芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

宮本輝の「錦繍」を読んだ。

 この十二月四日、第一土曜日、私は地域活動をやっているある団体の会合に参加した。というか、この団体は毎月第一土曜日の夜にご近所のサイゼリアで会合をやっていて、会員になっている私は時間が許す限り参加している。言うまでもなく私は熱心な地域活動家ではない。だが七十歳を越えても二つのことは私なりにやって来た。一つは、四十年来やって来た仕事を午前中だけでも事務所に出て続ける。もう一つは、この地域の人々と接触して、オシャベリをしたり、いっしょに食事をしたり、地域の清掃活動やイベントに参加して、日常生活を楽しもう、この二つを私なりにこなしながら暮らしてきた。

 前置が長くなってしまった。この会合の夜、私は会員の一人、某医師、私は彼を「K先生」と呼んでいるが、彼からこんな話が出た。……私が亡妻の出会いから別れまでを書いた連作「えっちゃん」、この連作は私が主宰・発行している「芦屋芸術」の十号から十三号にわたって発表したものだが、トテモよかったよ、そんなお褒めの言葉をいただいた。「K先生」は小説をずいぶん読んでいて、ヤマシタさん、「えっちゃん」が直接語る言葉をもっと書いて欲しい、そのため、参考にこの本を読んでみてくれ、そういう要望が出たのだった。私は阪神芦屋駅前に昔から開いている書店でその本を買った。

 

 「錦繍」 宮本輝著 新潮文庫 令和三年五月三十日八十一刷 

 

 書簡体小説だった。私は不勉強のため、ほとんど現代作家の小説は読んでいない。また、寄る年波のせいか、徐々に言葉で組み立てた虚構に対して興味を失ってしまった。ただ、この小説は、離婚した夫婦が十年後に往復書簡でたがいの心を表現する形式を採用しているため、真実味があふれた文章だった。

 一九八二年にこの小説は発表されているが、思えば戦後四十年近い歳月を経て戦争体験あるいは反戦思想から離れて、経済的繁栄に慣れ親しんだ日本の人々は、この頃支持されたキューブラー・ロスの「死の瞬間」に代表される平和な時代の人間の心の表現を歓迎する状況へと変化していたのかも知れない。

 それはさておき、この小説の核になっている元夫婦の体験、まず彼女の「モーツァルト体験」、この体験は簡潔に表現すれば、生即死、昔からこんな言葉で語られているのではないだろうか。また、彼氏の「臨死体験」、この体外離脱の体験によって彼氏は自分の生と死の全体を俯瞰・回顧し、新しい人間へと再生していく。つまり、この小説は、かつて離婚したふたりの男女が蔵王のゴンドラの中で十年ぶりに再会し、その一回限りの再会から、たがいに往復書簡を交わした末、それぞれの過去に対する悔恨を受け入れ、新しい命としてもう一度この世を生きんとする、死と再生の物語だった。

 抽象的文言を弄したが、もちろん、具体的に知りたければ本書を読む以外にロイヤルロードはない。ご近所の「K先生」おすすめの本だった。