芦屋芸術|芸術誌・現代詩・小説

世界の詩集第二巻「ボードレール詩集」

 ワイフの遺品、世界の詩集の第二巻は「ボードレール詩集」である。ボードレール、つまり言葉の毒薬、そう考えて大過あるまい。  若い頃、ボードレールは比較的よく読んだ作家だった。人文書院から出ている「ボードレール全集」全四巻

「般若経」を読む。

 母方の祖母はよく般若心経を誦していた。まだ若い頃に祖父、つまり彼女の夫が行方不明になったことが影響していたのだろうか。祖父は戦前、政治犯等を調査する外事課に勤務していて、満州で変装している姿を見かけたという噂もあったが

世界の詩集第1巻「ゲーテ詩集」

 この詩集はワイフの遺品である。全十二巻の第一巻。ボクは彼女がこの世を去ってから、遺された彼女の本を出来る限り読んでしまおう、特にボクと出会う前に彼女が読んでいた本を。この詩集もそんな本の中の一冊である。  

「ふたりだけの時間」について

 きょうはボクのワイフの三年目の命日である。ちょうど二年前のきょう、二〇一五年七月十九日、仏教で言えばボクのワイフの一周忌の夜のことだが、我が家で二十人近い友達や息子夫婦を呼んで、ボクのエレキギター演奏をバックに、ケータ

さとう三千魚詩集「浜辺にて」

 この詩人の作品の本質を言えば、「海を見つめる言葉」といっていいだろう。そこにはもちろん海はある。そして海につつまれて突堤があり、無数の波があり、突堤に打ち砕かれたしぶきがあがり、両耳には騒ぐ海の音と、頭上から落ちてくる

源信の「往生要集」

   空海はその主著「秘密曼荼羅十住心論」で、十章ある十住心の第一章、第一住心を「異生羝羊住心」と規定している。異生とは凡夫、羝羊は雄羊。性欲と食欲のおもむくままに生きている生命体(人間)を宗教哲学的に分析して

「ブッダのことば」

 意外ではあるが、この書には慈悲への言及が極めて少ない。慈悲を主題にしているのは、本書の33頁から34頁にかけて、「第一 蛇の章、八、慈しみ」だけである。まだこの頃、覚者(仏)の慈悲というはっきりした考え方はなく、世間で

「浄土三部経」

 この本をボクは二十七歳の時に読んだけれど、読後、西暦100年前後に北インド辺りで書かれた仏教徒の宗教的ユートピア論だと思った。物質的・経済的に貧しい人々を底辺で働かせて、ほんの一握りの軍事力を持った権力者が贅沢三昧の生

星野元豊の「講解教行信証 補遺篇」

 本書は星野元豊が八十六歳の時に上梓されている。丁度四十歳年下だったボクは、三十代半ばから徐々に好きだった宗教・哲学あるいは経済学の書をほとんど読まなくなっていた。もともと詩、とりわけ明治以降の近代詩から現代詩を十代から

星野元豊の「講解教行信證 化身土の巻(末)」 

 星野元豊の「講解教行信証」全六巻を読み終わった。長い浄土の旅から自宅に帰ってきた。自然虚無の身、無極の体。はたしてこの境界に達し得たか?  思えば三十代前半、第二巻の「講解教行信証 信の巻」の道半ばで挫折。言い訳になる

星野元豊の「講解教行信證 化身土の巻(本)」 

「水俣がこんなに近いんですね。お寄りする前に水俣駅周辺を少しぶらぶらしました」 「山下さん、わたしは、あれには怒ってるんです」  ボクのような若造がこんな感慨を洩らすのは、失礼かもしれない。しかし、「怒ってるんです」と少

星野元豊の「講解教行信證 真仏土の巻」

「せっかくここまで来られたから、滝沢克己さんに会っていけばいいんだが、あいにく彼はドイツに行っているから……」 「滝沢先生……神即人、人即神の不可分・不可同・不可逆の原関係……この言葉を初めて知った時、震えました」  あ

