芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

週刊「マンガ日本史」

 ひょんなことからジュニア向けの週刊誌を定期購読することになった。毎週火曜日の午前九時前後、ボクのお家のポストの中にその雑誌は眠っている。

 創刊号は「卑弥呼」で2015年1月27日に発売され、終刊は「ヤマトタケル」でついこないだの火曜日、2017年2月14日に配達された。おおよそ二年間のシリーズ。

 

 週刊「マンガ日本史」 全101冊 朝日新聞出版発行

 

 なんとはなしに読み始めたが、毎週届けられているうちに、いつの間にか読むのがクセになってしまい、というのも「マンガ」だけではなく結構文章も詰まっているので、細かい文字も含めて、すみずみまで全て読んでしまった。

 もちろん、こういう歴史の入門書であるから、子供たちが毎週楽しみながら日本について学ぶ、これをモットーにして出版されたのだろう。「卑弥呼」から始まって時系列で時の権力者とその周辺を描写して、やがて第二次世界大戦に敗北、戦後、「マッカーサー」(第98号)と「白洲次郎」(第99号)を通して現在に至る。最後は謎に包まれた古墳時代の「仁徳天皇」(第100号)、記紀神話時代の「ヤマトタケル」(第101号)で終刊。しかし登場するのは権力者ばかりではなく、宗教家や芸術家などの特集も盛りだくさん。ジュニア向けとはいいながら、きょう、最終巻「ヤマトタケル」を読み終えた時、「もう終ったのか」、ひとり呟いていた。

 人生の晩年に差しかかって、幼年回帰が既に始まったのだろうか、こうしたジュニア向けの雑誌を読むのもまんざらではない。教えられることも多々あった。年寄りの冷水と一笑されそうだが、教えられたことの記事の一端を書いてみよう。

 大久保利通は明治の新政府のリーダーで、明治政府の基礎を築いたといわれているが、1878(明治11)年、不平士族に襲撃され、道半ばで47年の生涯を終える。彼は、「賄賂は一切受け取らず、私欲を捨てて国に尽くす。私財をなげうち、個人で借金までして国費にあてた。大久保の死後、巨額の借金が明らかになったという」(第77号21頁)

 自由民権運動で有名な板垣退助の場合。1900(明治33)年、政界を引退した彼は慈善事業に取り組んでいく。「自分の私財をなげうって自由民権運動に打ち込んだ結果、晩年には金がなくなり貧乏暮らし。料金が払えずに自宅の電話機を取り外されることも度々あったという」(第81号31頁)

 足尾鉱毒事件を政治家として闘った田中正造の場合。彼は73歳の時に被害者救済のための資金集めに奔走する中で倒れ、生涯を終える。「正造は、死ぬ前にわずかな土地や財産を故郷の小中村に寄付した。死の枕元に残されたのは、信玄袋のわずかな品だけだった」(第83号31頁)

 乃木希典の場合。「日露戦争後の乃木は、戦争で犠牲となった兵士の遺族と傷病兵を見舞う日々を過ごし、報賞金もすべて部下に分け与えた。<中略>。1912(明治45)年、乃木が忠誠を誓う明治天皇が崩御し、9月13日に天皇を送る大喪の礼が行われた。この日、乃木は自宅にこもり、夫人とともに自刃。64年の人生に幕を閉じた」(第85号31頁)

 1911(明治44)年2月21日、「日米通商航海条約」の新条約を締結し、1858(安政5)年、江戸幕府が結んだ不平等条約「日米修好通商条約」のすべてを改正して関税自主権の回復に成功。その9ヵ月後に死去した外務大臣小村寿太郎の場合。「小村は、当時の政治家の中で最も貧乏だった一人だ。親が事業で失敗し、その借金を引き継いだのが理由だが、金目のものはすべて借金取りにもっていかれ、家財道具はいっさいなく、家には座布団が2枚あるだけだったという」(第88号31頁)

 一度総理大臣になって、七度大蔵大臣になり、その当時の不景気に対応するため軍事費をおさえた高橋是清の場合。彼は、1936(昭和11)年2月26日に陸軍青年将校たちに暗殺される。死後、遺言で、「自分の屋敷を公園に」。遺言どおり、東京市(現・東京都)に寄付されて公園になった。(第93号参照)

 東条英機の場合。「終戦後に東京の自宅を訪れたアメリカ軍は、あまりの簡素さに驚いた。東条は権力を利用して私腹を肥やすことはしなかったという」(第95号31頁)

 そういえば、幼少の頃、ボクは父からこんな話を耳にしたのを、この歳になって思い出した。なんでもボクの曽祖父は1932(昭和7)年5月15日に暗殺された犬養木堂(総理大臣犬養毅を父はこう呼んでいた)の秘書をやっていて、郷里の山を売り払って政治活動費を捻出していた。おかげで家族は貧乏した。政治は志を実現するために私財まで投げ出す。だからトオルさん、絶対に政治家にはなるな。