芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ユダヤ人

おそらく私が「イスラエル」という言葉を知ったのは、こんな文章から始まったのではないかと思う。新潮社版のカフカ全集第三巻。私が持っているのは昭和43年6月25日第8刷だが、その中に挟まれていた月報Ⅲあたりではなかったか。少し長いが引用してみる。山下肇著「カフカ研究の種々相」から。

「ブロートの記述によれば、1939年3月ナチ軍のプラーグ侵入と共にゲシュタポの追求の的となった彼はとるものもとりあえずカフカの遺稿類を一杯つめこんだトランクだけを片手に命がけの脱出を敢行して黒海に出、エーゲ海、パレスチナ、トルコをへて辛くもアメリカへ亡命した。全集出版を擔當したショッケン書店もユダヤ資本のためにベルリンを追われてニューヨークに移り、ここで開業と共にブロートのカフカ遺稿も無事救われてアメリカ版が刊行されることになった。今日ではショッケンもブロートもイスラエル(パレスチナ)の首都テラヴィーヴに本據を移し、ブロートは先般テラヴィーヴ市賞を受けたりしている。しかしカフカの妹たちはナチの手であのアウシュヴィッツのガス室であえなく虐殺され、カフカ家に残された遺稿類は一切ナチ警察に没収され、焚書に附されてしまった。當時チェッコ公使館の文書課長で詩人だったカミル・ホフマンがこれを救おうと努力したが、この人までが遂にガス室の犠牲となったのである。」

確かに私はこんな文章からイスラエルやテルアビブという言葉を覚えたのだろう。そして、 今年になって、やむにやまれず、イスラエルに旅行したのも、ひょっとしたら旧約聖書からカフカ、フランクルに至るまでのこんな傾向の厖大な言葉が私の脳に呪文のように堆積していたと言えなくもない。

イスラエルの旅行社から頂戴した小冊子から最近の状況を簡単にご紹介したい。現在のイスラエルの人口は770万人余り、国土は2万2000㎡くらい(実行支配するゴラン高原と東エルサレムを含み、ヨルダン西岸地区とガザ地区は除く)、ちなみに米ナスダック市場への上場企業数は114社。軍人の数は75万人(職業軍人、徴集兵、予備役の合計)で非常時には国民の1割が軍人として他国と戦闘するわけである。こんなことも書いてあった。「中世ヨーロッパでは、ユダヤ人はギルドの加入のみならず、あらゆる職業が禁じられていたため、キリスト教が忌避していた金銭賃貸業に就かざるを得ず、金融業を発展させた。」

ところで、広河隆一著「パレスチナ」(岩波新書)でもさまざまに定義しようとしているが、よくわからない。例えばそれは、アメリカ人とは誰か、日本人とは誰かと問うのと同様に、いやそれ以上に不確定なものであろう。1948年に建国したばかりのイスラエルにおける政治・経済・民族・宗教問題などのどれひとつをとっても、不勉強な私に何か一言できそうにない。そこで、とりあえず、サルトルにきいてみよう。彼の考え方を理解するために、少し長くなってしまうが、引用してみよう。引用はすべてJ.P.サルトル著「ユダヤ人」(岩波新書1956年1月16日初版発行)から。

「おわかりでしょう。ユダヤ人には、『何かが』ありますよ。だから、わたしには生理的に堪えられないのです。」(5頁)
「ドイツ人が、最初に、ユダヤ人に禁じたのは、プールの使用だった。ドイツ人には、ユダヤ人の体がひとりでも、溜った水の中へもぐれば、水は、すっかり汚れてしまうように思われたのだ。文字通り、ユダヤ人はその呼吸している空気まで、汚してしまうのだ。」(36頁)
「『悪』はユダヤ人によって、地上にもたらされる。社会におけるすべての悪事(危機、戦争、飢饉、混乱、暴動)は、直接にか、間接にか、ユダヤ人に帰せられるべきであるということになるのである。」(43頁)
「ユダヤ人は一つの道具にすぎない。他の地方では、ユダy人の代りにあるいは黒人が、あるいは黄色人種が用いられている」(61頁)
「ユダヤ人とは、近代国家のうちに、完全に同化させ得るにもかかわらず、各国家の方が同化することを望まない人間として定義されるのである。それは、キリストの殺害者だからである。」(79頁)
「ユダヤ人問題は、反ユダヤ主義から生まれている。従って、それを解決するためには、反ユダヤ主義を絶滅しなければならないのである。」(182頁)
「反ユダヤ主義を絶滅するためにも、社会主義革命が必要であり、且つそれで充分であること以外のなにも示していない。われわれが革命を行うのは、ユダヤ人のためでもあるのである。」(185頁)
「黒人作家のリチャード・ライトが最近、言っている。『合衆国には、黒人問題など存在しない。あるのは白人問題だ』と。これと同様に、われわれは、反ユダヤ主義は、ユダヤ人の問題ではない、われわれの問題であると言うことが出来よう。」(187頁)
「ユダヤ人が彼等の権利を完全に行使出来ぬ限り、フランス人は一人として自由ではないのである。フランスにおいて、更には、世界全体において、ユダヤ人がひとりでも自分の生命の危険を感じるようなことがある限り、フランス人も、ひとりとして安全ではないのである。」(188-189頁)

このサルトルの論文は1947年に発表されている。第二次世界大戦の終戦前後におけるサルトルの考え方は、これらの引用でおおよそのところご理解いただけたろう。次にご紹介するのは、マルクスのユダヤ人に対する考え方である。

