芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

蜃気楼

はじめて蜃気楼を見た。エジプトのアスワンからアブシンベルへの途上、車窓から砂漠に広がるオアシス。水面には黒い島影さえ浮かんで……砂漠を進軍する部隊が飢えと渇きに苛まれ、前方に現れたオアシスに向かって隊長の制止も聞かず一人

ボードレールとその周辺

ボードレールについて考えている。1960年代に人文書院から出た全集を第三巻まで読んで、いま、第四巻の美術評論を読みすすんでいる。昔、つまり四十年余り前にこの四巻本の全集を買ったが、第一巻と、第二巻の人口の楽園や短編小説、

エジプト

11月9日から10日間、エジプトへ行ってきます。僕はあちこち海外へ行ってますが、丁度2年前の10月19日に中国へ行った時、まだ記憶に新しい、それとももう忘れちゃったか、2010年9月7日の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件が

「死の舞踏」の訂正

僕はこのたび発表した「死の舞踏」によって「完成された虚無の世界」を「一個の言葉の具象物」としてこの方面の愛好家の卓上へ置こうと意志していましたが、そしてボードレールがテオフィル・ゴーチェを批評しながらおそらく自分を語った

秋亜綺羅詩集「透明海岸から鳥の島まで」

普通、辞書類と違って、詩集は1頁目から最終頁に向かって波がうねるように終焉していくものだが、この詩集の場合、まず「あとがき」から読み、その後、最初から最後に向かって波打って欲しい。それとも、「あとがき」に至って「そうだっ

詩的現代2号

僕には読みだしたら止まらない傾向にあるのか、鈴木章子さんからいただいた詩誌を一気に読んでしまった。やはり言葉はおいしい料理で、噛んでも歯は折れないし、読後、おいしかったな、そんな高揚感だけが残る。 季刊詩的現代2号第2次

田中恭吉展

生誕120年記念として9月1日から10月14日まで田中恭吉の作品約300点が和歌山県立近代美術館で展示されている。 48年前、まだ中学三年生だった私は、夏休みに近所の市場の片隅にある小さな本屋で立ち読みをしていて、角川文

「死の舞踏」が出来ました

僕の作品集「死の舞踏」が出来上がりました。この作品集は芦屋芸術1号から5号までに発表した8作品に加え、快傑ハリマオ8号に寄稿した作品、未発表作品2篇、合計11作品で構成されています。僕の書いた挿画5点も一度ご賞味ください

最近読んだ詩誌7冊

寄贈された7冊の詩誌を読みました。 布29号      2012年4月30日発行 知井14号     2012年5月25日発行 ココア共和国    2012年7月7日発行 サルとび43号   2012年7月20日発行 快

作品集「死の舞踏」

新しい作品集「死の舞踏」を9月2日に出します。 <新>といっても、この2年余りに出した芦屋芸術1号から5号までに掲載した8篇の作品、快傑ハリマオに寄稿した「人泥」という作品、 それに未発表の作品「進軍」「三月の指」の2篇

黄山

雷雨が去った直後、無錫蘇南国際空港に着陸した。7月7日午後2時過ぎ。この時期、江蘇省南部や明日訪れる杭州では雷降雨が多い。日本では雷雨だが、中国の空港の掲示板では雷降雨と表現されている。日本の梅雨に似て、当たり前だが東洋

ロイヤル英文法

先日、ロイヤル英文法を読み終えた。この本は、高校時代の息子が残していったもので、ロフトを整理していたら、出てきた。色あせた英和辞典も出てきたので、わからない言葉はこれを使って調べることにした、高校時代の彼と同じ状況で。

駒井哲郎Retrospective

閉館まぎわに訪れたのをいまでも鮮やかに覚えている。その頃、ある地方の美術雑誌社に関係していた僕は、大阪の高宮画廊で催されていた「駒井哲郎版画展」を取材するために街角が闇に沈もうとする刻限に。 地下への階段を降りると既に照

芦屋芸術5号ができました

芦屋芸術5号ができました。同人誌としては最後の本です。 今後、6号からは、アールデザイン出版、そして僕個人が編集します。ですから掲載する作品は僕個人の好悪が基準です。一切のナレアイを排除して、来年から再出発します。半年余

「祈禱詩篇」から

八年前の十月の真昼、愛犬ジャックと芦屋総合運動公園を散歩していた時、一瞬、世界がセメント状に変色し凝固するやいなやいきなり粉になってふわふわ撒き散らされて消滅するヴィジョンが、私の眼前にやって来た。そして同時に頭の中に粉

芦屋芸術第5号

3月に出す予定だった「芦屋芸術第5号」は、僕の個人的な理由により6月1日に発行します。これは確定です。 原稿の編集も終わり、装丁を荒井麻美にお願いして、すべて印刷会社に回しました。こ れはまだ予定ですが、今年の10月1日

アール・ブリュット

三月の初旬、K子さんからいただいたチケットで、「解剖と変容」および「ドキュメンタリー映画『天空の赤』」(兵庫県立美術館)を見た。実際は、「解剖と変容」は別会場になっていて、それに気付かず、チェコの作家プルニとゼマーンコヴ

