芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

星野元豊の「講解教行信證 教行の巻」

 ボクはちょうど四十年前、星野先生をお訪ねした事がある。その頃、ボクはワイフと長男を連れて東京に流れて、ほとんど赤貧に近い生活を送っていた。もう二十八歳になるかならないか、言ってみれば今の世でいう所謂フリーターで、出来るだけ自分の時間を作って哲学や宗教、文学などの本を読み漁って、生活の資をワイフに仰いでいた。

 熊本県の水俣駅から支線で森の中、モノスゴイ急な坂を走って山の奥へ。ひっそりした大嵓寺の山門をボクはくぐった。先生はこのお寺の住職。以前は龍谷大学の教授や総長まで勤められた。ボクは先生の書かれた「浄土」などの本を読んで、どうしてもお会いしたいと、一面識もなかったけれどお電話してここまでやって来たのだった。その辺りは熊本県との県境で、鹿児島県の大口市、今は伊佐市大口に変っている。

 さまざまなことがあってボクは先生を訪ねた。「さまざまなこと」については別のところで書いたので省略するが。しかし、結局、今日までボクは無宗教で、四十過ぎにはもう星野先生の著作に手を触れることもなかった。

 三年前、ボクは四十三年間連れ添ったワイフをすい臓ガンで亡くした。中学から高校にかけてボクはエレキギターに夢中になった。ボクは彼女の骨壷の前でエレキギターを弾き続けた。彼女の骨壷に手紙を届けたり詩を送ったりした。しかし、あれこれやればやる程、悲しみはいよいよ深くなるのだった。もう一度、先生の本を手にした。思えば、先生はボクより四十歳年上である。だから、奇しくも、お訪ねした時の先生とちょうど同じ年齢にボクはなっていた。

 

 「講解教行信證 教行の巻」 星野元豊著 法蔵館 昭和52年5月10日発行

 

 さて、星野元豊が「教行信証」を読んだいきさつが「はしがき」に書かれている。さりげなく書かれているが、「教行信証」を読むということはいったいどういうことなのか、もちろん人さまざまであろうが、星野元豊はこう告白している。

「わたくしが『教行信証』をはじめて読んだのはかれこれもう四十年ほど以前である。それは単なる学問的関心からではなくして、道を求めるという宗教的要求からであった。四十年ほど前、わたくしは突然長女を喪くした。その悲哀と苦闘の中からわたくしは救いを親鸞の『教行信証』に求めたのであった。」(同書3頁)

 星野元豊の「講解教行信証」は全六巻ある。補遺を併せると全七巻になるが、第七巻が出た時には先に言ったとおりもうボクは塵労の中で星野元豊から離れてしまって、購入していない。おそらく絶版になっているだろう。古書で探して読もうと思う。ちなみに僕が最後に読んだ星野元豊の著書は「親鸞と浄土」(三一書房、1984.1.31)、「教行信証」(法蔵館、昭和61年11月30日)まで。それはさておき、今回読んだのは第一巻である。著者もすすめているように、同時並行して、岩波書店から出ている「親鸞」日本思想体系第11巻の「教行信証」も読みすすめている。

 といって、ボクはとりたてて「教行信証」の解説書を書こうというのではない、また、そんなだいそれた力もない。ただ、本の感想文めいたものをしたためて、星野先生の霊前に感謝の気持を捧げ、同時にまた、いまは亡きワイフと愛犬ジャックのお骨に寄りそい、ねえねえ、この穢土って、たちまち浄土だよ、ジャックもえっちゃんもボクも、すなわち、生きとし生けるものはすべて仏だって! あれこれお話したいだけである。

 「教行信証」は、まず「顕浄土真実教行証文類序」、いわゆる「総序」から始まる。「総序」は簡潔に書かれている。弥陀の本願が衆生の迷いを度し、その無碍光が凡夫の無明を破す、この真理をこれから読者とともに慶び学びたい旨を述べて、序は終っている。

 著者はこう言う。

「彼(親鸞)の自信は彼の体験に基づく自信ではなくして、彼の体験を支えているものの確固たる真実性に基づいているのである」(同書28頁)

 そして以下の文を深い感慨を持って引用しておられる。原文と書き下し文を掲げる。

 

 遇獲行信遠慶宿縁

 たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。

 

「遇の一字は千鈞の重みがある。逢われぬ筈のものが逢った。私にとっては全くの偶然である。だが仏にとっては決して偶然ではない。必然なのだ。それが宿縁である」(同書31頁)

 

すすんで「顕浄土真実教文類一」、いわゆる「経巻」を読んでみようと思う。

 著者はこのように解説する。

 親鸞は「一念多念文意」で「如来とまふすは諸仏をまふすなり」と言っている。つまり、釈迦は、過去・現在・未来の一切の仏を代表して、衆生を救済するためにこの世に現れた。誤解を恐れず哲学的に表現すれば、釈迦は「一切の真実そのものの現実への直接的なあらわれ」ということができるであろう。(59~60頁)

 そして親鸞は「大無量寿経」こそが釈迦の出世本懐の経だと主張している。

 これについて、著者は存覚の「六要鈔」を紹介して以下のように述べている。出世本懐の経は、それが真実の救済であるばかりではなく、一切衆生の救済が目標でなければならない。智慧のあるものばかりではなく、仏の大悲は愚鈍蒙昧な凡夫こそ愍念したまうのである。「従って釈迦がこの世に出現された大悲の本懐は、ただ障り重く罪深く愚鈍でいつまでたっても出離することができない衆生を済度するところにあるといわねばならない」(77頁)。

