芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

グリムとサド

グリム全集第二巻(高橋健二訳、小学館)を読みました。64篇のお話が収録されています。お話の批評は私のような門外漢が付け加えることなんてありません。ただ、訳者の懇切な解説の中からひとつのエピソードをご紹介します。以下の文章はほとんどすべて訳者のそれを引用しています。

1833年、グリム兄弟が住んでいたハノーファー王国で進歩的な憲法が制定されました。ところが、1837年6月、エルンスト・アウグスト王が王位につくと一方的に憲法を破棄したのです。この暴挙に対して、11月18日、ゲッティンゲン大学の七教授が抗議書を提出しました。歴史家のダールマンが抗議文を起草。ヤーコプ・グリムが加筆、文学史家ゲルヴィーヌス、物理学者W・E・ヴェーバン、ヴィルヘルム・グリムらが連著しました。

けれども国王は耳を貸すどころか、七教授を革命的反逆的として、ダールマン、ヤーコプ・グリム、ゲルヴィーヌスの三人は首謀者として即時免職、三日以内に国内退去という厳罰に処し、ヴィルヘルム・グリムら四人は免職と謹慎。結局、彼ら四人も時をおいて国外に退去しました。

この事件を知った学生たちは七教授の勇気ある言動に感激し、デモを行いました。権力者はゲッティンゲンに戒厳令をしき、五十名の学生を逮捕しました。ヤーコプ・グリムは亡命先で弁明書を書いていますが、その一節で、「世間には、正義を考え教える人がたくさんいるが、彼らはいざ行動しなければならなくなると、疑いと小心に悩まされて、しりごみする」と指摘しています。

このエピソードには後日譚があり、1957年、不確定性原理を発見したハイゼンベルク教授ら科学界の権威が核兵器反対宣言をした時、ゲッティンゲン・アピールの名でなされたのは、ゲッティンゲン七教授の抗議を想起してなされたものです。今、私はグリム童話の最終巻、第三巻を卓上に置きました。

さて、同時並行してお勉強しているマルキ・ド・サドの関連では、「サド侯爵、その生涯と作品の研究」(ジルベール・レリー著、澁澤龍彦訳、筑摩叢書172)を読みました。この本はおそらくサドをもっと知りたいと思う人には必読書と言っていいと思います。この本の185頁には、クロソウスキーやモーリス・ブランショに反論して、こんなふうに書かれています。

「私の意見では、それは何よりもまず、無神論という言葉の解釈如何に係わっているのです。すなわち『ジュリエット』の作者のもとにおいては、この言葉は、宗教的秩序の圧制であれ、あるいは政治的、知的秩序の圧制であれ、およそ人間本来の自由を妨げるものとして彼の目に映る、あらゆるものに対する無差別かつ極端な弾劾の表現として理解されなければならないのだ」
「こんな風に結論したらよかろう。すなわち、神に反抗するサドは、絶対君主制に反抗するサド、ロベスピエールに反抗するサド、ナポレオンに反抗するサドと一つのものである。どんなやり方であれ、人間の主体性という光り輝やく宝を近くから遠くから占有しようと狙っているものに対しては、サドはことごとく反抗するのである、と。」

だから、私はいまサドの「閨房哲学」を読書中です。言葉の長い旅です。