虫がいるのかもしれない。いや、そうに違いない。朝起きると腋の下や腰回りなどで、カユイ。カユクてタマラナイ。最近、そんな朝が、シバシバ。しばらく、腕組み。これでは、ダメ。オレの将来は暗い。Mはそう結論付けた。早めの対策が
オレ達の習性
芦屋芸術は詩・小説・文学・音楽・絵画・・・etc 芸術誌の発行とWEBでの表現を展開する芸術コミュニティサイトです。
虫がいるのかもしれない。いや、そうに違いない。朝起きると腋の下や腰回りなどで、カユイ。カユクてタマラナイ。最近、そんな朝が、シバシバ。しばらく、腕組み。これでは、ダメ。オレの将来は暗い。Mはそう結論付けた。早めの対策が
芦屋芸術24号の編集・校正が出来ました。発行日は今年の11月1日です。本日、原稿をいつもお願いしているコーシン出版に送ります。内容は以下の通り。ご期待ください。尚、芦屋芸術の今年の出版はこれでオシマイ。芦屋芸術25号は
秋になれば 乱れ落ちている 生命の枯葉が あちら こちら 先生 汚泥の中に落ちて もがき苦しんで暮らしてるって そんな生物 いるって ほんとですか いい質問だね そんな生物は 結局 汚泥が好き
永井ますみさんから詩誌が送られてきた。 「現代詩神戸」290号 編集/今猿人・神仙寺妙・永井ますみ 2025年9月10日発行 今号は十八人の執筆者が二十一篇の詩作品、詩集評一篇、エッセイ
解がいくつもある場合があることを わたしは知らないわけではなかった むしろ 生活では各自それぞれ ほとんど無数の解があるのかもしれなかった 君の言う通りだ 確かにそうだろう だが それじゃあ こいつはトテモ不可解ではな
きょうは日曜日。朝八時からいつも通り、芦屋浜の清掃作業へ。 少年たちから大人まで、浜の周辺は賑わっている。駐車場には、芦屋市消防本部から消防救援隊の車両が一台待機している。いったい何が。 潮芦屋アクアスロン大会が本
昨夜、いつものようにスナックで遊んだが、二軒目で飲んでいると、以前ここでご一緒した女性が遊びに来た。再会。二人でおしゃべりをしたり、カラオケを楽しんでみたり。とにかく彼女の歌はプロ級で、若い時に芸能界に入っていたら、そ
力津耀子さんから詩集が送られてきた。 「記憶のジグソーパズル」 力津耀子著 発行所/さいけい舎 2025年8月15日発行 まず発行日を見てもらいたい。終戦記念日である。初めて出版する詩集
おそらく夢を見ていたのだろうか。だったら、どうして、こんなにも体が濡れているのだろう。頭髪から足の爪先までびっしょり。ぬるりん。肩や腰からいっぱいシズク垂らして。 魚は二十三匹いた。そんなに大きな魚ではなかった。全長
直樹一雄さんから文芸誌が送られてきた。 「ブーゲンビリア」第2章第4号 発行者/直樹一雄 2025年9月1日発行 五人の執筆者が十篇の詩、五篇のエッセイ、そして小詩集と小説を発表している
帰って来ないことは わかっていた 君にそんなお説教をされるために ボクはこのお話を語りかけたんじゃあない わかってくれ もう 絶対 帰って来ないって とても悲しいじゃないか 悲しすぎて 涙も出ないじゃないか
伊川達郎さんから文芸誌が送られてきた。 「風のたより」31号 発行所/風のポスト 2025年9月3日発行 今回は、三人の執筆者が、それぞれ詩、連載中の評論、それからエッセイを発表してい
きょうも芦屋浜の雑草を抜いていた。日曜日の朝、恒例の芦屋ビーチクラブの活動日。 雑草を抜いていると、仲間の女性から声をかけられた。彼女はいつもマメシバを連れて芦屋浜のゴミ拾いをしている。そのワンちゃんが私の体にすり寄
猛暑が続いていたが、今朝は少しだけ秋めいていた。少しだけ秋めいて、そんな表現をしたというのも、暑いには暑いが、時折、秋をしのばせるヒヤリとした風が吹きすぎていく。きのうの夜明け頃まで台風十五号の影響で雨が降っていたが、