星野元豊の「講解教行信證 信(続)証の巻」

 ちょうど四十年前、鹿児島県大口市にある大嵓寺の住職星野元豊師をお訪ねした理由は、ただ、一度でいいからお会いしたかった、それだけである。なにか、引力のようなものを感じていた。仄暗い座敷に対座して、ほとんど朴訥と言っていい

星野元豊の「講解教行信證 信の巻」

 一九七七年五月、鹿児島県の大口市にある大嵓寺に星野先生をお訪ねした折の思い出を、少し語りたい。この頃、先生はライフワークの「講解教行信証」の執筆に集中していて、おそらくボクのような一面識もない若造を相手にしている時間な

きょう、イイこと、ありました!

 仕事を休んだ。平日は毎日二時間前後、事務所に顔出ししているのだが。きょうは四月の十九日。ワイフの月命日。この七月で、この世を去ってまる三年になる。ボクラはふたりで商売をしていたので、朝から晩までいつもいっしょだった。だ

星野元豊の「講解教行信證 教行の巻」

 ボクはちょうど四十年前、星野先生をお訪ねした事がある。その頃、ボクはワイフと長男を連れて東京に流れて、ほとんど赤貧に近い生活を送っていた。もう二十八歳になるかならないか、言ってみれば今の世でいう所謂フリーターで、出来る

栄西を読む

 この本を手にしたのは今から四十年近い昔、ボクは二十八歳だった。仏教にかかわっている人はいざ知らず、ボクのような門外漢で、栄西の本を手にするのはおそらく珍しい部類だったろう。    日本の禅語録第一巻 栄西 古

酒を捨てる(続・続・続)

 酒から自由になれたと思う。事のおこりは先に書いたが、自戒の意味で再書する。  今年の一月十九日、亡くなったワイフの月命日の夜、夢の中で、「とんちゃん、お酒、止めな」、彼女はそう告げた。翌二十日からほぼ二ヶ月間、ボクは家

選択本願念仏集

 この歳になるまで、ボクは法然の文に直接触れたことはなかった。また、そんなことを考えもしなかった。心変わりがしたのは、おそらく、四十三年間、愛しあったワイフと死別した、仏教でいう「八苦」の中の「第五苦」にあたる「愛別離苦

空海コレクション4

 この巻では、「他縁大乗住心第六」、「覚心不生住心第七」、「一道無為住心第八」、「極無自性住心第九」、「秘密荘厳住心第十」の五住心が収められている。空海コレクション3の五住心と併せて「十住心論」のすべてが明らかになる。

酒を捨てる(続・続)

 酒が欲しい。頭の中で騒いでいる。わめいている。ボクの背後で、誰か得体の知れないものが、酒を飲め酒を飲め、連呼している。おびただしい声。あわただしいおしゃべり。増殖する声をボクは大きな消しゴムで消し続けている。頭に繁殖し

酒を捨てる(続)

 酒を捨てる、といっても、なにも冷蔵庫で休んでいる缶ビールや、戸棚の陰に立っている焼酎を、流し台へ傾けて、どくどく音たてるわけではない。心の片隅に捨てるのである。  先月の十九日、ワイフの月命日の夜、彼女が夢に現れて、「

週刊「マンガ日本史」

 ひょんなことからジュニア向けの週刊誌を定期購読することになった。毎週火曜日の午前九時前後、ボクのお家のポストの中にその雑誌は眠っている。  創刊号は「卑弥呼」で2015年1月27日に発売され、終刊は「ヤマトタケル」でつ

空海コレクション3

 空海コレクションは1と2の二冊しか出版されていない、ずっとそう思っていた。ところが、ある日、続刊が出ていることをネットで知って、早速購入した。    空海コレクション3  福田亮成 校正・訳 ちくま学芸文庫

