こんな冒険小説を読んだ。
「聖餐城」 ベルナール・ノエル著 生田耕作訳 河出書房新社 1974年5月28日初版
冒険小説といっても、どこか外部の世界、秘境だとか異星だとかそういった世界を旅する物語ではなかった。そうではなくて、内部に存在する世界、とりわけ性愛や暴力といった人間に本来内在する世界を想像力を駆使して旅する異質な冒険小説だった。奇妙な村や島や城などが出てくる。そう言ったさまざまな場所で、女と恍惚境へ旅するだけではなかった。主人公は白人の男性だが、黒人の男、犬、猿、彼等とも暴力によって犯されながらもそれを乗り越えて旅するのだった。彼等に性的に抑圧されるたびに主人公は抑圧されている自分自身を脱ぎ捨ててさらなる次元、本来の愛へと目指していく。事実、この物語は、随所で、「あなたを愛している」、この言葉のリフレインをちりばめているのだった。言葉が愛と一体になるまで旅を続けようとしているのだろうか。
ここから先は、私がこの本を読んだ妄想とその独言だから、読んでいただかなくていい。
この本の初版が発行されたのは1969年で、改版は1971年に発行されている。もちろん、言うまでもなく、フランスで。日本の翻訳で初めて紹介されたのは上記の通り1974年だが。
ところで、1970年前後といえば、日本において、現在では想像もできないだろうが、学生運動や新左翼の革命運動が華やかなれし頃だった。私は憶えている。彼等の論理の中で、重要なキーワードの一つに「自己否定」があった。常識が正論だと社会から洗脳されているこの私自身を否定して、自らのあたえられた真実に即して生きていきたい、そのためにはこの私自身をまず自己否定しなければならない、青年のそんな切実な思いだった。確か東大全共闘の山本義隆が、「否定に否定を重ねて、人になる」、こういった発語があったように記憶する。自分本位のこの私から無名の人へ。もう五十年余り昔の話、私の記憶違いかもしれないけれど。
この本を読んで、ちょっと大袈裟な表現になってしまうが、1970年前後のフランスと日本の一部の人々の同時性を覚えた次第だった。