ユダヤ人

おそらく私が「イスラエル」という言葉を知ったのは、こんな文章から始まったのではないかと思う。新潮社版のカフカ全集第三巻。私が持っているのは昭和43年6月25日第8刷だが、その中に挟まれていた月報Ⅲあたりではなかったか。少

最近読んだ三冊の詩誌

最近読んだ三冊の詩誌。 季刊ココア共和国 vol.9    2012年3月1日発行 さるトビ 四拾壱        2012年3月26日発行 すてむ52号          2012年4月10日発行 「ココア共和国」は秋

旧約聖書外典

3月18日夜遅くイスラエルから帰国して数日間、僕はぼんやりして過ごした。それまで好天に恵まれていたが旅行の最後の三日間、エルサレムは冷え込み、雨がぱらつきはじめ、降ったりやんだりしてる。爪先から喉元まで凍り付いた気持ちに

ゴラン高原

3月10日、11日の2日間、僕はイスラエルのゴラン高原でキブツが経営するハゴシュリムホテル(HAGOSHRIM HOTEL)に宿泊した。北はレバノン、東はシリアに接しているのだが。ここからバニアス自然保護区(Banias

詩集「黙礼」から

おおよそ2000年前、処女マリアから生まれ、ゴルゴタの丘で十字架につけられたキリストであるイエスという男、僕は長い間、この「キリストであるイエス」につきまとわれ、あるいは悩み、あるいは笑い、あるいは困窮してきた。 来月、

イスラエル

僕がこの世に対するものの見方・考え方としてもっとも強く影響された本は「聖書」と「資本論」だと思う。また、「聖書」の読み方は滝沢克己氏から、「資本論」のそれは宇野弘蔵氏から、二十歳前後の時に多くを学んだ。 誤解を恐れずに敢

カジュラホ

2011年11月28日(月)。カジュラホの寺院群を観る。よく言及されるラクシュマナ寺院やカンダリア・マハデーヴァ寺院などの壁面に描かれた数多くのエロティックなミトゥナ(男女交合)像のレリーフ。一般論で言えば、これをヨーガ

ベナレス

ベナレスについて多くは語るまい。去年の11月27日、ただ一晩ラマダプラザホテルに泊まって通り過ぎただけだから。 確かブッダ・ガヤーで覚醒した仏陀がベナレスへ向かったように僕等もそこへ向かった。その途上、サールナートで仏陀

イスラエル

三月にイスラエルに行ってきます。 ベツレヘム、生誕教会、ガリラヤ湖、5つのパンと2匹の魚の教会、ナザレ、オリーブ山、エルサレム、ヴィアドロローサ、聖墳墓教会……それから旧約。べエル・シェバ、ロトの塩柱、クムラン、ダビデの

芭蕉俳句集

年末から正月にかけて「芭蕉俳句集」(岩波文庫1978年3月20日第11刷)を読んだ。芭蕉の発句982句及び存疑・誤伝の参考資料で構成されている。 こんな句があった。天和二年(1682年)、芭蕉39歳の作品。天和二年といえ

快傑ハリマオ8号

12月20日発行の快傑ハリマオ8号を一読した。 全体を見渡してとても賑やかな居酒屋の忘年会が目に浮かぶようだった。 特に「編集後記その他」は発行人がかつてやりとりしたさまざまなレターなどで織りあげた刺繍入りドテラ姿で、場

翻訳寸感

最近、エリオット選集第四巻(彌生書房昭和43年2月20日発行)に目を通していて、その274頁、上田和夫訳の「バートン・ノートン」でギリシアの哲学者ヘラクレイトスの引用を読んだ。 <ことば>は公共のものであるにかかわらず、

藤井章子の詩「夏祭り」

「すてむ51号」(2011年11月30日発行)の32頁から34頁まで。藤井章子の詩について。 第1行初頭「闇のはじまりに」、最終行末尾「土のそのしたにある土」。これら闇と闇の隙間に「夏祭り」は生成し、一瞬の賑わいを織りな

知井13号

「知井」は名古きよえの個人誌である。13号は平成23年10月25日発行。執筆者は名古きよえの他、山崎佐喜治の詩「ふるさと」、神田さよの詩「時の目」、名古忠行の詩「無題」、そして<心に残る詩>として相馬大の「キリハタリ ヒ

ガンジスまで

11月26日にインドに行ってきます。わずか8日間の旅ですが。 デリーからベナレスへ。数知れぬ死者が流れる河ガンジスへ。 ベナレスの陽の下に坐し 平伏して 印を結び ついに合掌に至る  

奈良

今夜で、10月も終わる。ご近所のK子さんから招待券をいただいたので、昼間、家内と二人で奈良国立博物館で催されている「第63回正倉院展」を見学に。月末の月曜日なのになんという人混み。 同じ博物館の「なら仏像館」にも立ち寄る

「芦屋芸術第4号」について

どうも評判が悪いらしい。ケバケバしい表紙からして、もっとシックにしなけりゃ……そういうご批判をいただいているらしい。 余談ではあるが、澁澤龍彦は小学生の頃、白地に黒の日の丸を書いて、担任の先生からこっぴどくおしかりを受け

