芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

高橋馨の詩集「詩の途上で」(続々)

第11番目の詩「ワンルーム」
半年間契約した閉鎖空間で、発生する事件。
5年間書き続けた日記を読むために借りたワンルームに存在するのは、机、椅子、筆記用具、日記帳、コーヒーあるいは紅茶、読書用のスタンド、冷房、トイレ、電気ポット、二リットルのペットボトル、クイックルワイパー、そして自分。
この閉鎖空間にある昼間、窓を開けると蠅が飛び込んでくる。五月蠅くて日記が読めない。だがある日、それが消失する。それからしばらくしてハエトリグモを見つける。ところがあるとき、おそらく踏まれてぺしゃんこになった蜘蛛の死骸を見つける。踏んだのは、自分か、蠅か、スタンドかペットボトルかトイレか。
それはともかく、翌日からふたたび蠅が姿を現し、部屋中を飛び回る。これが事件の全貌で。
余談ではあるが、蠅という言葉からの連想で、不意に四十年以上前に読んだ梶井基次郎の「冬の蠅」を思い出した。おそらくこの詩集で読んだ「長い船旅」やエッセイで言及された梶井基次郎の残像が影響したのかもしれない。もう一度読んでみようと書斎から屋根裏まであちこち探し回ってみたけれど、「冬の蠅」は消滅していた。

第12番目の詩「某日某夜、映画を観る」
こんな映画は例えば「アナコンダ」のようなものだろうか。この種の恐怖映画の傾向として、最後に女が残り、超人的なパワーを発揮する、もちろん商業上も含めて傾向として。こういう所謂B級映画は、「13日の金曜日」あたりから、原価も安く、当たれば相当の興行収入も期待される、つまり、お祭りで行列した「お化け屋敷」の映画化なのか。
この詩のエッセンスを言ってみれば、僕らはこんな恐怖映画を観るためにこの地球にやって来た、ポップコーンを食べながら。

第13番目の詩「長い船旅」
初めに指摘しておいたけれど、最後の詩に至って僕らはこの詩集の題「詩への途上で」を理解する。また、言葉を理解するために、僕らはどんなに長い日々を、時間を、ただ耳を澄まして耐えてきたか。また、言葉の真実を知るために、これからもおそらく僕らは希望もない日々と時間に耐えなければならない。
「長い船旅」。これがアルファでありオメガかも知れない。以上、13篇の詩、高橋さん、ありがとう。

三篇の「エッセイ」について
このエッセイに登場する役者は、ドストエフスキー、デカルト、ヴァレリー、ベルクソン、ジャック・ラカン、プラトン、フッサール、ホメロス、ルソー、フロイト。
抽象の悪夢。すなわち、ペンの先端と白紙の接点。ここにあらゆる不眠症の、あらゆるポエジーの、カラクリの扉を開ける秘密の鍵があるのか。見よ、いま、白紙の上をインクが動き始めた。