後藤光治さんから詩誌が送られてきた。 後藤光治個人詩誌「アビラ」23号 編集発行/後藤光治 2025年9月1日発行 今号の「アビラ」はこういう構成をとっている。 まず巻頭に「ロラン語
あなたを喪ってから 昼は消えていた しかしそれは夜ではなかった より正確に言えば 未明に出てくるものだった
樹木に覆われているのだろうか。樹木のトンネルだろうか。そんな馬鹿な。待てよ。だったら、それとも、レンガとか、コンクリートだとか……外面を墨で固めたのだろうか、黒く細長い穴がずっと続いているが、いったい何で出来ているのか
振り返ってみれば 私は ずっと 夜を探りながら 生きてきた 夜という心を
喜びだけではない 悲しみが 生きる原動力になることがある 信じて欲しい
Mの頭はビヤホールのように大きくはない。けれど今夜も彼の頭の中におおぜいの人が寄り集まってきた。パーティーでも始まるのか。 いったいどうしたというのだろう。Mはゴルフクラブを手にしていた。十一年ぶり。彼はずっとゴルフ
昨夜は金曜日。恒例となった夜の散策。いつも回るスナック二軒。午前零時過ぎ帰宅。 夜の旅。また変わったことがあった。二軒目のスナックのカウンター、私の右隣に座った男。四十過ぎ。これから芦屋で新しい商売を始めるとのこと。
その時は 思いもしなかった 二十年前 あなたが鉢植えから育てた 今 庭に咲く 紅 紫 白 三本の百日紅 *写真は、二十年前に亡妻が鉢植えから育てた三本の百日紅。白い花の百日紅がもっとも大きくなって、次に紫、
未明 まぶたを閉じて ベッドに横たわっていた 無数の 小さなガラス玉が 浮かんでいる 赤 緑 紫 ミルク 透明しずく さまざまな色彩で 光り 輝き 流動している
さびれた街だった。人気がなかった。もしかして集団疎開でもしたのだろうか。戦争の噂なんて聞いた覚えもないが。それにしても、目も当てられなかった。すべての風景がほとんど砂に近い状態だった。三日後には崩れ去ってしまうのではな
苦労したことは ぜんぶ 忘れてしまった 愛だけが残った 結局 いや 苦労も愛だった そうじゃないか
穴があいてしまった うめようとした けんめいに この十一年間 それが歳月だった
きょうは、言うまでもなく、日曜日。私にとって、朝八時から九時まで、芦屋浜でゴミ拾いをする日だった。 やはり雑草抜きが中心で、その周辺に落ちているゴミも拾って。 ボランティアって、もちろん、基本的には、無償の行為。当
最近、金曜日の夜の恒例儀式になってしまった。だから昨夜も行きつけのスナック二軒を回った。帰宅したのは午前零時を回っていた。 一軒目では、カウンターの右隣に六十代の女性がいて、夫と死別して十年になるという。私は妻と別れ
今夜は 何も浮かばない ただ 頭の 水面に 小さな虫が いっぱい
無数の線と 無数の線が きゅっ きゅっ 交わって 無数の絡みあいを演じている 時折 ひくひく ぴくぴく そんな音がしている いつしか溶けてしまった ひとつになった 二大無数線交接
約束した、確かに約束した。彼女ともう一度暮らせるなら、何もかも投げ捨ててもいい、と。 翌朝、目覚めたら、Mはリカといっしょだった、橋の下で。添い寝して。願いがかなった。ずっといっしょだった。すべてを失っ
こんな長編小説を読んだ。 「競売ナンバー49の叫び」 トマス・ピンチョン著 志村正雄訳 サンリオ文庫 1985年10月15日発行 この作品は、通称ムーチョという男の妻エディパ・マース夫人
八月十二日から 八月十七日まで 我が家の庭で いつも同じ蝶 キアゲハが遊んでいた 庭掃除している わたしのことを 少しも こわがらず 肩からほほへ ヒラヒラしていた たわむれていた
