この長編小説は1896年に発表された、十九世紀フランスの世紀末作品だった。一言でいえば、紀元前一世紀のアレクサンドリアを舞台に繰り広げられた芸術家と娼婦の奇妙な悲恋物語。あえて、「奇妙な」と説明しておいたけれど、極めて歪んだ愛情表現が古代世界の名を借りて語り尽くされていく。しかし、読者は著者の巧みな表現にあやつられて自然に最後のページにまで至るだろう。
「アフロディテ」 ピエール・ルイス著 沓掛良彦訳 平凡社 1998年1月14日初版
著名な作品なのでたいがいの人は読んでいると思う。私のように晩年に至ってこの著作を紐解くなんて、ただの怠け者だった。
わかりやすい内容なので、読めばわかる、それが私の感想文だった。ただ、少しだけ思ったところを付け加えて、紹介文としての体裁だけはととのえておきたい。
この作品は著者の「序」に書かれている通り、「夢と現実の葛藤」が主題なのだろう。また、これに近い人間現象として、肉体と精神との分裂がこのように表現されている。
「肉体の要求とその限界点まで感じたことのない人々は、そのこと自体によって、精神の要求するところの全幅をとらえることは出来ない」(本書16頁1~3行目)
さて、この物語は絶世の美女たる娼婦クリュシスと稀代の芸術家(彫刻家)デメトリオスとのこの世の常識を超えた絶対的なエロスを描いた物語だ、そう言っていいだろう。内容は読んでいただくとして、次に結論だけ走り書きしてこの拙い紹介文の手を止めることにする。
つまりこうなのだ。この物語には芸術家デメトリオスのこんな理想美への思いが底流している。そして、この思いが物語の終幕に至って、悲恋として幕下ろすのだった。
「彼はこの地上のいかなる女も、自分が夢想する美の水準には到達しえないだろうと想像した。」(本書61頁4~5行目)
ところが、この物語の結末は、こうなっている。生身の人間の娼婦クリュシスは生身のままで一瞬ではあるが溢れかえる群衆を前にして女神アフロディテに転身する。もちろんその後、逮捕され死罪を宣告され牢獄で毒人参を飲み若い身空でこの世を去っていくのだが。
一方、最初は熱烈に愛してはいたが、生身の娼婦クリュシスは夢想する理想美のクリュシスのようにもはや愛することは出来ないと判断した芸術家デメトリオスは、彼女を捨てる。そればかりではなく、牢獄を訪れて、死体になったクリュシスを粘土で雛型にして持ち帰り、その後、彼女の大理石像の彫刻製作に打ち込んでいく。一年たってもまだ完成はしていないのだが。結局、この芸術家のエロスの理想美は、女の生身そのものからではなく死体像から女神像へと転身させんという抽象世界だった。
最後に一言。生身の体の娼婦クリュシスが一瞬ではあれ女神へ転身したということは、唐突ではあるが例えば西田幾多郎の哲学用語を使わせていただくなら、こうも表現出来ようか。つまり、エロスの美と愛欲の身体的快感との絶対矛盾的自己同一の物語を著者なりに完成させた、と。