芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ジェイムズ・ホッグ著「悪の誘惑」

たとえばエジプトの遺跡やカンボジアのシェムリアップの遺跡などを訪ねると誰しも気付くことだが、壁画の特徴の一つとして、壁面を三段に分け、天上世界と地上世界と地下世界を並列して描いている。こうした方法で世界全体を表現しようと意図したのだろう。この三分法は人間が自分の住んでいる世界を理解しようとした時、もっともなじみ深い思考方法だといっていい。

この三分法の特徴は、空間的に言えば、天上・地上・地下と区分され、時間的に言えば、過去・現在・未来と区分されよう。確かエリアーデはシャーマンはこの天上・地上・地下を自由自在に往来すると指摘していたと思うが、さらにマクロに考えてみれば、このように表現できるのではないか。つまり、地上に住む人間は常に天上と地下に接続している、あるいはまた同時に、この現在に生きている人間は常に過去と未来に接続していると。従ってこの思考方法から言えば、人間はそもそも空間的にも時間的にも三つの世界に分裂した姿のままで同時に自己同一する存在であろう。

ジェイムズ・ホッグ著「悪の誘惑」高橋和久訳 国書刊行会 2012年8月20日新装初版

この小説はなかなか複雑で主人公ロバートの心理は迷路のように錯綜しており、その原因の一端は、前半は編者が見たロバート、後半はロバート自身が告白した手記、結びでふたたび編者と著者自身、つまりホッグが登場するという奇妙な構成にもよるのだろうが、それ以上に、完成された言語作品特有の説明不可能性からくるのだろう。逆説に聞えるが、人は説明不可能であるが故に、超人的な努力を惜しまず言語作品として完成させるのであろう。
ホッグの「悪の誘惑」は1824年に出版されている。この時期は、英国の産業資本が綿工業を中心に発展し、英国が「世界の工場」として確立していく時代に相当している。「悪の誘惑」によれば、1705年2月28日朝1時頃、ロバートは兄ジョージを殺害している。そして1712年9月18日にロバートは自殺する。しかしこの自殺直前の現場目撃者によれば、自殺現場に二人の人間がいたという証言があり、同時にまたロバートの告白内容にも従って、正確に言えば、ロバートが高貴なる友人ギル・マーティンを殺害し、高貴なる友人ギル・マーティンがロバートを殺害した、そう推定されなくもない。それはともかく、いずれにしても、スコットランド18世紀初頭に発生した事件である。
その頃の英国は羊毛品が主力商品であり、1765年の綿製品輸出額が20万ポンド、羊毛品輸出額が516万ポンド、この統計以前に発生した事件であるから、羊毛品が主力だったといっていい。この頃はまだ資本主義成立の前提であった農奴を無産者大衆へと転換しつつあった所謂エンクロージャー・ムーブメントの時代であり、羊毛の需要を満たすため、耕地を牧場化していったことは周知の通りである。ところで、この「悪の誘惑」が出版された頃には、例えば1825年、綿製品輸出額3080万ポンド、羊毛製品輸出額693万ポンドと逆転していて、既に産業資本が確立し、綿工業中心の社会へと転化していたのだった。著者のホッグ自身は資本主義社会から没落しつつある羊飼いを十六歳から職業として人生をスタートしたのであるが、彼の小説を理解するためにこうした時代背景をある程度知っておくのも悪くはないだろう。(宇野弘蔵、大内力、大島清共著「資本主義」角川選書を参照)

ジェイムズ・ホッグ「悪の誘惑」        1824年
エドガー・ポー  「ウイリアム・ウイルソン」 1839年
ドストエフスキー 「分身」          1846年
スティーヴンソン 「ジキル博士とハイド」   1886年
(スティーヴンソンはホッグと同じスコットランドの作家)
モーパッサン   「たれぞ知る」       1890年
ワイルド     「ドリアン・グレイの画像」 1891年

人間の自己分裂をテーマにした十九世紀の小説で思いつくままランダムにあげてみた。一応すべてを再読した感想を以下にまとめておこう。

第1類型 ポー・ワイルド型(スティーブンソンを含む)
この型は、分裂物もしくは分裂者との自己同一性を認識した結果、驚愕し、憤怒し、あるいは悲嘆・絶望するタイプ。ウイリアム・ウイルソンは鏡に映った自分を、ドリアン・グレイは自分の肖像画を突き刺し、自らを破壊する。尚、ポーとスティーヴンソンは善と悪との分裂者、ワイルドは唯美主義(快楽主義)と良心との分裂者を描いている。

第2類型 ドストエフスキー・モーパッサン型
分裂物もしくは分裂者による自己破壊。ドストエフスキーの「分身」の主人公ゴリャードキン氏は最後に精神病院へ強制収容され、モーパッサンの場合、「たれぞ知る」は移動家具というか歩行家具といえばいいのか、家具による迫害妄想、あるいは「オルラ」という作品では「人間のつぎにはオルラが来る」という新生物・新領主からの迫害妄想が見事にまで純化されて完成されている。事実、これらの作品の完成後、モーパッサン自身が精神病院へ収容された。もう一言すれば、ドストエフスキーの場合は都市生活者の社会生活と心理生活の二重性の肥大化、モーパッサンの場合は超自然物からの迫害という傾向がある。
余談ではあるが、ドストエフスキーの作品はペテルブルグ、スティーブンソン、ワイルドの作品はロンドンという大都会で自己分裂が発生しているのは注意していいと思う。

第3類型 ホッグ型
掲題の「悪の誘惑」に典型して見られる通り、分裂物もしくは分裂者が絶対者として出現する。これは直接的ではないが、ひょっとして当時の「世界の工場」としてオランダをしりぞけ世界制覇の途上にあった英国の力への意志に対する拒否反応のようなものが無意識に作品に反映している側面があるのかもしれない。それはともかく、絶対者の使者として彼はその対立物・対立者を破壊する。

以上、極めて図式的になってしまったが、分裂あるいは迫害妄想の世界を考えることは、人間の本質に迫る思考なのかも知れない。天国と地獄の分裂も、神と人との対立と和解も、自分の不安や絶望を消滅させる何か確固たるものを求め安定・安心をはかろうと一心不乱に欲望するのも、この分裂思考固有の領土から生成・発展するのかも知れない。