった。

世界の詩集第七巻「リルケ詩集」

 この詩集もワイフの遺品である。ボクと出会う前の若き日に彼女はこの詩集を読んでいた。    世界の詩集7「リルケ詩集」 富士川英郎訳 角川書店 昭和42年10月10日初版    ボクはリルケを多少かじ

全訳「正法眼蔵」巻一 中村宗一著

 さっぱりわからなかった。おそらく西暦一二四〇年前後、禅の修行者を前にした道元の説法を中心に書写されたものだろうか。こういった特殊な状況下で特殊な言葉で語られた文を、ボクのような門外漢がわかるはずもないし、また、わからな

世界の詩集第六巻「ランボー詩集」

 ボクのワイフの遺品であるこの詩集は、頁がよく繰られていて、かなりくたびれている。この詩人の詩を十九歳の彼女は、何度も繰り返して読んだのだろう。    世界の詩集6「ランボー詩集」 金子光晴訳 角川書店 昭和4

世界の詩集第五巻「シュトルム詩集」

 シュトルムの名前を初めて知ったのは、十代に読んだ立原道造の詩集「萓草に寄す」の中だった。詩集の中の一篇「はじめてのものに」を読んでいて、「エリーザベトの物語」という一語に出会った。確か巻末の注釈で、シュトルムの小説「み

世界の詩集第四巻「バイロン詩集」

 この詩集もボクのワイフの遺品である。五十年近い昔、彼女が十九歳で読んだ本を、この歳になって、僕が読んでいる。彼女の供養だと思っている。ケッタイな話だ、ほとんどアブノーマルか。    世界の詩集第四巻「バイロン

山中従子の「架空二重奏」

   山中従子が「架空二重奏」という詩誌を発行している。山中の個人誌で、毎号、詩・写真・散文で構成されている。    創刊号 2016年1月10日発行   2号 2016年5月17日発行   3号 2

世界の詩集第三巻「ハイネ詩集」

 この詩集はボクのワイフが十九歳の時に読んだ一冊である。彼女がこの世を去ってから、ボクは彼女の遺品となった書物を折に触れ、読んでいる。特に、まだボクラが一緒に生活をしていなかった十代から二十代の初め頃に彼女が読んでいた本

世界の詩集第二巻「ボードレール詩集」

 ワイフの遺品、世界の詩集の第二巻は「ボードレール詩集」である。ボードレール、つまり言葉の毒薬、そう考えて大過あるまい。  若い頃、ボードレールは比較的よく読んだ作家だった。人文書院から出ている「ボードレール全集」全四巻

「般若経」を読む。

 母方の祖母はよく般若心経を誦していた。まだ若い頃に祖父、つまり彼女の夫が行方不明になったことが影響していたのだろうか。祖父は戦前、政治犯等を調査する外事課に勤務していて、満州で変装している姿を見かけたという噂もあったが

世界の詩集第1巻「ゲーテ詩集」

 この詩集はワイフの遺品である。全十二巻の第一巻。ボクは彼女がこの世を去ってから、遺された彼女の本を出来る限り読んでしまおう、特にボクと出会う前に彼女が読んでいた本を。この詩集もそんな本の中の一冊である。  

「ふたりだけの時間」について

 きょうはボクのワイフの三年目の命日である。ちょうど二年前のきょう、二〇一五年七月十九日、仏教で言えばボクのワイフの一周忌の夜のことだが、我が家で二十人近い友達や息子夫婦を呼んで、ボクのエレキギター演奏をバックに、ケータ

さとう三千魚詩集「浜辺にて」

 この詩人の作品の本質を言えば、「海を見つめる言葉」といっていいだろう。そこにはもちろん海はある。そして海につつまれて突堤があり、無数の波があり、突堤に打ち砕かれたしぶきがあがり、両耳には騒ぐ海の音と、頭上から落ちてくる

源信の「往生要集」

   空海はその主著「秘密曼荼羅十住心論」で、十章ある十住心の第一章、第一住心を「異生羝羊住心」と規定している。異生とは凡夫、羝羊は雄羊。性欲と食欲のおもむくままに生きている生命体(人間)を宗教哲学的に分析して

「ブッダのことば」

 意外ではあるが、この書には慈悲への言及が極めて少ない。慈悲を主題にしているのは、本書の33頁から34頁にかけて、「第一 蛇の章、八、慈しみ」だけである。まだこの頃、覚者(仏)の慈悲というはっきりした考え方はなく、世間で

「浄土三部経」

 この本をボクは二十七歳の時に読んだけれど、読後、西暦100年前後に北インド辺りで書かれた仏教徒の宗教的ユートピア論だと思った。物質的・経済的に貧しい人々を底辺で働かせて、ほんの一握りの軍事力を持った権力者が贅沢三昧の生

星野元豊の「講解教行信証 補遺篇」

 本書は星野元豊が八十六歳の時に上梓されている。丁度四十歳年下だったボクは、三十代半ばから徐々に好きだった宗教・哲学あるいは経済学の書をほとんど読まなくなっていた。もともと詩、とりわけ明治以降の近代詩から現代詩を十代から

