芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

栄西を読む

 この本を手にしたのは今から四十年近い昔、ボクは二十八歳だった。仏教にかかわっている人はいざ知らず、ボクのような門外漢で、栄西の本を手にするのはおそらく珍しい部類だったろう。

 

 日本の禅語録第一巻 栄西 古田紹欽著 講談社 昭和52年9月1日発行

 

 この本には、栄西の主著「興禅護国論」と「喫茶養生記」が収録されている、まったく別人が書いたようなふたつの著作。ただ「興禅護国論」は栄西五十八歳の時、「喫茶養生記」は早くとも七十歳辺りで書かれているから、二著の間に十数年の歳月が流れている。「喫茶養生記」には宗教思想が脱落して平明な文章に軽みのようなステキな味がにじみ出ている印象を受けた。

 ボクは二十八歳の時、「喫茶養生記」は最後まで読んだが、「興禅護国論」のほうは途中で投げ出した。その当時のボクにはチンプンカンプンだったし、ちっともおもしろくなかった。

 さて、このたび「興禅護国論」を読んで、何か得体の知れない栄西の激しい欲望のようなものをボクは覚えなくもなかった。……まず「護国」という問題では、大きく分けて二つの切断面があると思う。一面は、朝廷が禅宗に帰依してその慈悲心によって、上から衆生を救済したい、そういう栄西の強い意思が表現されている。仏法は帝王に付属するものだ、彼はそんな主旨の文章を再三繰り返している。他面、朝廷の援助によって禅宗を復興する資金を調達したい、栄西のこの欲望も否定は出来ないだろう。「建立の支目の門、第八」には、今上皇帝や先皇等のための行事が第一義として掲げられている。

 

 仁王教に云く、「仏、般若を以て現在・未来の諸の小国王等に付嘱して以て護国の秘宝と為す」と。

 其の般若とは禅宗なり。謂く、境内に若し持戒の人有らば、則ち諸天其の国を守護す。(同書106頁)

 

 「国家を鎮護するの門、第二」は上述の文章から始まっている。また、「世人の疑を決するの門、第三」では、こんな興味深い問答を書いている。

 

 問うて曰く、「或人云ふ、念仏三昧は勅無しと雖も、天下に流行す。禅宗は何ぞ必ずしも勅を望まんや」。

 答へて曰く、「伝法は皆国王に付嘱す、故に必ず、応に勅に依つて流通すべきなり。又念仏宗は先皇勅して天王寺に置く云々。今、尊卑の念仏は是れ其の余薫なり。禅宗争でか施行の詔を蒙らざらん」。(179~180頁)

 

 「念仏宗は先皇勅して天王寺に置く」とは、著者の古田紹欽氏によれば、鳥羽法皇が1149年頃に、天王寺念仏堂に供養のため臨幸されたことをさしている。ところで、1175年、法然が四十三歳の時、比叡山と決別して山を降りた事情は、おそらく栄西も熟知していたであろう。奇しくもこのふたりは、建久九(1198)年、時を同じくして主著「興禅護国論」と「選択本願念仏集」を上梓している。栄西五十八歳、法然六十六歳。同じ叡山で育ったふたりはその叡山から弾圧されてもいる。1156年の保元の乱に象徴される動乱の時代のふたりの生きざまを後日さらに詳細に学んでみたい。例えば、栄西が二十八歳の時に入宋した時、同じく宋に来ていた東大寺の重源に出会い一緒に帰国するのだが、その時法然は重源に浄土教の「五祖像図」を入手して欲しいと依頼しており、実際に重源は「五祖像図」を法然に持ち帰っている。念仏宗の流行の原因を、「念仏宗は先皇勅して天王寺に置く云々」とさらっと言い切っている栄西に、ボクは感心した。あるいは、同じ禅宗の流れで言えば、一説では暗殺されたのではないかと言われている大日房能忍の達磨宗にもこの書の中で栄西なりに、「私とは関係ありません」、冷厳に言及している(同書173頁)。さらに言えば、伊賀山田で往生院を開山した覚弁を好意的に書いている(同書285頁)。同時代人とのかかわり方を勉強するのに、この辺りも非常に興味深い。

 それはさておき、「興禅」に関して言えば、不立文字・教外別伝、さいわいボクのような半可通には語るべき言葉の持ち合わせがない。ただ「建立の支目の門、第八」で、僧が守らなければならないさまざまな規則や行をあげた後、こんな問答を書いている。すばらしい内容なので、少し長くなるが引用したい。

 

 問うて曰く、「是の如き行儀、末世の機根に堪ふ可からず。還って苦悩の因縁と為り、亦退転の因縁と為らん。如何ぞや」。

 「謂く、世間の男女は父母の能を学び、只能を得んことを思うて労倦を辞せず。必ず以て風を継ぐ。茲に因つて鉄師・瓦師・織師・幻師・農夫等は絶えず。然るに彼の所作は、皆是れ辛苦艱難の業なり。但仏子の風を継ぐは是れ安楽の法門なり。彼の世業の力を尽し、骨を砕くが如きに非ず。只是れ偏へに之を好めば事互ひに成就するなり。河に棲んで力有る者も陸に登つては悩む。虚に在つて能有る者も地に在つては力無し。是の故に仏家に安住する者は、在家に入つて苦悩し、悪行に染著する人は、仏法を以て難行と為す」。(270~271頁)

 

 従って、結論して、こう言う。

 

 「仏法は極めて行ひ易く、成じ易し。仏の言く、安楽の法門なり」。(269~270頁)

 

 世間苦を背負って生きるより、好んで出家して厳しい修行に生きるのは安楽だ、そう言い切っている。

 

 もうひとつの著作、「喫茶養生記」には、宗教に関する発言は皆無である。この本の根底にある考え方は、極めて素朴・平明で上巻の始めにこんな趣旨が書かれている。

 茶は、「延齢の妙術」であり、これを飲めば「長命」である。そして、一生の健康を保ち、命は大切にしなければならない。そのため、適切な養生をしなければならない。以下、それを説明する云々。また、下巻では、五種の病を分析して、桑の効用を説いている。巻末に、これらはすべて宋国に留学して学んだ治療法だ、そう結んでいる。簡潔な語り口で、健康本がよく売れている現代なら、ベストセラーだろう。

 跋にこう書いている。

 「凡そ宇治の茶と称するは、本は建仁寺栄西禅師より出づ」。(341頁)

 宋に留学した時、茶の実を持ち帰り、移植したという。事の真偽は知らない。しかしこうした伝を残すだけでも、偉業ではないか。