頭が言った 侮辱するな 足が答えた ごめんなさい 尻が鳴った ほんとにごめん 不満が噴き出した 脇が濡れて ほっぺがふくらんだ時 思わず平手打ちした ちょっと待て 私はその手の指を見つめ
時間への後悔
芦屋芸術は詩・小説・文学・音楽・絵画・・・etc 芸術誌の発行とWEBでの表現を展開する芸術コミュニティサイトです。
頭が言った 侮辱するな 足が答えた ごめんなさい 尻が鳴った ほんとにごめん 不満が噴き出した 脇が濡れて ほっぺがふくらんだ時 思わず平手打ちした ちょっと待て 私はその手の指を見つめ
脳は上がってゆく すいすいしている 果てはない 脳よ お前は超自然物体だ 脳は 既に無数 それぞれの脳は 固有の宿命を生きた だから かつて無数の宿命が存在した そして今もなお上がってゆく 宇宙にちりばめられた無数の宿命
この文芸誌を松村さんから頂いた。私はこの4月の末に縁あって松村さんが経営している出版社澪標から「散乱詩集 一日、一詩。」という詩集を出したが、私の詩集の広告がこの文芸誌に掲載されているので送ってくれたのだろう。この文芸
これ以上 行き場がない 空間 空間であって もはや空間でない どんづまり 何も浮かばない 時折 ミシ ミシ という どこか 破れているのか 破れ目から 何かがやって来るとでもいうのか
きょうは五月最後の日曜日。芦屋浜の清掃の日。 思ったよりゴミの漂着は少なかった。そのぶん、タバコの吸いガラが目立つ。おそらく暖かくなってきて、海を見つめ、タバコを一服。ステキな気晴らし。そして足もとに吸いガラ。愛煙家
朝八時過ぎから、亀の池の掃除。五月最後の土曜日だが、晴れわたっていて、まるで初夏の朝。 きょうは愛犬ジャックの月命日。亡くなって七年七ヶ月になる。そんな思い出を胸にして、作業を終え、亀さんと二十分くらい庭で遊んだ。
こころと からだというが からだが すべてだった あなたのからだが ここにないから わたしは 闇へ落ちた むしろわたしが死んだほうがよかった
死が近づいてきた ボクの中を通り過ぎた 裏側へ出た 無数の穴 みんな生きていた
この5月11日に開催された日本詩人クラブ関西大会は大阪キャスルホテルが会場となったが、大会終了後の懇親会、それは夕方の五時半ごろから始まった。その折、初対面ではあるが同じ食卓に同席した竹西さんからこんな詩誌を頂戴した。
出版社「澪標」の松村さんに誘われて、日本詩人クラブ関西大会へ参加した。その席上で、永井ますみさんと出会った。郵送で詩誌の交換はしているが、会うのは初めて。直接手渡しでこの詩誌を戴いた。 「リヴィエール」
小説、短歌、詩、エッセイなど、さまざまな作品で構成されているこの文芸誌を読んだ。 「別冊關學文藝」第六十八号 編集人/浅田厚美 発行人/伊奈忠彦 2024年5月10日発行 読みごたえがあっ
この小説は周知のとおり一七四八年に獄中で書かれ、その年に第一部、翌年に第二部が発行されたが、猥褻文章として発禁処分となった。その後百年以上にわたって再販が認められなかった本である。 「ファニー・ヒル」
けさは快晴で、八時ごろから亀の池の掃除を始めた。作業をやっていると、汗ばんでくる。 亀はよく遊んだ。あちらこちら歩き回った。冬眠から目覚めて二か月近くになって、ごはんもそれなりに食べ、動きも見違えるようになった。
しばらく命とそれに応答する身体について論じてみよう。この学説は、ちょうど三日前の夜、シャワーを浴びてくつろいでいた際、突然ひらめいたものである。 爪が伸びるというのは 生きている証拠だ。 爪を切るとい
芦屋芸術二十号を七月一日に出版します。編集・校正の作業は終了し、後は印刷会社へ送るだけです。 内容は以下の通りです。 contents <招待作品> ほのかに薫る花冷えの回遊
水が 届いてくる ふとんの中まで ひとすじ 流れて 流し台から落ちていたり やかんに溜まっていたり 耳をそばだてれば 家じゅう あちら こちら 水音が聞こえてくる 今夜は なぜか
