芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

微熱、咳、目まいの下で

 先週の土曜日の夕刻から火曜日の朝まで寝込んでしまい、それ以降、断続的に寝たり起きたりしている。ちょうど一週間目のきのうの土曜日は午後六時ごろ寝て、今朝四時過ぎに目覚めた。家事から始まって二十三歳の時に書いた原稿を五十年後の今になって読み直したり、あれこれして、「もう限界だ」、午前九時半にベッドに寝ころんだ。いま、午前十一時、目覚めた。目覚めてこの原稿を書いている。

 私は幸せだ、そういう文章を書いておきたくて、直接キーボードを叩いている。翻って思えば、私は七十代半ばに近いけれど、熱を出して一週間以上寝たり起きたりした経験なんて記憶にない。まして、病院に入院をして治療した経験は一日たりとなかった。規則正しい生活をしたのかといえば、そうではなかった。特に若い頃は不規則の権化のような存在だった。根っから丈夫に生まれたのだろう。

 幸せなのは、それだけではなかった。こんな身体的状況の中で、「芦屋芸術十七号」の編集校正を完了し、きのう、土曜日の午前中、ワードの原稿をPDFに変換してUSBに入力、そのUSBと百七十頁余りある最終原稿のゲラ刷りとをいつも印刷製本を依頼しているコーシン出版に送った。近くのポストまで歩いて。終了後、コーシン出版へ事の次第をメールしておいた。後は、来週以降打ち合わせ、ミスがあれば訂正しそのPDFをコーシン出版へメールに添付して、全てが終了。芦屋芸術十七号のことは忘れて、あとは、新しい言葉、新しい作品に思いを寄せるのみ。

 この一週間余り、最も強い記憶を残したことがある。ここ数日前からずっと、黒い中型犬のワンちゃんを連れた女が病気で寝込んでいる私に話しかけてくれたり、なんだかだと世話を焼いてくれた。感謝している。そして、私はどうしても書いておこうと思った作品があり、この作品を書くためにはその女性の何かのサイトとアクセスしなければならず、今度会ったらお願いしなければならない、そう思っていた。名前も聞いていなかった。顔もじろじろ見つめたわけではなく、まだ会って間もないので、ぼんやりしている。

 先程、この原稿を書く前の仮眠中、その女が出て来た。彼女は夢の女だった。妄想と現実の境が崩れていく気持ちがした。

 

*写真は、今日のお昼ごろ、近所のアーモンド畑。雑草が生い茂っていた。