芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ベナレス

ベナレスについて多くは語るまい。去年の11月27日、ただ一晩ラマダプラザホテルに泊まって通り過ぎただけだから。

確かブッダ・ガヤーで覚醒した仏陀がベナレスへ向かったように僕等もそこへ向かった。その途上、サールナートで仏陀は初転法輪、つまり初めて説法するのだが、もちろん僕等もそこへ立ち寄った。「生まれることも苦であり、老いることも苦であり、病むことも苦である。悲しみ、嘆き、苦しみ、憂い、悩みも苦である。憎いものに会うのも苦であり、愛しいものと別れるのも苦である。欲求するものを得られないのも苦である」(はじめての説法。世界の名著第一巻435頁、昭和44年5月30日発行)

六世紀に建立されたダーク・ストゥーバ、ムールガンダ・クティー寺院の内壁には戦前に日本人画家の野生司香雪が仏陀の生涯を描いている。それから初転法輪像が置かれた考古学博物館。

重箱の隅々まで綺麗にしたい日本人、この隅にゴミが落ちているじゃないかと他人を批判する日本人、こういう人々にはベナレスは向かないと思う。こういう表現をすれば礼を失するおそれがあるのは承知の上だが、べナレスは厖大なスラムではないか。あるいは、人間と動物が共生する巨大なサファリィパークだと。現にベナレスを見たある日本人は、この非衛生的な都市はまずライフラインを改良しなければいかん、そう言っていた。

ほとんど1mから4mくらいの路地と道路が蜘蛛の巣をめぐらした領域にごったがえす人の群れ、牛、山羊、犬、猿、はては道端に突如として登場する蛇使いが笛を吹けば魚籠の穴から鎌首をもたげるコブラ。この混沌の中を僕等は自転車を改造した三輪車、二人乗りの荷台をくっ付けた所謂サイクルリクシャーに妻と乗って、ガンジス河をめざす、狭い道路にあふれる人ごみと小型オート三輪を改造したオートリクシャーの群れの隙間をぬって、ところどころ脱輪しそうに歪んだ路上を駆って。

夜のガンジス河の岸辺から数十メートル先の沖で小舟に乗って、岸壁で火を掲げて祈りを捧げるヒンズー教の礼拝儀式プジャーを観る。

翌朝、六時前にふたたびガンジス河を小舟で下り、さまざまなガートや瞑想したり水浴したり洗濯したりしている人々などを訪ねることおおよそ三十分、眼前にあがる太陽。かすかに靄がかかってここには薄紫の世界が。