芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ダンテの「神曲」再読

 昔、半世紀前、二十歳頃に読んだこの本に、おそらく少なからず影響されていた、私はそう振り返る。こんな個人的な話を続けてオシャベリしてゆくが、私は二十二歳の時に書いた「ハンス・フアプーレ」という作品を去年の十月二十五日に発行した個人誌「芦屋芸術十一号」に発表した。この作品は今回再読した本の「地獄篇」に影響されているのが顕著に認められた。

 

 「神曲」 ダンテ著 野上素一訳 筑摩書房刊「世界文学全集6」に収録 1967年5月15日初版第16刷

 

 このたび、この本を再読したのは、先日読んだイヴリン・アンダーヒルの「神秘主義」にダンテの神秘体験が紹介されていたからだった。従って、今回、「神曲」を再読したのは、若い頃に影響された「地獄篇」ではなく、ベアトリーチェに導かれて天への階段を昇りつめんとした「天堂篇」を確認するためだった。

 ダンテが二十代前半で死別したベアトリーチェへの強い性愛は、彼の内面世界で純化されキラキラした光の姿として表現されている。また、「天堂篇」第三十歌において、至高天にまで上昇した時、ベアトリーチェについてもうこれ以上は表現不能の境地に至ったことを、ダンテはこのように語っている。

 

 この世で初めてその顔を見た日から

 かく見るにいたるまでわたしの歌で

 彼女を描きつづけることをやめたことはない、

 だがいまや私の技術の限界に来たのである。

 すべての芸術家のごとく詩の中で彼女の美を

 追求することをやめねばならないのだ。(本書288頁)

 

 スバラシイ言葉ではないだろうか。仏教でいう「愛別離苦」の純化された究極の表現のひとつではないだろうか。エロスが昇華されて聖なるものへ、表現不能なるもの、光それ自体へ結晶したのだろうか。ただ、言うまでもなく、私はダンテ研究の専門家でもなんでもない、一介の巷間の一読者だった。ダンテの翻訳本を読んで、ささやかな感想文をたどたどしくしたためているに過ぎないけれど。

 職業としては、ダンテは政治家だったと言っていいだろう。故郷フィレンツェの政治に深入りしているが、彼の政治思想の根幹は、一言で言えば、これではないだろうか。

 

 現在生きている諸君は、戦争なしの暮らしを

 したことがなく、一つの城壁、一つの濠を

 めぐらした者は、たがいに咬み合っている。

 哀れな者よ、諸君の中に一人でも平和を

 楽しんでいる人がいるかどうか、海辺を廻って

 探すがよい、奥地をも眺めてみるがよい。(本書119頁)

 

 それはともかく、周知の通り、彼は政争に敗れ、故郷フィレンツェを永久に追放され、天涯孤独になって流浪の生活を送る。そして、死の寸前まで「神聖喜劇」(「神曲」の原題)を書く。いや、ダンテはこの作品をただ「喜劇」と呼んでいたという。政治家として弾圧され迫害された現実の乏しい生活を、内面の至福で満たさんとしたのだろうか。とにかく、彼はこの作品を「喜劇」と呼んでいたのは、事実だった。

 これほどまでの天才の作品について私ごとき者がうんぬんするのはトテモ礼を失したことではあるが、迫害の果て、ダンテは、生きることは、すなわち、書くこと、そんな境地に極接したのではなかったか。詩を書くことの物質的不幸とその内面的栄光を、芸術に疎い身ではあっても、この歳になってやっと、私はシミジミ味わうことを知った。

 内面的栄光? ダンテは、宇宙の創造者、一であり三であるもの、神と合一する自らの神秘体験を「喜劇」の最終行に語って、この厖大な叙事詩に幕を降ろした。

 

 私の高い空想力はここにいたって力が不足した、

 しかしすでに私の願望と意志とは、さながら

 等しく廻る輪のように太陽ともろもろの星を

 動かす愛によって廻っていたのである。(本書299頁)