芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

手品。ギター。詩。

君はいままで人生で何か熱狂したものがひとつでもあるかい? ときかれたら、ボクは、ハイゴザイマス、手品デス、即座にこう答えるかもしれない。実際、ボクは、小学校六年生の卒業式のお別れ会のとき、講堂の舞台で、卒業生や教職員、お祝いに来ていた親たちを前にして、手品を演じたのだった。

演目はファンカードプロダクションとミルクカップ、リンキングリング。ファンカードプロダクションはトランプを扇形にひらいてさまざまな美しい色と形を作ったり、空中から何枚もトランプを出現させたり消失させたり、ミルクカップでは丸めた新聞紙にカップからミルクを注ぎ瞬時にして消滅、新聞紙を破り捨て、最後にリンキングリングで直径30cmくらいの六個の真鍮の輪をつないだり、はずしたり、果ては三輪車や人工衛星など色々な造形を。余談にはなるが、小説ではアラン・ポーや乱歩が好きで、小学校低学年から不可思議なお話やら奇妙な現象やらをトテモ愛好するのだった。お別れ会の帰り道、ボクは稚拙な初めての一行詩をつぶやいていた。

春も友も手品のように消えてゆく

手品の趣味は中学校三年生を前後して興味を失った。その頃から同時にまた、エレキギターと詩を愛好したのだが、高校二年生辺りでギターにもすっかり興味を失い、けれども、初老になった現在に至るまで、詩の趣味だけは不思議に熱狂する季節が断続してやって来るのだが。

屋根裏で彼のギター冬眠す

いや、違う。手品に関して言えば、三十代後半だったと記憶するが、S百貨店の手品売場、そこはもうかなり昔になくなってるが、販売員のN氏のカードとコインのマジックを見て、手品への情熱がボクの脳裏に再燃した。多少専門的になって恐縮するが、彼はカードではセカンドディールやボトムディール、コインではコインスターなどの極めて難度の高い技術を駆使してS百貨店手品売場のカウンターで実演していた。

日本奇術連盟主催の平成六年度熱海奇術特別講習会にN氏に誘われて参加し、クロースアップ・ショーで見たレナート・グリーンのカードマジックに感心してから数年後、完全に手品の世界から足を洗った。それから恐らくまた数年後、毎日朝からビールを飲んでいたN氏は、ついにアルコール中毒で身体を壊し、あの世へ。酒が好きなボクなど大きなことは言えないが、確かに彼は場末の手品師として「人間失格」に近い状態にまでこの人生を突き抜けて、しかしボクの拙い鑑識眼に過ぎないが、N氏のクロースアップマジックのカードとコインの技術はその頃の日本のマジシャンの第一人者だったといって決して過言ではない、今でもボクはそう思っている。

夢破れてカードの奥義極めたり

去年の初夏、阪神芦屋駅の裏通り、某イタリア料理店で昔のバンド仲間のU君と会った。芦屋のY中学校の同学年で、ボクはギター、彼はドラムをやっていた。中学三年生のとき、二人でバンドを組んで、今はもう住宅地に変わってしまって微塵の面影もないが、西宮のK町にあったプールサイドでベンチャーズの曲を演奏したのが、ボクらの初演だった。47年ぶりに再会し、白ワインのボトルを注文して、グラスを傾けながら、もう一度バンドやるか。

九月になってPRSというメーカーのギターを買い、ボクは毎日二時間前後練習している。年の暮れ、ご近所の忘年会で、酔っ払って、ボクはタバコやコインを同席の方々からお借りして手品をやってしまった。年明けて、同じご近所の新年会で、もう一度手品をやってくれとご注文を頂戴し、そこいらにあるティシュペーパーや箸入れの紙袋やタバコを使ってまたまた手品をやってしまった次第。永い間、無意識の底に沈んですっかりおじいさんになってたギターや手品が酔っ払った勢いで薄暗い路地裏からふらふら出しゃばったのか。年をとるって過去の楽園に逆流することか。生活のために抑圧してたほんとうの自分に帰郷することなのか。然り。解放せよ、ふたたび抑圧しないために。