芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

後藤光治個人詩誌「アビラ」8号を読む。

 後藤光治さんから個人詩誌が送られてきた。

 

 後藤光治個人詩誌「アビラ」8号 2021年12月1日発行

 

 巻頭にはいつものように「ロラン語録」を掲げ、詩作品六篇、「ロマン・ロラン断章」、「清水茂断章」、「詩のいずみ」、ここでは詩人の鳴海栄吉と石原吉郎をとりあげている、「鬼の洗濯板」、ここではドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」とトルストイの「戦争と平和」のそれぞれの断面から救済の在り方を論じ、そして編集後記、この流れで全編が構成されている。

 今回発表された六篇の詩は、大きくいって、三つの傾向に分類されるのだろう。

 まず第一群は、<記憶>を主題にした詩、「記憶の杜」、「切通し」、「磯」、「過ぎ去った時代」、以上四篇。第二は「路地界隈」、この詩は<未来>を表象する。ただ、確かに路地を未来に向かって歩こうとしてはいるが、結局、毎日、同じ路地界隈を歩いているのだった。さて、第三は「花飾り」、この詩は<終末>を表象する。晩年への哀歌か、あるいは、この世を去る前のひとときの、すべてを断念した安堵か。

 <記憶>を主題にした詩群をもう少し分析すれば、「記憶の杜」は、記憶が宇宙に輪廻する姿を描いている。逆に言えば、著者にとって、救済はもはや<記憶>にしか存在しない、そんな切羽詰った精神状態なのだろうか。いずれにしても、著者は、<記憶>の鍵によって、<永遠>の扉を開かんとしているのだろう。

 「切通し」、この詩もまた<記憶>、とりわけ、自分自身の幼少年時代を歩く世界だった。「磯」、やはり<記憶>の世界に現われる身内の死者から果てはおおぜいの死者たちが出てくるのだった。「過ぎ去った時代」、著者の幼少年時代と共通した<記憶>を持っている同時代の人々がこの世を去り、すべての「あの時代の記憶」が完全に消滅する、時間が時間を消去する世界を描いている。

 どうなのだろう、<記憶>は<永遠>の扉を開ける鍵なのだろうか。著者のさらなる展開を見守っていたい。