芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

アール・ブリュット

三月の初旬、K子さんからいただいたチケットで、「解剖と変容」および「ドキュメンタリー映画『天空の赤』」(兵庫県立美術館)を見た。実際は、「解剖と変容」は別会場になっていて、それに気付かず、チェコの作家プルニとゼマーンコヴァーを見ないで帰って。詳細は言わないが、兵庫県立美術館のいい加減さ。それはさておき、美術館一階の売店でこんな三冊の本を買った。

「アウトサイダーアート」2000年10月18日求龍堂発行
「パッション・アンド・アクション」2008年10月30日求龍堂発行
「解剖と変容:アール・ブリュットの極北へ」2012年2月2日現代企画室発行

すべてアール・ブリュット関連の美術書である。クラウン仏和辞典によれば、アールartは「芸術」、ブリュットbrutは「もと(自然)のままの」。上記美術書では「生の芸術」と翻訳されているが、petole brutが「原油」、diamant brutが「ダイヤモンド原石」となっているから、アール・ブリュットを僕なら「原芸術」とでもするかあ。どっちでもいいが、この概念の基準はデュブュッフェの言葉を聴かなければならない。

「私は文化による条件付けに抵抗する人を/探していました/注意すべきことは/習慣や行動様式に少しだけ反発する人は/周囲から変り者だとか/独創的だと言われます/一方 徹底的に反発する人は/習慣を全く受け入れないので/警察が精神病院に連れて行き/医者が病気だと宣告するのです」

では、各論になるが、この線上に出現する作家群像を以下にランダムにあげてみる。引用はすべて上記三冊から。

*カルロ・ツィネリ(1916-1974、イタリア)
1936年徴兵され、戦場体験から精神を病み、1947年サン・ジャコモ病院に統合失調症のため収容される。1957年から14年間、病院内のアトリエで3000枚もの絵をかく。

*ハインリヒ・アントン・ミュラー(1869-1930、スイス)
1906年、ベルンの郊外のミュンジンゲン精神病院に収容される。1917年、絵を描き始める。ハイデルベルク大学のハンス・プリンツホルン博士の目にとまり、「精神病者の芸術性」に収録される。これを通してミュラーの作品を知ったデュビュッフェは、第二次大戦後まもなくミュンジンゲンを訪れ、ミュラーの作品と資料を集める。

*ヨハン・ハウザー(1926-1996、オーストリア)
17歳で精神病院に収容、1947年にグギング病院に移り、統合失調症と情緒障害と診断される。担当医師のナヴラティル博士の勧めで絵を描き始める。

*パウル・ゲッシュ(1885-1940、ドイツ)
1917年統合失調症で入院。1919年退院。ココシュカらと交わり、前衛芸術運動に参加するが、再び入院。1940年ナチスの実施した安楽死プログラムの犠牲となる。

*アロイーズ・コルバス(1886-1964、スイス)
1918年精神病院に収容される。1920年頃から文章や絵を描き始める。

*ユージン・ガブリチェフスキー(1893-1979、ロシア/ドイツ)
1926年パリに移住。パスツール研究所で昆虫の突然変異の法則により有名になるが、統合失調症と診断され、ドイツの病院に入院。その後、30年間に数千枚の描画を残す。

*シルヴァン・フスコ(1903-1940、フランス)
1930年、ヴィナティエの精神病院に監禁される。1935年、病院の大部屋の壁面に絵を描く。1938年、紙とパステルを使い、女性の肖像、女性群像を熱心に書く。1940年、フランス各地の精神病院に物資統制令および節約令が下され、何千という患者が餓死に追いやられたが、フスコは、この大量虐殺の犠牲者のひとりだった。

あるいは、マルティン・ラミレス、エドモン・モンシェル、ヘンリー・ダーガー、アドルフ・ヴェルフリ、アレクサンドル・ロバノフなどなど、まだ存知されない方は、まあ、仕方ないなあ、知らなくっていい、僕はそう思う。
確か映画「天空の赤」であったか、ピカソも百年後には紙くずになる、そんな発言もあったか、なかったか、その辺は余り自信がないのだけれど、そして単なる予感で何の根拠もないのだけれど、どうやらこの十年前後で21世紀芸術の扉が僕らの眼前に立つのだらう。ご覧、一切の商業主義は消滅してる。この門から、どうぞ、もうひとつ別の世界へ旅立ってください。そのために20世紀半ばに生まれた僕は過去を全否定しなければならない時が、やがて来るだろう。