芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

レチフの「パリの夜」

 今年の年初、一月に読んだ本の中で、アベ・プレヴォの「マノン・レスコー」は一七三一年、ラクロの「危険な関係」は一七八二年に発表されている。ならば、この一月の終わりを飾るには、この本がもっともふさわしいであろう。

 

 「パリの夜」 レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ著 植田祐治編訳 岩波文庫 1999年11月8日第7刷

 

 この作品は、一七八八年から一七九四年にわたって発表されており、著者はフランス革命前夜から革命のさなかのパリを彷徨し、とりわけ下層社会に生きる民衆や利権を貪ろうとする特権階級などを中心にした観察記録をもとに、二十一世紀に生きる私の眼からすれば、厖大な悪夢のような夜の都会を描ききっている。

 この著者は明確で強く自己主張する政治思想を根拠にして、この当時のフランス革命前後のパリを描いているのではない。ただ、人間の自由に対する深い愛をベースにして、パリを描いたのだと、私は感じた。著者の自由に対する深い愛を理解するために、煩雑にはなるがいくつかの本文を引用して、私同様、文章を書くのが好きな人々への参考に供したい。

 

 貧しい暮らしをしていても、空気のように自由です。自由こそ私の憧れです。自由でいられなくなったら、母国を棄てたでしょう……」(本書26頁)

 

 この世界に一人として私の奴隷はいませんし、私のためにただ働きするものもいませんからね。……<中略>……人間のあいだになくてはならないきずなが存在するかぎり、私は生きてゆくでしょう。そのきずなとは、人間が互いを必要とするということです。……」(本書26~27頁)

 

「死刑にする権利が人間にあるだろうか。……たとえそれが陰険かつ残忍に人命を奪った人殺しであっても」

 私には「ない」と答える自然の沈痛な声が聞こえるような気がする!……(本書34頁)

 

 私は宮廷や高官や、いかなるしかたにせよ人々を支配する側の者たちと関係を持ったことは、一度たりともない。勤勉にただひとりで生きることこそ、私の唯一の変わらぬ願いだった。……<中略>……破産のみか、革命が文学にもたらした衝撃によっても破滅させられたが、私は健気にも貧しく生きてゆくすべを心得ている。(本書225~226頁)

 

 引用しておきたい個所はまだまだあったが、興味がある方は煩を厭わず直接読んでいただきたい。

 著者のフランス革命前後の政治的見解を若干述べておきたい。この一冊の本を読むだけでも明らかだが、著者の政治的見解は当時の政治的状況に応じて変遷している。また、ルイ十六世の処刑が近づくにつれて、本書の内容も言葉の潤いを失って、限りなく事件の報告書に近づいてゆく。さながら政府に迎合さえするような姿を見せる場合もあるが、このスサマジイ時代、権力者に真っ向から敵対して彼等を批判した作品を印刷したならば、言うまでもなく、ギロチンが待っているだろう。また、著者の想像力を越えた現実にぶつかって、もはや想像力の働きが不可能な心的状況下で、なおかつ著者はパリを映した文章を書こうとしたのだろう。

 この作品の中で、著者と同時代の作家、マルキ・ド・サドや「危険な関係」の作者ラクロが秘書を務めたオルレアン公も登場する。十八世紀末期のパリが、怪しく腐乱しトテモ醜悪な「悪の華」を繁茂させ、ついに読者の眼前には藍色の闇が浮かんでくるだろう。