エリアーデの「シャーマニズム」

 十年くらい前、エリアーデの「世界宗教史」全八冊(ちくま学芸文庫)を読んだ。読んだ理由のひとつには、ボクもワイフも海外旅行が好きで、一緒にあちらこちらの遺跡を訪ね歩いたことも、多々あった。そんな旅行者には「世界宗教史」は

酒を捨てる

 ボクのワイフが亡くなってちょうど二年半。今年の一月十九日の月命日、深夜、夢の中で、彼女が来た。 「とんちゃん、もうお酒を飲むの、止めな」  だから、ここ数日、家では酒を飲んでいない。ただ、晩飯を外食した時、生ビール一杯

高木重朗著「トランプの不思議」

 「トランプの不思議」という書名を見て、米国の大統領に選ばれた「トランプ」氏を思い浮べる方も多いだろう。が、この本はそのトランプ氏ではなく、欧米のカードとかプレイングカードを日本では「トランプ」と呼ぶ習慣があり、つまりこ

空海コレクション2

 空海は、こう言う。 「仏身、即ち是れ衆生身、衆生身、即ち是れ仏身なり。不同にして同なり、不異にして異なり」(『即身成仏義』から。本書104頁)  砕いて言えば、ボクのような暗愚・痴情の徒が、即ち仏である、とこういうこと

空海コレクションⅠ

 2010年9月7日。中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突。まだ記憶に新しいと思うが、いわゆる「尖閣諸島中国漁船衝突事件」。  2010年10月19日。ご近所のS夫妻とボクとワイフと四人連れで西安に。上海に一泊。翌日、西安

南方熊楠随筆集

 南方熊楠を知ったのは、稲垣足穂の作品の中だった。稲垣足穂大全全六巻が現代思潮社から出版されたのは1969年から70年にかけてだから、そして当時にしては高価な本だったがどうしても読みたくて全巻買った 、ボクが二十一歳の時

トルストイの「復活」

 ボクはトルストイのいい読者ではない。彼の三大長編小説といわれている中で、ボクは「戦争と平和」と「アンナ・カレーニナ」しか読んでいない。「戦争と平和」は二十歳前後の頃に読んだのだが、それというのも、あの当時、つまり四十五

ノーマン・メイラーの「鹿の園」

 この本の奥付を見ると、昭和四十四年四月二十五日発行となっている。初版本である。付帯された月報は(1)となっているので、全八巻の全集の第一回配本、そう推定出来る。ボクのワイフは二十一歳。噂によると、社会主義者であり、マル

魯迅再読

 ボクは、昔、岩波文庫で読んだ。昔と言っても、もう五十年前後たっているから、十年ひと昔、むしろ大昔と言っていいと思う。そして、その文庫本も散逸してしまった。  えっちゃん、つまり二年余り前に亡くなったボクのワイフが持って

ジャックは永眠しました。

十月二十五日(火)午後零時四十五分、ジャックは永眠しました。二年余り前、ワイフを喪ったボクを、ジャックはずっと支えてくれていました。  きょう、朝の散歩で元気がなかったジャックが気になり、なぜか胸騒ぎがして、仕事を切り上

彼女を東京湾へ帰す

 ボクのワイフが亡くなって二年が過ぎた。けれど、彼女の骨は我が家のダイニングの東窓の飾り棚に遺影とならべて、花々に彩られて置かれている。花の水替えがボクの日課になっている。そして、骨壷と遺影を挟んで、彼女がボクと同じ屋根

久しぶりに、「サルトル」を読む。

 おおよそ五十年前後昔の話である。ボクが十代だった頃、カミュやサルトルに代表される、所謂「実存主義」がもてはやされた。しかし「実存主義」って、今ではもう限りなく死語に近づいているのだろうか。あの当時、カミュの小説「異邦人

「ジェーン・エア」

 シャーロット・ブロンテが31歳の時に書いた小説を読む前に、聖書を読んだことがない人は、少なくともこの文章をあらかじめ読んでおく方が、ベターではないか、ボクはそう思う。   「それで人は、すべての家畜と、空の鳥

