芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ギリシア悲劇全集第四巻

 

 第四巻は第三巻から続いてエウリピデスの悲劇の翻訳である。この巻でギリシア悲劇全集全四巻が終了する。

 

 ギリシア悲劇全集第四巻(昭和44年7月10日重版、人文書院)

 

 ボクは古代ギリシア文学の専門家でもないし、エウリピデスについてとやかく言う能力などない。ただおもしろいと思ったのは、まずエウリピデスの無神論。例えば―

 

 「神の御心に背くまいと、尽して参りました苦労の数々も、誰のためにもなるのではなく、つまらぬ骨折損でございました。」(54頁)

 

 「いいえ、神さまだって、不幸な者の言うことは、どなたも聞きとどけては下さらないのです。」(111頁)

 

 そして現代の日本人ともそれほど変わらない現実認識。例えば―

 

 「おお、抗いがたくやって来る老いの日よ、どれほどわしはお前を憎むことか。またわしは憎む、あたえられた寿命を長びかせようと願い、飲み食いの薬や呪いの力で何とかして死を避けようと、生命の水路をわきへそらせようとする輩を。かれらは、もはや何ひとつ地上の役に立たなくなったならば、さっさと死んで消えうせ、若者たちにところをゆずるべきなのだ。」(97-98頁)

 

 「つくづく思うことは、金銭というものが、いかに大きな力をもっているかということだ。お客に何かを出すにしても、また身体の病いにかかった時に、これの治療の費用を出すにしてもだ。しかし一日分の食費は、大したことではない。金持にしても、貧乏人にしても、誰も満腹するのは同じような分量で足りるからだ。」(120頁)

 

 また、金言の宝庫でもある。「アウリスのイーピゲネイア」から引用してみよう。

 

 「人間誰しも死ぬまで仕合せなものはいない。生れた以上、苦しまねばならないのだ。」(430頁)

 

 「人がもし賢明といわれたければ、良い妻を娶るか、さもなければ結婚などするものではない。」(447頁)

 

 「人の生には必ず不運が待ちうけている」(464頁)

 

 最後にギリシア悲劇全般について、悲劇作者が無意識に前提している観念のいくつかをあげ、ボクなりの意見も加えておく。

 

1.戦争について

ギリシア悲劇を読んでいると、戦争を背景にした作品が多々あるが、戦勝国は敗戦国を奴隷にする、この事実があちらこちらに書かれている。つまり、ギリシアの都市国家で奴隷制が確立するのは敗戦国の国民を奴隷として搾取するのが原動力だったろう。従って、悲劇作者たちも、ギリシアの都市国家の恩恵を受けている以上、戦勝国は敗戦国を奴隷とするのは当然のこととして、ほとんど無批判に受容している。

 

2.神について

古代ギリシアの国家権力者は必ずみんな神の血統書が付いている。従って、さまざまな国家にその国家固有のさまざまな神が存在する。ギリシア悲劇の中では、すべての国家権力者の祖先は神から生まれたのである。言うまでもなく多神教の世界ではあるが、その神々を最後はゼウスが統一する。しかしゼウスは、さまざまな国家に発生したさまざまな神々を廃絶せず、自らの権力の維持・発展のため、彼らを生かして利用する。

 

3.犠牲について

ギリシア悲劇によれば、国家の儀式に使用される犠牲は人間であって、しかも国家権力者あるいはその一族だった可能性が高い。それが人間から次第に動物に移行する。祭壇を国家権力者あるいはその一族の血で濡らすということは、ひょっとしたら犠牲とは権力の移行に関係していたのかもしれない。

 

 「戦争」、「神」、「犠牲」、これらの潜在的な観念とそれの実現への意志は、奴隷を抑圧・搾取して成立するギリシア民主制の象徴的言語を示しているのかもしれない。