芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

 もし台所でお手伝いをしてなかったら、去年の夏、ワイフがなくなってから、日常茶飯事を毎日反復するのに、あらぬ手間ひまをとり、ボクは言いがたい苦痛を味わったに違いない。

 台所のお手伝いは、食器の水洗いから始まった。もう30年以上昔になるかと思うが、洗剤を使って食器を洗うとワイフの指は荒れ、特に人差指はひび割れて痛ましかった。ワイフの裂けた指先を見つめ、「これから水洗いはボクがやるから」、台所にボクが立とうとするのを、ワイフは顔色を変えて拒否した。ボクが台所に立つと自分の領域を侵された気持になったのだろうか。

 食器洗いから始まってあれこれお手伝いをやりだしてから、ボクの勝手な想像だけれど、ボクラの愛は深くなったように思う。あの時、ワイフの拒否をそのまま受け入れていたら、多少おおげさになるかもしれないけれど、ボクラの間にはもう少し淡白な時間が日々流れていたのでは。

 だがボクは、えっちゃんの指のひび割れが直るまでボクに水洗いをさせてくれ、そうお願いしたまま、今日まで続いている。お手伝いしていて、よかった。彼女がなくなってからもなんとか日常茶飯事をこなし、毎日包丁で野菜や愛犬ジャックのためにササミを切ったりしている。

 冬の朝、台所に立つと、時折、ボクは彼女の指の痛みを感じることがある。身体の細部と愛は深い関係にあるのかもしれない。