さて、マルクスによると、民主主義における政治的国家は人間の類的生活の表現であって、市民社会の物質的生活に対立している。つまり、公人と私人との分裂であるが、宗教は国家から私人が自由に選択できる市民社会へ移行してゆく。宗教的国家の消滅である。23歳の頃、マルクスはフォイエルバッハの「キリスト教の本質」を読んでいる。このフォイエルバッハの人間理解を基礎にして、マルクスはユダヤ人問題を思索した。マルクス・エンゲルス全集第一巻(1968年11月30日第9刷、大月書店)。カール・マルクス著「ユダヤ人問題によせて」。

「ユダヤ人とキリスト教徒のあいだのもっとも頑固な形の対立は、宗教上の対立である。一般に対立はどのようにして解消されるか? 対立を不可能にすることによってである。宗教上の対立はどうすれば不可能になるか? 宗教を廃棄することによってである。ユダヤ人とキリスト教徒が、おたがいの宗教を、もはやただ人間精神のさまざまな発展段階として、すなわち歴史によってぬぎすてられたさまざまの蛇のぬけがらとして認識することによって、彼らはもはや宗教的関係ではなく、ただ批判的・学問的、つまり人間的な関係にたつのである。」(385-386頁)
「人間は自分で自分を共同的存在だとおもっている。もう一つは市民社会における生活であって、そのなかでは人間は私人として活動し、他人を手段とみなし、自分自身をも手段に下落させて、ほかの勢力の玩弄物となっている。」(392頁)
「公人と私人への人間の分裂、国家から市民社会への宗教の移動、これらは政治的解放の一段階ではなく、その完結なのである。それゆえ政治的解放は、人間の現実的な宗教心を廃止するものではないし、また廃止しようとつとめるものでもない。」(394頁)
「現実の人間は利己的な個人の姿ではじめてみとめられ、真の人間は抽象的な公民の姿ではじめてみとめられる。」(406頁)
「現実の個別的な人間が、抽象的な公民を自分のうちにとりもどし、個別的人間のままでありながら、その経験的な生活において、その個別的な労働において、その個人的な関係において類的存在となったときはじめて、つまり人間が自分の『固有の力』を社会的な力として認識し組織し、したがって社会的な力をもはや政治的な力の形で自分から切りはなさないときにはじめて、そのときにはじめて、人間の解放は完成されたことになるのである。」(407頁)
「社会がユダヤ教の経験的な本質であるきたない商売とその諸前提を廃棄できるようになるやいなや、ユダヤ人の存在は不可能になってしまう。というのは、もはやユダヤ人の意識はなんの対象をももたなくなるからであり、ユダヤ教の主観的土台である実際的欲望が人間化されてしまうからであり、人間の個人的=感性的存在とその類的存在との衝突が廃棄されてしまうからである。」(414頁)

1843年、マルクス25歳の論文である。言うまでもなく、この類的存在と私人としての存在の矛盾は、将来「資本論」において抽象的人間労働と具体的有用労働、いわゆる労働の二重性としてさらに純化されて発見されるだろう。それはさておき、マルクスはこの論文において類的存在とは何を概念したのだろう。それはすなわち人間の本質としての愛や自由や平等であろう。そして、この本質に対立するものとして、私的所有を基礎とする私人の利己主義を概念したであろう。しかしひるがえって思えば、人間としての類的存在は愛や自由や平等ばかりではなく、憎悪、嫉妬、吝嗇、差別、暴力、弾圧、侵略、虐殺、裏切り、自殺なども、類的存在の属性ではないだろうか。だとすれば、おそらくフォイエルバッハの人間学から学んだマルクスの人間理解は一面的に過ぎると言って過言ではあるまい。私はユダヤ人はおろか自分自身を概念するだけでもその底なしの無限定にただ茫然自失せざるを得ない。

最初、私はカフカ全集の月報をご紹介した。いったいユダヤ人とは何か。結局、ユダヤ人はおろか、この私自身でさえ限定できなかったではないか。いや待て。最後に、私はすすんでカフカ自身の言葉をきいてみようと思う。

「わが身の潔白さを認めさせる機会は、ついに与えられず、従って、奴等に手を引かせてしまうことも、出来なかった。この最後の失策に対する責任は、自分の気力を根こそぎに奪い去ってしまった人物が、負うのだ。石切場に続く建物の一番上に、Kの視線が、触れた。突然明りがひとつつく、と同時に、その窓の鎧戸が左右に開き、ひとりの人物が、そこは遠方でありまた高みであるから痩せて弱弱しく見え、ぐいと前のめりなったかと思うと、腕を、思い切って拡げた。あれは誰だ? 友人か? 味方か? 好意をもっている人物か? 助力を申し出ている人物か? 個人の資格でか? 代表者としてなのか? まだ助かる余地があるのか? 持ち出すべき云い分が、まだ残っていたのか? そうだ、云い分はまだある。論理はたとえ確固不動であろうとも、生きることを求める人間に、論理が対抗出来るものではない。一度も姿を見せなかった裁判官は、どこにいる? 結局お目にかかれなかった上級裁判所は、どこにあるのだ? Kは両腕を差しあげ、両手のすべての指を、拡げた。

しかしKの喉首には一人の男の手の重みがかかり、メスを、もう一人が、Kの心臓に刺し込み、二度えぐった。眼がかすんで来たが、頬を寄せ合った二人の男がKの顔のすぐそばで、最後を見極める有様が、まだわかった。『犬のようにくたばる!』Kは云った。屈辱が、生き残っていくような気がした。」(フランツ・カフカ著「審判」本野亨一訳、角川文庫昭和41年9月30日14版、245-246頁)