芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ボクのフェイスブックから「嵐が丘」

エミリ・ブロンテの「嵐が丘」を読んだ。

周知の通り、1847年、エミリが29歳の時に発表され、その翌年に彼女は他界した。

この本を読んでから、バタイユの「エミリ・ブロンテ」と1933年に描かれたバルテュスの「《嵐が丘》によるデッサン」をゆっくり鑑賞した。

ひょっとしてエミリはアイルランド出身の牧師の父の血、すなわちマチューリンの「放浪者メルモス」の血の継承者なのだろうか。

常に裏側に死をはらんだ愛の惨劇。呪われた地所、汝「嵐が丘」。

バタイユも引用している通り、エミリの詩のこの一行が、もっとも端的に「嵐が丘」という不吉な場所を解説しているのかも知れない。

“If it but herald Death,the vision is divine.”