芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

引用について

松岡さんから「怪傑ハリマオ7号」を送っていただいた。最初の頁に前号と同じ作品が掲載されていてびっくりしたが(理由は本誌に書かれていたが)、引きずられるようにその日のうちに読んでしまった。

僕は松岡祥男が前号で書いた北川透に対する思いを同時代の流れの中で更に深めようとする言葉と高橋秀明が前号の松岡の言葉を批判する文章を読んだわけで。

つまり引用の問題ではあるが、高橋氏の論法でいけば、著作権、あるいは雑誌の編集権(そんな権があるのかないのか僕にはどちらでもいいが)が時効となれば、誰かまわず引用していいわけなのか。時効て何か。そもそも引用するって何なのか。一方で、土地の所有権を否定して、土地は自然のものであり(確か「資本論第3巻地代」においてもっと精密に分析されていたのを昔読んだ記憶が残っているが、それはともかく)誰の所有権もないのだという「アイヌの思想」を高橋氏はもう一歩踏み込んで、人間の言葉だって誰の私有でもなく、人間的自然(人はひっきょう類である、フォイエルバッハ)から発生した共有物だとしなければならない。つまり更に言えば、本来土地も人間も同じ所有権のない場所から発生したのだと。

まあ、僕なんていいかげんに生きてきて、頭のいい人たちの理論はさっぱり不明ですが、頭が悪いバカなりに、プラトンやらマルクスやら、ボードレエルやらニイチェやら、風の音やら犬のイビキやら女の瞳やらをじっと見つめ引用させていただいて詩を書いてきたが、自己批判も他人批判も糞くらえだ!

人生は短い、しかし、説教は長すぎる。