芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ヒュペーリオンと反至高者

ヘルダーリン全集第3巻(手塚富雄、浅井真男訳、河出書房新社)を読んだ。この集では小説「ヒュペーリオン」と悲劇「エムペドクレスの死」が収録されている。 僕は若い頃「ヒュペーリオン」を読んで、この作品は恋にも革命にも破れた男

「芦屋芸術」Ⅶ号について

「芦屋芸術」Ⅶ号は6月16日に編集・校正を終えて、7月5日に印刷・製本ができあがった。 6月11日にワイフは膵臓ガンの末期・余命6ヶ月と医師に告知され、その後、みるみるうちに症状を悪化させた。 今回の「芦屋芸術」にはワイ

「チュチュ 世紀末風俗奇譚」プランセス・サッフォー著

一読、嘔吐を催す酩酊がやって来た。この本は、1891年にレオン・ジュノンソーが出版していて、その後、この世から忘却される。この同じ出版人がその前年にロートレアモンの「マルドロールの歌」を出版している。これだけの情報でも、

「芦屋芸術」Ⅶ号が出来上がりました

芦屋芸術」Ⅶ号が出来上がりました。 収録作品は、とうやまりょうこ「多生」、根石吉久「経営の地獄について」、山中従子「野原」「わたしは」、津田雅敏「蟹」、山下徹「鹿を食った話」、芦屋芸術のブログから山下徹の「芦屋川散歩倶楽

「芦屋芸術」Ⅶ号の校正が終りました

「芦屋芸術」7号の校正が終りました。 あとは荒井麻美さんに背表紙などをお願いして、印刷製本はコーシン出版さんに依頼します。 7月中旬までには出来上がると思います。まずは中間報告まで。  

「芦屋芸術」7号をこれから編集する。

同人誌風だった「芦屋芸術」を僕の好みの方向へ変形していこうと、そう思いはじめて、今回は特別寄稿としてとうやまりょうこさんの小説と、根石吉久さんのエッセイを掲載する許可をご本人から頂戴した。 とうやまりょうこさんは若い小説

ヘルダーリンとサド

あらためて言うまでもなく、ヘルダーリンとマルキ・ド・サドとの共通点はその同時代性、つまり、時代背景としてはフランス革命であり、思想的背景としてはルソーを中心とした啓蒙思想の影響だろう。どちらかといえば、彼等の作品の傾向か

とうやまりょうこの「多生」再読

とうやまさんから「孤帆」22号に発表された「多生」の改稿のコピーをいただいた。改稿では、段落を増やして小刻みなリズム感を出し、おそらく著者として痛みをともなったであろう初稿の若干の削除をしている。もちろん増補された言葉も

ヘルダーリンをもう一度読む

久しぶりにヘルダーリンを読み始めた。ヘルダーリン全集第一巻(訳者 手塚富雄、生野幸吉他、河出書房新社)。この集にはヘルダーリンの1784年から1800年までに書かれた詩が収められている。彼は1770年に生まれているから、

「カード・カレッジ」第1巻を終えて

去年の5月頃だったか、中学三年生から高校二年生くらいまで一緒にロックバンドをやっていた友人<UT>と四十数年ぶりで出会い、もう一度バンドを再結成するか、というわけで、もうとっくの昔にゴミ箱に捨ててしまったので、7月になっ

アンデルセンとボク

アンデルセン童話全集第五巻(高橋健二訳、小学館)を読みました。これでアンデルセン童話全集全五巻156話をすべて読み終えたわけです。訳者の丁寧な解説も含めて、ほとんど以前読んでいたんですが、ふたたびスバラシイ経験をして、た

とうやまりょうこの作品「多生」

この作品は、とうやまりょうこが発行している小説の雑誌「孤帆」<こはん>vol.22(2013年12月1日発行)に掲載されている。ところで、僕は作品を読む前に「多生」という題が少し気になってしまった。 「多生」というのは、