星野元豊の「講解教行信證 化身土の巻(末)」 

 星野元豊の「講解教行信証」全六巻を読み終わった。長い浄土の旅から自宅に帰ってきた。自然虚無の身、無極の体。はたしてこの境界に達し得たか?  思えば三十代前半、第二巻の「講解教行信証 信の巻」の道半ばで挫折。言い訳になる

星野元豊の「講解教行信證 化身土の巻(本)」 

「水俣がこんなに近いんですね。お寄りする前に水俣駅周辺を少しぶらぶらしました」 「山下さん、わたしは、あれには怒ってるんです」  ボクのような若造がこんな感慨を洩らすのは、失礼かもしれない。しかし、「怒ってるんです」と少

星野元豊の「講解教行信證 真仏土の巻」

「せっかくここまで来られたから、滝沢克己さんに会っていけばいいんだが、あいにく彼はドイツに行っているから……」 「滝沢先生……神即人、人即神の不可分・不可同・不可逆の原関係……この言葉を初めて知った時、震えました」  あ

星野元豊の「講解教行信證 信(続)証の巻」

 ちょうど四十年前、鹿児島県大口市にある大嵓寺の住職星野元豊師をお訪ねした理由は、ただ、一度でいいからお会いしたかった、それだけである。なにか、引力のようなものを感じていた。仄暗い座敷に対座して、ほとんど朴訥と言っていい

星野元豊の「講解教行信證 信の巻」

 一九七七年五月、鹿児島県の大口市にある大嵓寺に星野先生をお訪ねした折の思い出を、少し語りたい。この頃、先生はライフワークの「講解教行信証」の執筆に集中していて、おそらくボクのような一面識もない若造を相手にしている時間な

きょう、イイこと、ありました!

 仕事を休んだ。平日は毎日二時間前後、事務所に顔出ししているのだが。きょうは四月の十九日。ワイフの月命日。この七月で、この世を去ってまる三年になる。ボクラはふたりで商売をしていたので、朝から晩までいつもいっしょだった。だ

星野元豊の「講解教行信證 教行の巻」

 ボクはちょうど四十年前、星野先生をお訪ねした事がある。その頃、ボクはワイフと長男を連れて東京に流れて、ほとんど赤貧に近い生活を送っていた。もう二十八歳になるかならないか、言ってみれば今の世でいう所謂フリーターで、出来る

栄西を読む

 この本を手にしたのは今から四十年近い昔、ボクは二十八歳だった。仏教にかかわっている人はいざ知らず、ボクのような門外漢で、栄西の本を手にするのはおそらく珍しい部類だったろう。    日本の禅語録第一巻 栄西 古

酒を捨てる(続・続・続)

 酒から自由になれたと思う。事のおこりは先に書いたが、自戒の意味で再書する。  今年の一月十九日、亡くなったワイフの月命日の夜、夢の中で、「とんちゃん、お酒、止めな」、彼女はそう告げた。翌二十日からほぼ二ヶ月間、ボクは家

選択本願念仏集

 この歳になるまで、ボクは法然の文に直接触れたことはなかった。また、そんなことを考えもしなかった。心変わりがしたのは、おそらく、四十三年間、愛しあったワイフと死別した、仏教でいう「八苦」の中の「第五苦」にあたる「愛別離苦

空海コレクション4

 この巻では、「他縁大乗住心第六」、「覚心不生住心第七」、「一道無為住心第八」、「極無自性住心第九」、「秘密荘厳住心第十」の五住心が収められている。空海コレクション3の五住心と併せて「十住心論」のすべてが明らかになる。

酒を捨てる(続・続)

 酒が欲しい。頭の中で騒いでいる。わめいている。ボクの背後で、誰か得体の知れないものが、酒を飲め酒を飲め、連呼している。おびただしい声。あわただしいおしゃべり。増殖する声をボクは大きな消しゴムで消し続けている。頭に繁殖し

酒を捨てる(続)

 酒を捨てる、といっても、なにも冷蔵庫で休んでいる缶ビールや、戸棚の陰に立っている焼酎を、流し台へ傾けて、どくどく音たてるわけではない。心の片隅に捨てるのである。  先月の十九日、ワイフの月命日の夜、彼女が夢に現れて、「

週刊「マンガ日本史」

 ひょんなことからジュニア向けの週刊誌を定期購読することになった。毎週火曜日の午前九時前後、ボクのお家のポストの中にその雑誌は眠っている。  創刊号は「卑弥呼」で2015年1月27日に発売され、終刊は「ヤマトタケル」でつ

空海コレクション3

 空海コレクションは1と2の二冊しか出版されていない、ずっとそう思っていた。ところが、ある日、続刊が出ていることをネットで知って、早速購入した。    空海コレクション3  福田亮成 校正・訳 ちくま学芸文庫