芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

マルクーゼの「理性と革命」

 なつかしい本を書棚から引っぱり出した。ドイツやイタリア、日本がファシズムに支配され、第二次世界大戦が勃発した最中、一九四一年にこの本はニューヨークで出版されている。

 

 「理性と革命」マルクーゼ著 岩波書店 1968年12月10日第8刷

 

 今、ボクが手にしているこの「理性と革命」という本は、もう五十年近い昔の十九歳の時に手にしていたので、あちらこちらに青年の頃の指の跡が残っている気持がする。頁を繰る老いた指先からまだ若かった頃のボクの体温がしんしんと滲みこんで流れだして、しばし胸の内まで熱くなってくる。

 この本は、若き日のヘーゲルが書いた「キリスト教の精神とその運命」、若きマルクスの未発表だった原稿「経済学・哲学手稿」の疎外論などの考察からスタートして、ヘーゲル思想の根底をなす「否定の哲学」の弁証法的世界の全体像を再構成し、その正当な後継者のマルクスの思想の根底にも深く立ち入って明らかにしている。そして、その後、資本主義が自由主義から帝国主義へと移行する過程で、ヘーゲル哲学を批判しながら形成された実証哲学、社会学、国家社会主義等を分析する。言うまでもなくこれらの思想は大多数の人間が無産の賃金労働者として抑圧されて生きている現実の矛盾を変革するのではなく、逆にこの秩序に忍従すること、せいぜいこの現実を改良することを主張し、現に今あるがままの階級社会の事実・官憲主義の事実・ファシズムの事実を普遍のものとして固定して考究する思想であることを、マルクーゼはわかりやすく立証していく。

 マルクーゼの思想は、あの当時、つまり七十年安保前後の新左翼運動、学生運動、反戦運動に参加していたボクと同世代の人たち、所謂「団塊の世代」及びそれに近い人たちに、どの程度受け入れられていたのか、ボクは詳らかにしない。マルクーゼの評判のわりには、若い頃のボクの友達でまともに読んでいる人がいなかったことは確かだ。二十一世紀の現在はどうなのだろう。ハイデガーはまだ読まれていても、一九三二年、右の方向へ傾いていくハイデガーのもとを去ったマルクーゼはほとんど過去の人になってしまったのだろうか。しかし、ヘーゲルに於ける歴史の弁証法的理解、理性と自由の真実を求めて現実の矛盾を常に否定し超越してきた主体の哲学的理解、この「理性と革命」という本は今読んでみてもトテモ新鮮で、おかげさまでボクは楽しい時を過ごした。読み終わって表紙を閉じた時、ありがとう、マルクーゼ、ボクは本に向かって一礼していた。