芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「チュチュ 世紀末風俗奇譚」プランセス・サッフォー著

一読、嘔吐を催す酩酊がやって来た。この本は、1891年にレオン・ジュノンソーが出版していて、その後、この世から忘却される。この同じ出版人がその前年にロートレアモンの「マルドロールの歌」を出版している。これだけの情報でも、もう、この本を開けば、必ず異常な言語体験が約束されていよう。

「チュチュ 世紀末風俗奇譚」(プランセス・サッホー著、野呂康、安井亜希子共訳、水声社2014年6月20日出版)

さて、人間の本質は、善であるとか、あるいは悪であるとか、自由だとか愛だとか、ほとんど神だとか、いろいろ言われているが、この本の作者の場合、人間の本質は愚だ、と笑いながら鼻糞をほじくり、団子にして、口へ放り込む、だからこの本は「愚」の究極純粋型自己展開の書とも考えられる。従ってこの世はこう認識されている。「この世全体がひりだし屋に満ちていて、フォンテヌブローの街路はウンコで一杯なの」(27頁)。

この本の構成は複雑怪奇でありながら、その基本は極めて単純で、恋愛小説なのかもしれない。冒頭、プラトニックに恋する二人が、巻末に至って、肉体で結ばれる。ありふれた恋愛に違いないが、ただ、母と息子の恋物語であり、その間にさまざまな「ひりだし屋」たちのエピソードがこれでもか!とあたりいちめん緑色のゲロを撒き散らしたように爛れきっている。「神の至高なる本質をもってしても、神は認知されない私生児だから、自分の母親の愛人には決してなれない。だからこそ神御自身は人間と対等にはなれないんだ。」(49頁)こんな高質な冗談がちりばめられている書でもある。

もちろん作者のプランセス・サッフォーは偽名である。巻末の訳者の野呂康氏の解説によれば、この作品は「モデル小説」で、作中の登場人物と現実に実在した人間との対応関係を追及しながら、あたかも犯人を割り出す探偵小説の観を呈している。しかし詳細に分析しようとすればするほど、犯人(作者)は舞台の裏に消えていく。正体不明。そしてこの奇妙な野呂氏の解説も「チュチュ」という奇怪な作品の地平線から浮かび上がった紫色の気球だと言っていい。訳者の野呂康と安井亜希子には知る人ぞ知る「ネクロフィリア」(国書刊行会、2009年)という名著の訳業もある。

ランボーの「地獄の季節」やロートレアモンの「マルドロールの歌」が青少年向けの世紀末芸術だとしたなら、プランセス・サッフォーの「チュチュ」はちょっと大人びた世紀末芸術であろう。本格派世紀末芸術ファン必読の書と言って過言ではない。