アンデルセン、サド、そして国家

アンデルセン全集第4巻(高橋健二訳、小学館)を読みました。ボクは好きだから読んでますが、確かに全集を全部読んでしまうのは大変なので、例えば、この集の中で「お茶のポット」だけでも読んでみてください。413頁から415頁まで

鹿を食った話

屋久島で三日間の滞在中、現地の女性のガイドさんからこんな話を聞いた。 屋久島の人口は約14,000人ですが、そして人口は増えもせず減りもせずだいたい横ばいで推移していて、人口が減少していく傾向にある日本の離島の現状にいた

役にたたなかった女

男は世間に出て働いて生活費を稼ぎ、女は主婦として家庭を守る、夫婦と子育ての基本はかくあるべきだ、そういう考え方を持っている人が、日本人には比較的多いんじゃないかと思います。 ところで、今、僕はアンデルセン全集第三巻(高橋

眼鏡

悲しいメガネのお話をしましょう。 それはどんな願いごとでもかなえてくれる不思議なメガネでした。 「戦前はよかった、しかし戦後になって日本人のいいところはすべて消えてしまった、まったくダメな人間になりさがってしまった。ああ

唯心論と唯物論の間で

最近読んだマルキ・ド・サドの作品、といってもうずいぶん昔に読んでいますから再読ですが、12篇の作品を収録した「恋のかけひき」(澁澤龍彦訳、角川文庫)の中に、「ファクスランジュ あるいは 野心の罪」という作品があり、最近日

芦屋芸術Ⅶ号について

芦屋芸術Ⅶ号を5月頃、発行します。 今回はどんな編集にするか、2月中に考えてみます。 既に若い方の原稿も預かっています。 出来れば4月中に編集・校正を終了したい、そんなふうに思ってるのですが。 いいアイデアや作品があれば

アンデルセンとサド

アンデルセン童話全集第1巻(高橋健二訳、小学館)を読みました。有名な「親指ひめ」「人魚ひめ」「皇帝の新しい服」「よなきうぐいす」など26篇の作品が収録されています。アンデルセンの童話の少なくとも何篇かはほとんどの日本人も

手品。ギター。詩。

君はいままで人生で何か熱狂したものがひとつでもあるかい? ときかれたら、ボクは、ハイゴザイマス、手品デス、即座にこう答えるかもしれない。実際、ボクは、小学校六年生の卒業式のお別れ会のとき、講堂の舞台で、卒業生や教職員、お

グリム童話を読んで、よかった。

グリム童話全集第三巻(高橋健二訳、小学館)を読みました。これでグリム童話全集全三巻、211篇のメルヒェンを読んだわけです。解説に書かれている通り、グリム兄弟は収集した資料の中から英雄伝説などを採用しないで、特に民衆の中で

47年ぶりにエレキギターを弾いて

半年ほど前からギターを弾いている。だいたい一日に2時間前後練習しているが、この年末年始、ヒマな折には5時間余りギターを弾いている。 ギターは17歳でやめた。30歳前後になってギターも、それに関連する用品もすべて捨てた。1

藤井章子の新詩集「文月にはぜる」を読む

藤井章子著「文月にはぜる」(思潮社、2013年11月20日発行) 僕が藤井さんの詩を初めて読んだのはおおよそ2年前、友達の山中従子さんからいただいた詩誌「すてむ」vol48に掲載されていた「都市」という作品で、この詩集に

フェイスブックについて

今、文章を書いていたら、突然停止命令が出て、削除されました。 グリム全集第二巻とサドについて書いている途中でした。 文章が長くなると一方的に削除されるとは知りませんでした。 僕のブログに書き直しますが、フェイスブックって

グリムとサド

グリム全集第二巻(高橋健二訳、小学館)を読みました。64篇のお話が収録されています。お話の批評は私のような門外漢が付け加えることなんてありません。ただ、訳者の懇切な解説の中からひとつのエピソードをご紹介します。以下の文章