インドに行ってきます

あしたから8日間だけインドにいます。いま、インドは乾季ですからホットな季節です。あとの季節はホッターかホテストです。じゃあ、さようなら 仏陀は 六年間 苦行して 苦行は虚しい 結局 苦行では悟れないと悟った つまり ダマ

高橋馨詩集「詩の途上で」の追記

大切なことを失念しました。 この詩集の発行者は以下の通りです。 発行所 港の人 神奈川県鎌倉市由比ガ浜3-11-49 発行者 里館勇治 定価(本体) 2,000円 インターネットで検索すればすぐわかります。私の解説ではほ

高橋薫の詩集「詩の途上で」(続)

承前として、だがこんな調子で続けていっていいのだろうか、深夜、ベッドに仰向けに寝転がって、黒い天井を見つめ、僕は考えた。しかし熟考するには人生は余りに短い、ならばすべてよし! 僕は自分の背中に鞭打ち、立ち上がった。 第7

高橋馨の詩集「詩の途上で」(続々)

第11番目の詩「ワンルーム」 半年間契約した閉鎖空間で、発生する事件。 5年間書き続けた日記を読むために借りたワンルームに存在するのは、机、椅子、筆記用具、日記帳、コーヒーあるいは紅茶、読書用のスタンド、冷房、トイレ、電

芦屋芸術第4号

本日、芦屋芸術第4号が出来ました。今回は表紙を変えてカラーにしました。 これからもどんどん変わってもっと遠くまでいくでしょう。 つまり例えば吉本隆明風に言えば、 とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ(吉本隆明「涙が涸

黒犬を見たり

僕等三人はレストラン「花屋敷」で遅い昼食。それから「花の島」に架かった橋を渡り、コスモスが綺麗な「大地の虹」を通り抜けて、「海のテラス」まで。 海は曇天の下、灰色にうねっている。 先程、「大地の虹」の辺りで四人連れ、若夫

高橋馨の詩的作品集「詩への途上で」

なぜ「詩への途上で」というタイトルの作品集になったのか。この作品集は、詩13篇、エッセイ3編で構成されている。答えは第13番目の詩「長い船旅」の最終行、「この頃あの時の気力をもう一度取り戻し、自己として完璧な詩的作品を一

郷愁

K子さんからいただいた入場券で兵庫県立美術館へ。午後二時。かなり混雑している。おそらく「借りぐらしのアリエッティx種田陽平展」がお目当て。 一階の展示室1から。この美術館の新収蔵品の紹介をかねた2011年度コレクション展

WHITE

2011年9月6日(火)。午後から国立国際美術館に行く。ご近所のK子さんからいただいた森山大道写真展「ON THE ROAD」。 また、同時開催している、アメリカで活動した日本の作家たち「コレクション展」。 国吉康雄、イ

「キリっと切り絵」さん

昨夜は満月でとても明るく、人の姿も灰色に浮かんでいまして、夜の八時、愛犬ジャックを連れて散歩していたボクは、公園の西隅で突然「キリっと切り絵」さんに出会いました。 「キリっと」さんは性不詳、つまり満月のように中性ですが、

stem vol.50

いま<フクシマ>という奇妙な言葉が、棺桶を閉ざす杭の音のように反響している。それは生きんとする意志を永続して打ち砕く不気味な弔鐘であると同時に、地底から徐々に拡大してやがて山津波のように襲いくる民衆の激烈な怒声の序曲かも

沖縄

2011年5月24日(火)関西国際空港9:30発ANA1733便。那覇空港着11:35。 いまにも雨が降りそうな那覇空港からDFSギャラリア沖縄へ。三回目の沖縄だが、昔はこんな免税店などなかった。急ぎ足でお店を見て回った

引用について

松岡さんから「怪傑ハリマオ7号」を送っていただいた。最初の頁に前号と同じ作品が掲載されていてびっくりしたが(理由は本誌に書かれていたが)、引きずられるようにその日のうちに読んでしまった。 僕は松岡祥男が前号で書いた北川透

神屋信子と「面」

2011年4月22日(金)、兵庫県立美術館原田の森ギャラリーで開催された「第56回新世紀神戸展」まで足を運んだ。お目当てがあった。神屋信子の作品「面」である。この「面」は抽象と具象の二面を貼りあわせている。そして色彩は赤

系図を喪失した時代

すてむvol49号(2011年3月25日発行)の中で、藤井章子の詩「系図」を読んでみる。 おそらく彼女は、深夜、蒲団にあおむけに寝転がって、ひそかな気配に眠れない夜があるに違いない。それは後方の闇からやってきて、前方の闇

長谷川博之と「空のいろ」

僕が長谷川博之の文章を読んだのは、快傑ハリマオ6号(2011年2月20日発行)で二度目だ。一度目は同じ雑誌の第2号で「瀬沼孝彰の詩業」を読んだ。しかし僕は瀬沼孝彰の詩を読んだこともないし、ましてそれを論じた長谷川博之の視