芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ヘルダーリンとサド

あらためて言うまでもなく、ヘルダーリンとマルキ・ド・サドとの共通点はその同時代性、つまり、時代背景としてはフランス革命であり、思想的背景としてはルソーを中心とした啓蒙思想の影響だろう。どちらかといえば、彼等の作品の傾向からみて、ヘルダーリンは革命の理念、すなわち自由・平等・友愛という心情にひかれ、一方サドは、革命の哲学、一切を理性によって解釈する無神論哲学により強くひかれてはいるが。

ヘルダーリンは1770年、サドは1740年に生まれているので、30年の歳の差はあるが、ヘルダーリンは20代から30代初めにほとんどの作品を書いていて、彼の頂点とも言える「パトモス」「追想」「イスター」などの讃歌は1803年に完成され、その後、周知のとおり、彼は精神の闇に沈んでいく。その闇の中で語られた奇妙な作品群から第一次世界大戦の看護兵として戦場でついに発狂したトラークルのような詩人の悲痛世界が共鳴するのであってみれば、ヘルダーリンはこれからの詩人であろう。ところでサドの処女作は、1782年、彼が42歳の時にヴァンセンヌの牢獄で書かれた「司祭と臨終の男との対話」であり、最高傑作と言っていい「新ジュスティーヌ」および「悪徳の栄え」は1797年に発行されている。これもご承知のことだとは思うが、念のためこの時代のサドという男を象徴するささやかなエピソードとして、彼は1789年7月4日にバスティーユの「自由の塔」からシェラントン精神病院に移送されているが、その直後、7月14日にバスティーユが襲撃され、もちろんそこに残されていた彼の原稿は散逸してしまうが、1787年あたりからくすぶっていたルイ16世に対する貴族の反乱がついに民衆の蜂起となって、フランス革命が勃発した。

ヘルダーリン全集第2巻(河出書房新社発行)

今回読み終えたこの第2巻は、1800年から1843年までに書かれた詩が収録されている。今の僕の意識レベルでは極めて難解で手の付けようもないのだが、確かにヘルダーリンが受容したアジアの神々、ギリシアの神々、そしてイスラエルの神の子キリストたちが統合された世界、この彼の詩の特徴、1800年前後にアルプスを眺望し、ライン河の流れに即して彼が発見したすべての神々が和解する場所、ヘラクレス、バッカス、キリストたちが手を携えてこの世に到来する日、その日がヘルダーリンの瞳には浮かんでいただろう、おそらく現在のわたくしたちに目前まで迫りつつあるが、まだわたくしたちには見えない、「わたくしとあなたがた」の根源的和解を言葉によって引き寄せているのかもしれない。いま僕が「あなたがた」と言ったのは、ヘルダーリン的に言えば、一切の「自然」と表現できるのだろう。ヘラクレス、バッカス、キリストの到来する日、もっとわかりやすく言えば、生きとし生けるものとの根源的和解の日と言っても大過ないと、僕は思う。

根源に近く住むものは、その場所を去りがたい。 「さすらい」から(同書181頁)

神は近きにあって
しかも捉え難い
だが 危険のあるところ
救いの力もまた育つ。 「パトモス」から(同書219頁)

巌をかざりとしてひろがる大地は
夕べに失せてゆく雲にひとしいものではない。
それは金いろの昼とともに現われる、
そしてこの完成には嘆きの声はふくまれない。
「秋」から(同書336頁)ヘルダーリン67歳の作品

小説や詩を読む趣味を持っている人ならサド侯爵の作品を読むのはとてもいいことだと思う。なにしろ小説家ではドストエフスキー、詩人ではボードレールが愛読している、それだけでもうわくわくして心が騒ぎはじめるではないか。

「悪徳の栄え」(澁澤龍彦訳 角川文庫)
「サド侯爵の手紙」(澁澤龍彦訳 ちくま文庫)