別冊芦屋芸術「東京マザー」の訂正

別冊芦屋芸術「東京マザー」の奥付を以下の通り訂正します。 著者のMail ashiya@y-ins.net 発行所の住所 芦屋市公光町7-10 芦屋イシカワビル301 これは偽装ではありません。誤記です。(山下徹) <追

ボクのフェイスブックから「東京マザー」

別冊芦屋芸術「東京マザー」が出来ました。 これは僕がこの夏、2ヶ月足らずで書いた作品に僕のワイフがとった写真(ほとんどがケイタイから)を添えて構成したものです。 これからは、雑誌としての「芦屋芸術」、一作家の作品集として

Out of mode

きのう、グリム童話全集第1巻(高橋健二訳、小学館)を読み終えました。 56篇のお話と、1812年刊行された初版本に掲載されたがペローの同名のお話の重複と考えられ、再販以後除外された「長ぐつをはいた雄ねこ」が収録されていま

ボクのフェイスブックから「東京マザー」

11月1日に別冊芦屋芸術で僕の作品「東京マザー」を出版します。 いま、校正が終わりました。 あとは荒井麻美さんに最終の微調整をお願いして、印刷・製本はコーシン出版さんにお願いします。 ご期待ください。  

ボクのフェイスブックから「嵐が丘」

エミリ・ブロンテの「嵐が丘」を読んだ。 周知の通り、1847年、エミリが29歳の時に発表され、その翌年に彼女は他界した。 この本を読んでから、バタイユの「エミリ・ブロンテ」と1933年に描かれたバルテュスの「《嵐が丘》に

ボクのフェイスブックから「ルノワールとフランス絵画の傑作」

昨夕、K子さんからいただいたチケットで兵庫県立美術館の「ルノワールとフランス絵画の傑作」を見た。 ルノワールを中心に、コロー、ミレー、トロワイヨン、ブーダン、モネ、シスレー、ピサロ、マネ、ドガなどが並んでいる。 既に通い

ボクのフェイスブックから「セラフィタ」

昔から読もうと思って読まなかった本、オノレ・ド・バルザックの「セラフィタ」を昨夜読みました。 この本は二重構造になっていて、片面は、「内部の人間の眼には《天国》と《霊》と《地獄》が見える」、この認識を中心とした神秘主義的

ボクのフェイスブックから「パリの憂鬱」

久しぶりに村上菊一郎訳の「パリの憂鬱」(角川文庫)を読んだ。この50篇で構成された小散文詩集の中のボードレール34歳の作品「孤独」に、ラ・ブリュイエールの言葉、「独りでいることのできないという、この大きな不幸!」が引用さ

サヨナラ 東京マザー

きのう、ボクとワイフは、JR芦屋駅で東京マザーと別れてきました。 入院していたワイフの妹がトテモ元気になって、マザーが世田谷のお家へ帰るため、おとつい品川から夫婦で迎えに来て、夕食に中華料理を食べ、彼等は六甲アイランドに

「芦屋芸術6号」が出来ました

「芦屋芸術」6号が出来ました。 もう2、3号出せば、少し味のある雑誌になるのではないか、そんな予感がするので、まだまだやっていきます。 興味のある方はお申し込みください。 1部600円です。残部僅少ですが。  

ちゃん

……赤チャン ネェ ネェ 赤チャン ネェ……後部座席で東京マザーがシャベッテる。最初、ボクは意味不明だったが、信号で停車すると、赤チャン、赤チャンとシャベり、発車する時、青チャン ネェ ネェ ホラ 青チャン…… 僕の愛犬

おかたづけ

おかたづけが出来なくなったら、すでに死が迫っているのかも知れない。毎日、食器洗いはボクが担当しているが、今夜、東京マザーが自分の湯のみを洗い、イツモオセワニナッテスミマセン、ドッコイショ、食後のテーブルをふいてる。ヨイコ