 ボクなりにまとめてみた。

➀釈迦は凡小の群萠、一切衆生、もろもろの有情を哀愍し、救済されんが為にこの世に現れた。

➁そのために釈迦は弥陀の本願を説かれた。

➂それは即ち仏の名号である。

 仏の名号。すなわち南無阿弥陀仏。かつてボクラはそれを耳にした。従って、もろもろの有情、つまり愛犬ジャックや愛猫アニー、ボクのワイフえっちゃん、煩悩熾盛・愛別離苦から出離できないボク、なべてみなすぐに救われる、と。

 

 顕浄土真実行文類二。「経巻」を去って、これから「行巻」に入る。「行巻」では文の始めに全体の主旨を簡潔に書いている。

 

「謹んで往相の廻向を按ずるに、大行あり大信あり。大行とは則ち無碍光如来の名を称するなり。<中略>。しかるにこの行は大悲の願より出でたり」(同書87~90頁)

 

 ただ注意しなければならないのは、「無碍光如来の名を称する」、つまり南無阿弥陀仏を称えるのはこのボクのような凡夫ではない。ここで言っている「大悲の願」とは、「大無量寿経」の第十七願のことを言っている。この第十七願の原文と書き下し文を併せて引用する。

 

 設我得仏十方世界無量諸仏不悉咨嗟称我名者不取正覚

 たとひわれ仏を得たらむに、十方世界の無量の諸仏ことごとく咨嗟してわが名を称せずは、正覚を取らじ(同書93頁)

 

 咨嗟とはほめたたえることである。そして、ほめたたえて称名するのは衆生たるボクではなく、無辺際のこの宇宙に存在している無数の諸仏である。従って、ここでいわれている「行」とは衆生たるボクが苦行するのではなく、この第十七願を発した法蔵菩薩が苦行し、無数の諸仏がそれをたたえて「南無阿弥陀仏」と称名するのである。いったい何のために彼等は苦行したり称名したりするのかと言えば、罪悪深重・煩悩熾盛のこのボクを救済するために。それがここでいう「大行」である。

 称名についてはこう規定している。

 

 しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名は則ち最勝真妙の正業なり、正業は則ちこれ念仏なり、念仏は則ちこれ南無阿弥陀仏なり、南無阿弥陀仏は即ちこれ正念なりと、知るべしと(119頁)

 

 この「正念」とは衆生の信心のことだから、無数の諸仏が南無阿弥陀仏と称名すると同時に衆生たるボクもまた南無阿弥陀仏と念仏していることになる。仏の「行」と衆生たるボクの「信」が同時発生していることになる。煩悩熾盛・愛別離苦から出離できないボクと清浄な仏が表裏一体だとでもいうのだろうか。

 さて、本書を読んで、さまざまなことを学んだが、次の二点だけをご紹介して筆をおきたいと思う。

 まずひとつは、以下の文を読んでいただきたい。

「われわれは阿弥陀仏というとき、しばしば対象的実体的個体的存在を想定しがちである。しかしそれは経典の表現した言語から人間的想像によって作り出した観念的実体にほかならない。徒らなる妄念をすてて素直に経典をみるとき、わたしたちはそのような実体的な阿弥陀仏について語られていないことに気づくであろう」(227~228頁)

 確かに仏にすがた・かたちがあれば、その仏はいずれ壊れる存在、言い換えれば有限な存在であり、偽仏であると言っていい。仏は真理であり永遠であろう。

 もうひとつ。唐代の法照(766~822年頃)の一文を掲げて、著者の解釈を併せてご紹介する。

 

 見性了心便是仏 如何道理不相応

 性を見、心をさとるは便ちこれ仏なり 如何道理相応せざらむ

 

「己れが心性を見て仏性をあらわして、これをさとるのが仏である。心性をさとって己れが仏性を見得したところが仏である。念仏三昧もこの道理にかなっているのである。この道理に相応しているのである。念仏三昧によって浄土に往生し、そこで真如法性身をさとるならば、仏であって、それは己れが仏性を見得し、己れが心性を悟ったのである。それはまさしく禅宗でいう直指人心見性成仏と変りはない。念仏成仏のすがたは禅の見性成仏と同じである。ちゃんと道理に相応しているのである。しかも念仏三昧は易行であり、一切衆生がことごとく成仏できる教であるとすれば、凡夫にとって念仏成仏こそ唯一の教といわねばならないのであろう」(281頁)

 

 禅門や浄土門などさまざまな門から入って同じ仏に出会うのだろう。著者から仏教のすばらしい奥義を学んだ思いがした。

 ところで、個人的な事柄になるが、先にも触れたとおり、ワイフを亡くしてもうすぐ三年がやってくる。悲しみは時が解決すると友人知人からアドバイスを頂戴していたが、時がたてばたつ程、いよいよ悲しみは深くなるのだった。ボクはこの悲しみから解脱しようと、最近仏教関係の本をあれこれかじり始めた。ボクは気づいた。愛する人を喪って、悲しい日々を過ごすことがこのわたくしの自然な本来の心ではないだろうか。もし仏心とは自心を知ることならば、ひょっとしたら、悲しみを満たしたこの心をあえて仏心といっていいのではないか。

 ボクはさらにすすんで星野先生から「教行信証」を学ぼうと思う。