きょうは日曜日。朝、芦屋浜へ。 どうしてもやりたいことがあった。この盆休みの間に、さまざまなゴミがまき散らされていた。特に堤防の階段近辺に、ペットボトルを中心にして。過日、浜を散歩していて気になっていた。ヨシ。今度の
夜だけではない 毎日 昼間でも あの世と文通していた
お盆の十五日ではあるが、昨夜もこの頃よく行っているスナック二軒を回った。 スナックで遊んだら、時折、カラオケで私は歌を唄う。例えば昨夜、一軒目では桂銀淑(ケイ・ウンスク)の「アモーレ/激しく愛して」を唄った。また、ス
ワインを飲みながら それでも あの時 やはり そう つぶやいていた これが極限値か 赤ワインを見つめていた 白いくちびるが浮かんでいた 八月十五日
肉体が破れた 裂け目から あの人が出てきた 十一年前にこの世を去った あの人が
行きたければ行けばいいだろう、そう言われた。間違いない。俺の耳にははっきり突き放すような言葉を投げかけた彼の声が残っている。後になれば誰も信じてくれないばかりか、当事者、彼自身がそんなことを言った記憶はないんだって。
ユリは悲しい 花瓶から いきなり ハラリ 散っていく 床に落ちた 花びら おしべ もう買うのはやめよう ユリで部屋を飾るのはやめよう でもお店で花の前に立っていると つい また ユリに手を出し
何度も確かめていた。だってここ数日、財布の中のお札が全部白紙に変わってしまうから。朝起きて、出勤する際、覗いてみたら全部白紙。タンス預金から差し替えて会社に出かけるが、こんなことを続けていたらもうすぐ貯金は尽きてしまう
なんということだ どこまで つながっているのだ このやわらかい鎖は 紅 緑 紫 しずくの数珠になったつながり ほとり ほとり……
奇遇というものがある。昨夜、二軒目のスナックで、旧知の人と会った。以前、近隣のボランティア活動で何度もご一緒していたが、その後、ある事情があってその活動から私は身を引いていた。マタ、ミンナデ、コノすなっくデ、遊ボウね。
どうしても余分な話をしておきたい。周知のとおり、阿弥陀経で「倶会一処」という言葉が出て来るが、いまさら言うまでもなく、別れた人と浄土で再会できるというのであろう。この教えは、我が国の民衆が浄土系の宗教を信じてきた大切な
私は俳句や和歌をあまり読まない。また、詠んでみようともほとんど思わない。「ほとんど」と言ったのは、かつて私の個人誌「芦屋芸術」に十代、二十代の時に書いた奇妙な?俳句を若干数発表しているのだから。 だから私はこの本のい
離れられないほど 愛しあったために ボクとあなたは ひとつのからだだった 死は ふたつに割った
動いているのは確かだった。指先はすべて問題なかった。一応手足も眺めわたして、大丈夫だよ、Mは微笑んだ。鏡も笑った。よかったね。 ふくらはぎも腰も震えてはいない。だが連日の猛暑の陽射しのせいだろうか、外部は真っ赤っか、
原口健次さんから詩誌が送られてきた。 「KAIGA」No.129 編集発行人/原口健次 発行所/グループ絵画 この詩誌は四人の詩人が十一篇の詩を発表している。いつものように故人の詩人の二
昨夜は誰からも声がかからず、また、ひとりで夜の灯りをさまよう気にもならなかった。というのも、きょう、日曜日の昼過ぎから梅田で「別冊關學文藝第七十号」の合評会があり、その席に私は出かける予定だったから。何しろこの雑誌は3
暑い。灼熱。焦熱地獄。午前九時過ぎ。庭掃除。スズメたちカラスたちのご飯。土曜日恒例の亀の池の掃除。 確かに異常天候。春も梅雨も短く。連日猛暑。朦朧として亀の池を洗い続けるボクという男。亀は庭で楽しく遊びまわっている。