雲は えっちゃんではない 雲は 雲でもない ボクがたまたま日本語で 君を雲と呼んでみただけ *写真は、二月三日お昼頃、芦屋浜から雲を、スマホで私が撮った。
七年の後に その27
芦屋芸術は詩・小説・文学・音楽・絵画・・・etc 芸術誌の発行とWEBでの表現を展開する芸術コミュニティサイトです。
雲は えっちゃんではない 雲は 雲でもない ボクがたまたま日本語で 君を雲と呼んでみただけ *写真は、二月三日お昼頃、芦屋浜から雲を、スマホで私が撮った。
きょうもお昼頃 公園で一人で立っていた えっちゃん楽しかったな そう呟いていた 時間が解決するよと友達は慰めてくれた でも 愛に関して言えば 時間は解決しなかった もう七年は過ぎてしまったけれど
雲には感情はない 悲しみもない *写真は、二月一日のお昼頃、芦屋浜の堤防を西から東に向かって、スマホで私が撮った。
今年の年初、一月に読んだ本の中で、アベ・プレヴォの「マノン・レスコー」は一七三一年、ラクロの「危険な関係」は一七八二年に発表されている。ならば、この一月の終わりを飾るには、この本がもっともふさわしいであろう。 &nbs
最近、我が家に近い公園におおぜいのカメラマンがやって来る。今朝も九時頃散歩していると、やはりたくさんのカメラマンで賑わっている。私はハンチングを被った年配のカメラマンに聞いた。 「ちょっとお伺いしますけれど、最近カメラ
冬だというのに 頭の中で また 蝉が鳴いている 二〇一四年七月十九日の夜明け 妻悦子が緩和ケア病棟で永眠して お昼頃 棺で我が家へ帰った日、 庭の木で いやに騒がしく 蝉が合唱していた。 &nb
まだ 心の中に 亡妻えっちゃんが住んでいる ぐずぐずして いつまでたっても あの世に 引っ越そうとはしない 毎日 笑顔で 見つめてくる あるいは ボクの心の座敷牢が 彼女を閉じ込めたまま イヤがるのを 無理矢理 監禁して
先日読んだラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」は一九二四年に、今回読んだこの本は一九二九年に発表されていて、両書とも、その当時ベストセラーだった。第一次世界大戦と第二次世界大戦の間にフランスで咲いた、愛欲を主題にしたアヤ
今年は雪が多いのか。六甲山でさえ三度目の雪を被っている。中でも、今朝見る雪がもっとも華やかな風情だった。といって、雪国からすれば、すべてあどけない少女の薄化粧に過ぎないけれど。 こんな他愛ない思いを脳裏に描いて、六甲
昨夜、雪が降ったらしい。私が起床した午前三時頃には既に止んでいたが、ガラス戸を覗くと、部屋から漏れる明かりや街灯や門灯に浮かんで、我が家のウッドデッキや門前を走るアスファルトの路面やらあちらこちらウッスラ雪に覆われてい
自分なりにわかるのだと思う そして 自分なりに生きるのだと思う
今年 はじめての いさよいの月を見ようと また 芦屋浜まで わたしは歩いていた こまかいミゾレのような雨は 七時前にはあがって 雲が切れ そこから星が出た 二〇二二年一月十九日 きょうはえっちゃんの月命日
睦月の満月を背に 暮れ落ちた 芦屋浜へ きょうもまた わたしは出た ひとつの月に ひとつの人影
一月の 待宵の月 もう一度 君が好きだと言いたい
やはり今年は年初から恋愛心理小説を読み続けてしまった。 「ドルジェル伯の舞踏会」 ラディゲ作 江口清訳 「世界文学全集」Ⅱ―4 河出書房新社 昭和39年7月10日初版 先日読んだラファイ
今年は年初から、「危険な関係」、「クレーブの奥方」に続いて、私はさらに恋愛心理小説の名作を読み進んでいたのだった。 「マノン・レスコー」 アベ・プレヴォ作 杉捷夫訳 「世界文学全集」Ⅱ-4所収 河出書房
お昼と 夕方と 毎日二回 芦屋浜で 海を見ている
脳は 妄想の溜り場 えっちゃんが生きている!