あと三十分だけ やらせて そしたら はいっていく 森の中へ だから あと三十分でいいの ねえ やらせて ね ちょっとだけ
二日前には人差指が宙に浮かんでいたが、きょうは魚が浮かんでいた。ダイニングテーブルの左端辺りから一メートルくらいの高さの空間だった。別に泳いでいるわけではなかった。魚の種類には疎い私でよくわからなかったが、背中が濃い灰
きのう、土曜日、午後から大阪で日本詩人クラブの大会に参加して懇親会も終わり阪神芦屋駅に帰って来たのは午後八時前。チョット飲み足りない。そのままリーザへ。ここはカラオケスナック。お店の終了時間、夜十二時まで。後はタクシー
もうその方向に逆もどりは出来ない 一方通行だった 背後に足跡と靴音を残して 今は こんな赤い袋の中から 青空を見あげている やがて足跡も靴音も途絶えた すべてが消えていた ただ 眼前に 未来へ向かって 人差指だけが一本
ずいぶん昔に買った本だが、いまさら手にして開いてみて、私はこんな感慨を持たざるを得なかった。この本を最後まで読んだ人は、この日本に現在何人いるのだろうかと。 「ロクス・ソルス」 レーモン・ルーセル著 岡
こうしてふたりは離れてゆくのだろうか 手ぶらのままで すべてを忘却して 右足さえ残さず くちびるから浮かぶ この黒い泡とともに
しんなりした てのひらが 踊っていた 水の中 すいすい していた 底の方から くちびるが ねっちゃり 浮かんできた 開いていた ふくふく 噴き出した ふくふく ふくふく 連続音が ふとんに寝ころんでいた わたくしの耳もと
来る日も来る日もわたくしは真昼になると近所の公園を通り抜け、芦屋の海辺を散策している。五月に入り、真夏日かと思われる日もあり、炎天下、たとい帽子をかぶっているとはいえ、頭の中では陽炎に似たゆらめきが立ちこめている。
家事は終わった。庭掃除のとき、雑草が目につき、あちらこちらそれをむしっていたため、いつもより遅くなってしまった。雨の気配がする中、朝九時前から、予定していた亀の池の清掃に取り掛かった。 余談になるが、きょうは連休の最
真っ暗な高速道路を軽乗用車で突っ走っている。夕刻になって冷蔵庫がほとんど空なのに気づき、あわてて晩御飯の食材を求めて彼は飛ばしているに違いなかった。しかしわざわざ真っ暗闇を走る危険を冒して高速道路のサービスエリアを探し
きょうは五月五日。こどもの日。日曜日。快晴。朝八時から芦屋ビーチクラブの活動開始。 浜の水際数メートルまであちらこちら雑草が。少し目に立つほどにまで伸びて。その雑草抜きをした。浜の雑草は根が深い。園芸用スコップで掘り
<原因> 酩酊して じっと椅子に座ってると 頭の中に どっと言葉が出て来た <結果> 脳に死 ごめん 詩が 陳列されていた 無音のまま
終わった きょうは もうすぐ あしたが来る このベッドで 一寝入りしている間に いや ひょっとしたら このベッドの上で あの世が来るのかも
すべては体内へ復帰する こんな一行が頭に閃いた わたしはこの歳になって もう冗談なんて言うつもりなどさらさらない 晩年はとても生真面目に生きていたい ところで さらに閃光が頭の中を駆け抜け 二行の言葉の足
こんな詩集を出版しました。今回は「芦屋芸術」からではなく、縁あって「澪標」から出版しました。 「錯乱詩集 一日、一詩。」 山下徹著 出版社/澪標 発行日/2024年4月20日
そうだったか 知らなかった 恋は体内をかけめぐるんだ いいじゃんか 体内があなたの夢でいっぱい それが恋だ! 私も制覇された一人だ
先週の日曜日は雨天で芦屋ビーチクラブの活動は中止。きょうは四月最後の日曜日。目を見張るような快晴だった。朝八時前から浜へ向かった。 気温が上昇しているのが肌身に感じられた。清掃作業を続けていると、半袖シャツだが、汗が
夕方、また「正夢」で落ち合った。雨が降る平日で、ほとんど客は見えなかった。高齢の男性が一人、カウンターで酒を飲みながら小皿からシメサバを箸でつまんでいる。 「奥の座敷を使っていいよ」 ママの言葉に甘えて、カウンターと
