うっそうとした森が移動している
かなりのスピードだ
時速何キロくらいだろうか
おそらく二十キロはあるだろう
Mは上から ずっと森を眺めている
だったら
Mも時速二十キロで 上空を移動しているのだろう 森を追跡しながら
これはなんだ
女の声がする
Mを探しているのだろうか
それとも 彼の側でさっきからずっとおしゃべりしているのだろうか
それならば
彼女もMと一緒に 上空を移動して森を追跡しているのかもしれない
エチコン あなた、耳が遠くなったの。もうあたしの声、聞こえなくなったの?
M こんなにも右耳の側に君がいるなんて、気が付かなかった。夢中になっていたんだ。移動する不思議な森ばかりが気になってしまって。こんな馬鹿げた話が、現実にあるなんて。やっぱし、現実は現実を超えていくんだね。神話を作ったのも、やはり現実なんだね。現実が自分自身を、現実自身を超えていくために。
エチコン でも、移動する森や、神話より、もっと神秘的なものがあるわ。わかる? なんだと思う? 当ててみな。
M ……
エチコン 愛よ。二人だけの時間。二人だけで激しく愛しあう時間に比べたら、移動する森も、空飛ぶ円盤も、お国造りの神話や神様の救済劇なんて、まるでおもちゃ箱。
M …………
カズエちゃん 待って、エチコン。こうよ。私の場合、こんな具合。一九七〇年前後にはまだお見合いで結婚する人が多かった。私もその一人。二十三歳で結婚。けれど、たびたび、ちっちゃなこと些細なことでイサカイが絶えなかったの。私、口が達者でしょ。つべこべ言う彼に、いつも反論したわ。二十六歳の時、口答えする私を彼は殴った。そのキズはまだ少し残ってる。離婚しようと思った。でも、私の両親に、今後けっしてこういうことはしない、彼は誓約書を書いて、一件落着。でも、でも、それ以来、彼は二階で暮らして、私は一階。何十年も家庭内別居。これが私の二人だけの時間。だから、結局、私、恋愛を経験しなかった。もう七十八。淋しいけど、二人だけの愛の世界とは無縁でこの世とお別れするの。私、愛なんて、信じない。エチコン。そんな女もいっぱいいるよ。これがすべてだ、絶対だ、なんて、どこにもない。どう。違う?
エチコン そうかあ。だったら、愛って、あったり、なかったり、まだら模様を描いているのね。この世って、まだら模様、か。
カズエちゃん そうよ。絶対そうよ。
M ご覧。お話ししている間に、移動する森が尽きたよ。移動する森の果ては、大海原だ……はてしない波……なにもない、なにもみえない、まだらになった青の他には……