えっちゃんは ひとりしかいない
こころは いくつもあるわけではない ここに ひとつあるだけだ
後藤光治さんから個人詩誌が送られてきた。 後藤光治個人詩誌「アビラ」8号 2021年12月1日発行 巻頭にはいつものように「ロラン語録」を掲げ、詩作品六篇、「ロマン・ロラン断章」、「清水
永井ますみさんから送っていただいた詩誌を読んだ。 「現代詩神戸」275号 編集 三宅武・永井ますみ・田中信爾 2021年12月10日発行 十九人の詩人が作品を発表している。環境問題を扱っ
先田督裕さんから詩誌を送っていただいた。 どこか「おかしみ」が感じられる詩が多々あった。特に男性群の詩はその傾向がいちじるしく、ほとんど「滑稽」と言えるのだった。 「布」三十八号 2021年9月20日
永井ますみさんから送られてきた詩誌を読んだ。 「リヴィエール」179号 発行所 正岡洋夫 2021年11月15日発行 十八人の詩人の詩十九篇、七人の詩人のエッセイ七篇で構成されている。
きょうも また 芦屋浜に 出た えっちゃんも ジャックも アニーも もういない 確かに もういないけれど 私は スマホで 海を 撮っていた
数日前にラクロの「危険な関係」を読み、そうだ、恋愛心理小説の作品をもう少し読んでおこうと思い、この本を選んだ。 「クレーヴの奥方」 ラファイエット夫人作 生島遼一訳 世界文学全集Ⅱ―4所収 河出書房新社
雲が切れて 海がキラキラしてる
新年が来た。私の年頭の読書体験は、これだ。 「危険な関係」上巻 新潮文庫 平成元年九月二十日十刷 同上 下巻 新潮文庫 平成元年九月二十日七刷 (ラクロ著 新庄嘉章、窪田般彌訳) &nb
あの頃は 海よりも ジャックや えっちゃんを見ていた 今は 海を見つめている
「雪だ」 「久シブリネ」
このホウキを買って もう一年 彼女がいなくなって 七年半だった
スベテガ 消エテユク 脳ガ 走ル 点滅スル 脳ダケガ
この十二月四日、第一土曜日、私は地域活動をやっているある団体の会合に参加した。というか、この団体は毎月第一土曜日の夜にご近所のサイゼリアで会合をやっていて、会員になっている私は時間が許す限り参加している。言うまでもなく
けさ 花は いちだんと きれい
無宗教のくせに何を思ってか、私は十月辺りから主にキリスト教神秘主義の文献を読んでいるが、この本もその流れにそって、扉を開いた。 「シレジウス瞑想詩集」(上巻) 岩波文庫 2005年11月16日第3刷
(ワイフを失ってから、出勤前、私はよく近所の親水公園を散歩する) 「いま、何時」 「朝の 九時十五分」
私は二十九歳から、亡妻「えっちゃん」とふたりで、主に損害保険の代理店を家業にして、この世を渡って来た。現在七十二歳だから、もう四十三年間、この仕事で家族の衣食住をまかなってきたわけだ。 この間、代理店業の在り方も時代
このまま木になって 立っていたい
心の底に 浮かんでいるのは 笑顔で見つめる えっちゃん ひとりだった
無宗教の私にとって、この本の感想文を書くのは、トテモ無理だろう。生まれてからこのかた不勉強のため、キリスト教を含めて、あらゆる宗教に精通せず、ひとかけらの宗教心も宗教体験も持たない身であってみれば、それは当然の話だった
次男が小学校五年生の時の誕生日のプレゼント、イシガメさんが、きょう、冬眠します。 来年の春三月、目覚めたときは、三十三歳。 例年、十二月の中旬頃に冬眠させますが、ここ数日とても寒くなったので、私はきょう実行する決意
旅にでようと思う 雲の上まで
私がこの本を再読した理由は、過日、ベルグソンの「道徳と宗教の二源泉」を読み、彼は極めて積極的にキリスト教神秘主義を評価しているのを知った。もちろん、宗教における神秘体験に関して言えば、仏教でもイスラム教でも絶対者や仏な
なにもかんがえない 枯葉をみていた
君がいないから 空をみあげる
この無宗教の私が、はたして神を観ることが出来るのだろうか? そのためには、いかなる有効な方法があるのだろうか? 今回再読した本にはそのヒントが提言されている。その一例をあげてみよう。 旧約聖書の冒頭の「創世記」には、
六甲山には懐かしい思い出がある。 まだ三十代前半の頃、私たち四人家族は休日のたび、よく六甲山のハイキングに出かけた。リックサックに簡単な昼食、例えばおにぎりとかカップヌードルなどを詰め込み、さまざまなコースを歩いた。
なるほど この坂は なだらかではあるが いつまでたっても 下降するばかりだった けっして 全身 おおげさな身ぶり手ぶりで 崩壊するのではなかった 崩壊する前に すでに沈んでいるのだった 両手 両足に 海の藻がからみついて
昔、半世紀前、二十歳頃に読んだこの本に、おそらく少なからず影響されていた、私はそう振り返る。こんな個人的な話を続けてオシャベリしてゆくが、私は二十二歳の時に書いた「ハンス・フアプーレ」という作品を去年の十月二十五日に発
言葉も靴も 人間の脳から生まれた 靴は 足の数だけ必要なので 大量生産しなければならなかった 一方 言葉は 無数の脳の中で さまざまに変化して生きてきた