もう40年以上も昔に「悪徳の栄え」を読んで、サドは57歳で「新ジュスティーヌ」と「ジュリエット物語(悪徳の栄え)」を発行したのだが、僕はその歳もかなり越えてしまって、それでも「悪徳の栄え」を再読してる。確かにいい本に違いない、少なくとも僕にとって。
この本の中に出てくる「犯罪友の会の入会に許可された婦人に与う教書」には「犯罪友の会」に迎え入れられるべき婦人は以下のような悪徳を身につけなければならないと教えている。

無神論、残酷、不信心、自堕落、ソドミー、千鳥、不倫、復讐心、血を流す趣味、偽善、虚偽。(同書207頁)

この会の規約の前文にはこう書いてある。「本会は法律に違反する者すべてを保護し、本会をもって法律以上の権威とみなす。なんとなれば法律は人間の作ったものであるのに、本会は自然の姉妹であり、自然以外のいかなる声にも耳を傾けず、ただ自然の勧告にのみしたがうものだからである。」(同書191頁)。そして自然の声に耳を傾け、自然に還るならば、この結論に到達するだろう。「本会が認める唯一の神は快楽である。本会は快楽のためにいっさいを犠牲にする。」(同書192頁)。したがって、「悪徳の栄え」という書物は、快楽のためにいっさいを犠牲にしたジュリエットという女の極めて貴重な報告書だといっていい、これとは逆に彼女の妹ジュスティーヌが美徳のためにいっさいを犠牲にした「美徳の不幸」「新ジュスティーヌ」という報告書が対極として存在している。
語りたいことは山ほどある。サド関係の本をあれこれ読みすすんでいてメモもたくさんとっているが、ここでは「悪徳の栄え」の中からギージという登場人物の言葉をご紹介したい。国家権力に対するサドの考え方を比較的わかりやすく述べていて、現在のわが国を理解する一助にもなるかと思われる。
「専制主義にみちびくものは、法律の濫用だ。専制君主とは、法律をつくる者、法律をして語らせる者、あるいはまた、自己の利益のために法律を利用する者のことだよ。専制君主からこの法律濫用のてだてを奪ってしまえば、もはや暴君なぞはいなくなる。その残虐を行使するのに、法律の後ろ盾をもっていない暴君なぞは、一人だっていやしない。」(同書376頁)
「暴君が生まれるのは、だから無秩序の状態においてではない。暴君は法律の陰からのみ頭をもちあげ、法律によってのみ自らを権威づける。法律の支配はしたがって悪なのだ。法律の支配はしたがって無秩序に劣る。」(同書376頁)
「自然状態における人間ほど純粋なものはない。自然から離れると、たちまち人間は堕落する。」(同書377頁)

「サド侯爵の手紙」も作品にはみられない獄中からの手紙として彼の貴重な「告白録」であり、サド愛好家には必読といっていい。この手紙からもいろいろ引用しながら考えてみたいと思ったが、やはり直接ご自分で読んでいただきたい。ただ訳者の澁澤龍彦も指摘しているとおり、「美徳の不幸」で主人公のジュリエットは最後に雷に打たれて死ぬのだが、そしてそれはすべてを犠牲にして美徳のために生きた女の無意味性、虚無性を描いたと読者には感じられるのだが、実はそうではなく、美徳に生きた女の救済として落雷による死をサドは考えていたのかもしれない。獄中からサド侯爵夫人にあてた手紙にこういうくだりがある。サドの思想の深さをあらためて覚えざるを得ない。
「たしかに、私が雷で死ぬとすれば、それこそあらゆる災難のうちでいちばん小さな災難だろうからな。私にとっても、あらゆる死に方のうちで、それがいちばん好ましい死に方ではないかと思う。というのは、それは一瞬の出来事で、まったく苦しみを伴わないからだ。おそらくそのためだろう、これは人生のあらゆる災禍のうちで、自然が私にいちばん嫌悪感を催させないところのものだ。」(「サド侯爵の手紙」166-167頁)