芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

イグナチオ・デ・ロヨラの「霊操」再読

 私がこの本を再読した理由は、過日、ベルグソンの「道徳と宗教の二源泉」を読み、彼は極めて積極的にキリスト教神秘主義を評価しているのを知った。もちろん、宗教における神秘体験に関して言えば、仏教でもイスラム教でも絶対者や仏などと人との合一体験は語られているが、キリスト教の場合、神と人との合一体験を原点にしたキリスト者=聖者によって貧民救済や弱者救済などの社会活動が献身的に展開されるのだった。ベルグソンは第一次世界大戦後、荒廃したヨーロッパを眼前にして、キリスト教神秘主義のこのダイナミズムによる将来の社会改革を期待したのだった。そして、キリスト教神秘主義を紹介している本として、イブリン・アンダーヒルの「神秘主義」を紹介していた。

 私は、早速「神秘主義」という本を購入し、その読書感想文を「芦屋芸術」のブログに書いた。そればかりではなかった。「神秘主義」の中に引用されている本で、かつて私が読み、現在我が家の本棚で眠っている本をたたき起こした。エックハルトの「説教集」、「神の慰めの書」、ダンテの「新生」、「神曲」、クザーヌスの「神を観ることについて」、これらの本を再読し「芦屋芸術」のブログにその感想文を書いた。下記の本もその流れの中の一冊だった。

 

 「霊操」 イグナチオ・デ・ロヨラ著 門脇佳吉訳・解説 岩波文庫 2004年6月25日第5刷 

 

 この本の著者イグナチオはイエズス会の創立者だが、イエズス会と言えば、私のような無宗教の日本人にはむしろパリ大学でイグナチオに影響を受けて創立メンバーの一人だった同じスペイン人のフランシスコ・ザビエルを思い浮かべるのではないだろうか。日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコだが、千五百年代にスペインからインドや日本にまで渡航して布教したその活動をみれば、そして異教の国で多くの人々をキリスト教に改宗した超人的な苦行を思えば、イグナチオがどんな宗教家だったか、おおよそのところは思い至るだろう。

 さて、イグナチオはもともと騎士道に心酔し、極めて勇敢な騎士としてフランス軍と戦い足を負傷、療養生活中に彼の心に神がやって来る。この神秘体験から彼はキリスト教に転向、スサマジイ騎士生活をかなぐり捨て、スサマジイ宗教生活に身を捧げる。この時の神秘体験を原点にして、この体験を多くの人に経験してもらおうと表現したのが、今回再読した「霊操」だった。私はイグナチオの文章を読んでいて、何故か聖パウロの匂いがした。彼等の場合、もはや彼等が生きているのではなく、ふたりのキリストが生きているのだった。