卒寿

東京マザーはことし、卒寿である。その昔、マザーは書道で師範にまでなった。そして美しい墨で書かれた暑中見舞や年賀状が我が家へ届いていた。しかし認知がすすむにつれて、筆を絶ってすでに久しい。 わけあってマザーがボクのお家に滞

晩年

毎晩、マザーとワイフが漢字の二を描いて蒲団に横たわっている、そこには合計155年の歳月が。マザーはといえば、状態がいい時はワイフが長女でありその名前さえ言い当てることが出来るが、悪い時は、オネエサンと呼ぶ。 すべては老い

肉に花火

昨夜、N夫妻がやって来た。去年もそうだったが、我が家で焼肉パーティー。その後、午後八時前から始まる芦屋の花火大会。去年は、ボクとワイフ、N夫妻の四人だったが、今年は東京マザーが参加している。N妻(エヌヅマ)のご指導で、ホ

不思議の国のマザー

入れ歯がない、ワイフが騒ぎ出した。皿に置いたマザーの入れ歯をワイフはあやまって蒲団の辺りに落としたのだが、下の入れ歯は見つかったのに、上の入れ歯が行方不明。入レ歯ガナイワ、ドッコイショ、入レ歯ガナイワ、ドッコイショヨイコ

右耳の周辺で

東京マザーが我が家へやって来て、ちょうど半月たった。左耳はほとんど聴こえないが、右耳は補聴器で大声を感知する。だから、いつの間にか、我がファミリーはマザーの右耳のあたりで大声をたてている、おおげさな身振り手振りをそえて。

マザー

ワイフのマザーが来た。 そして変わらず芦屋川は流れ、十日がたっていた。 確かに彼女の認識も記憶も薄明の世界へ、忘却の地平線へいままさに沈まんとしている。 それは夕焼けの流れる川のように美しい。

ものみな流転する

おそらく来週の火曜日、または水曜日、ボクのワイフのママを我が家へ迎え入れる。東京の世田谷に住んでるママはもう九十歳に近く、少しだけ世間でいう所謂「認知」がはいっているだろう。 ママをよくみてくれたワイフの妹は小腸の手術の

山本要著「大団円」を読む

山本要著「大団円」(文芸社)を読みました。ご近所のワンちゃんの散歩仲間のご子息が書かれた小説です。中国に進出した日系企業を舞台にしたビジネス現場と、うつ病の息子をかかえるその企業の広州支店長の家族の物語の二重構造で構成さ

芦屋芸術第6号

7月には芦屋芸術第6号を出す予定です。 山中従子さんの詩の原稿はかなり前から預かっています。 津田雅敏さんはもうすぐ書き上げると思います。 山下徹さんは? どうするのか未確認です。 まあ、とにかく、7月下旬になると思うん

ブレイクの一語

最近つまらないことばかり気にかかってしまう。つまり僕は無能力だから、ささいなことについ気を病んでしまう。このあいだも、語学力もないくせに「BLAKE’S POEMS」というウィリアム・ブレイクが書いた英語の詩

ジェイムズ・ホッグ著「悪の誘惑」

たとえばエジプトの遺跡やカンボジアのシェムリアップの遺跡などを訪ねると誰しも気付くことだが、壁画の特徴の一つとして、壁面を三段に分け、天上世界と地上世界と地下世界を並列して描いている。こうした方法で世界全体を表現しようと

詩誌「すてむ」を奥琵琶湖で読む

寄贈していただいた詩誌を読んでから奥琵琶湖へ行こうと思った。けれど五冊のうち読み終えたのは四冊。 サルトビ44     平成25年2月5日発行  発行人 田中久雄 KAIGANo93   2013年3月31日発行 発行人

淘山竜子の小説「湖畔」

僕は最近フェイスブックを始めました。でも、ちょっと淋しいんですが、お友達はまだ五人です。その中のステキなお友達のひとりに小説家の淘山竜子さんがいます。どうやらペンネームじゃないかと思われるふしもないとは言えないんですけれ