頭の中は さざ波が ふいに 荒波に変わるように 二片 三片 の言葉が 突然密集して荒れ騒ぐ ホラ 詩がやって来た 急げ いますぐだ それを書け! 一度チャンスを逃したら あとは
われわれはあれこれ体内に吸収しているだけではない。多数のものを放射して生存している。言うまでもなく、こうした論説のごときものを体内から吐き出すのもまた放射現象のひとつである。 行き詰って来ると 放射量は減少する 従っ
十年一日の如しというが、確かにE子が亡くなってこの十年間、中身のない、空虚な日々を過ごしてきた、私にはそう思えて仕方なかった。生活の芯がなかった。ここで敢えて「芯」という言葉を使ってみたが、それは生活を支える楽しい行為
そういうわけで、同じ趣味で知りあった者同士の飲み会で彼女と出会うまで、繰り返しになるが、私は女性と触れ合うなんて及びもつかなかった。初めて二人で飲んだあの夜以来、二日か三日おきには甘いささやきに近い言葉をラインに書き込
同じ屋根の下で暮らしたE子を喪ってもうすぐ十年になる。この十年間、私は女性と触れ合うことが出来なかった。腕を組んだり、肩を抱いて歩くことさえできなかった。おそらく四十三年間愛しあったE子の記憶が心の奥に住んでいて、他の
もうずいぶん昔の話になるが、この本をざっと読んだ記憶がある。だが中身はすっかり忘れている。何故か、もう一度読んでみようと思った。 「娘たちの学校」 M・ミオ―&J・ランジュ著 菅原孝雄訳 ペヨト
けさ八時半ごろから亀の池の掃除をした。冬眠から目覚めて二十四日目。掃除をしている間中、庭で遊んでいたが、動きはかなり良くなっている。また、去年の私を少し思い出したのか、じっと見つめ、ゆっくり近づいてきた。
四人の飲み会だった。女性一人に男性三人。その三人の中の一人が私。何をオシャベリしたのか皆目思い出せない。そもそも飲み会ってそんなものだろう。他愛ないオシャベリをして、夢中になって、盛り上がって、三々五々、お別れするのだ
あれは確か二年前の八月ではなかったか。真昼の炎天下、芦屋の浜をさまよい歩き、毎日海を見つめて暮らしていた。すべてがキラキラ光っていた。空も海も砂浜も私の体も全体が共振し反射し震えていた。頭の中まで光があふれていた。あな
何が浮かんでいるのか、わからなかった。何かだ、彼は独り言ちた、何かが浮かんでいるに違いない。 流木だろうか。まさか。頭の中に流木が浮かぶだろうか。そんなはずはない。もっと柔らかいものだ。だって、もし流木ならば頭の皮を
こんな詩誌を読んだ。 寄稿文芸誌「KAIGA」No125 編集発行人 原口健次/発行所 グループ絵画 2024年3月31日発行 全体は四人の作家、十篇の詩で構成されている。執筆者は前号と
もう寒い日は来ないだろう 秋まで この厚手のズボンも 洗おうと思う 冬ものをきれいさっぱり洗濯機に入れて 物干しに干そうと思う きょう 春を迎えようと思う もう少し 生きてみようと思う
きょうのお昼、亀さんの池の掃除をしました。先月二十七日に冬眠から目覚めて、ちょうど十五日目。半月間、無事でした。 まだ空気は冷たく、ご飯はほとんど食べません。これから暑くなっていくときっと食欲も旺盛になるでしょう。
春の七草のひとつ、ハコベは小さな白い星の形をした花を咲かせる。可憐な花。この花の名を題にした詩集がある。 「ハコベの唄(うた)」 西山光子著 澪標 2024年3月31日発行 名は体を表す
優しくされたら うれしくて ヘイ 冷たくされたら かなしくて ヘイヘイ 雨ざらしの下で 生きてるんだもん ヒョッコン 腹ペコのままで 泣いてるんだもん ヒョコヒョコ あおむいたまま 倒れていく
いまから思えば、ほとんど心の奥底からほとばしりでた叫びに近い文章ではなかったか。私が知っていた彼。私より七八歳年長だった彼。もう六十年近い昔の話だが。その彼が遺した文章、まだ十代半ばだった私はそれをむさぼるように読んだ