ゾラの「居酒屋」

 この本の奥付の発行年月日からみて、おそらくボクのワイフはこの本を高校生の時に読んだと推測される。    世界名作全集7「ゾラ」(黒田憲治訳、河出書房新社、昭和41年10月25日発行)    四五年昔

ふたたび、海へ

 夏が来れば、まだジャックが五歳くらいまでは、毎朝、近くの浜へボクとワイフといっしょに散歩して、彼は海で泳いでいた。冬でも暖かい朝なら、海好きジャックは泳ぎ出した、ワイフが投げたボールをめざして、それをくわえ、ふたたびワ

「風と共に去りぬ」

 ワイフがボクより早く他界しなければ、おそらく一生ボクはこの本を読まなかったと思う。彼女が亡くなってこの七月で二年目を迎えるにあたって、彼女の思い出に、この本を読んだ。    「風と共に去りぬ」世界文学全集21巻・22巻

モームの「人間の絆」

 若い頃に買ってそのまま本棚に眠り続けている本を、この頃思い出したように読み始めている。わざわざお金まで出して買ったということは、多かれ少なかれ読もうと欲望したわけで、食べたいと思って買った食材が冷蔵庫の片隅でじっとして

偶然の一致

 2016年4月2日、きょうはボクにとって特別な日です。というのも、おととしの7月19日にワイフはすい臓ガンで亡くなりましたが、66年320日間の生涯でした。彼女はボクより年上で、きょうがワイフが生きた時間にようやくボク

山之口貘を読む

 ボクの仕事のパートナーでもあったワイフが二年前の七月に永眠して、それからほぼ一年後、彼女とふたりで設立した会社の代表者をボクは辞任した。これでひとまず過去と別れて悠々自適の独身生活か、と思いきや、去年の7月19日、彼女

聖なる場所

 ボクのワイフは生前、「亡くなったら散骨にしてね」、そう言ったかと思うと、夕方、芦屋浜を愛犬ジャックと一緒に散歩しながら、「樹木葬がいいかも」  散骨がいいのか樹木葬がいいのか 、おととしの七月に彼女が亡くなってから、ボ

年末、モーパッサンを読む

 その昔、二十歳の頃、フローベールの「ボヴァリー夫人」を読んで、おもしろくないと思った記憶が残っている、ただ教養のために最後まで我慢して。もともと性急でこらえ性のないボクは、長編よりも、むしろ彼の後期の作品「三つの物語」

 ワイフがなくなってもうすぐ二回目のお正月を迎えようとしている。しかし、まだ、ダイニングの東窓の飾り棚にワイフの遺影と骨壷が。まわりはにぎやかな花々。  お骨は気がすむまでここに置いておこう。  きのう、ワイフのお友達と

北村順子の短篇集「晩夏に」

 一気に読んでしまった。一言でいって、常に前進する時計の時間ではない、収録された九篇の作品を読みすすむにつれて、生きている時間が流れてきた、登場人物たちの現在と過去の落差、その切り口に無音の血が零れている、そんな生きてい

「カラマーゾフの兄弟」再読

 この本の巻末の年譜を見れば、懐かしい書名がずらりならんでいる。ドストエフスキーが二十四歳で書いた「貧しき人々」から始まり、「分身」、「白夜」、「虐げられし人々」、「死の家の記録」、「地下生活者の手記」、「鰐」、「罪と罰

ホセ・ドノソの「別荘」

 ホセ・ドノソの小説を初めて読んだ。  1980年代半ば辺り、日本でもラテンアメリカ文学のブームがあり、集英社から「ラテンアメリカの文学」全18巻が出版されたりした。ボクもブームにのって、ボルヘス、マルケス、フエンテス、

もう森へなんか行かない

 昔読んだ本の細部が夢の中で浮かんできた。  西脇順三郎と石川淳が対談している。松尾芭蕉の「笈の小文」を「オイのコブミ」ではなく「キューのショーブン」と読むべし、西脇が主張している、石川は反論しているが。おそらく酒を飲み