芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「リヴィエール」181号を読む。

 永井ますみさんから送っていただいた詩誌を読んだ。    「リヴィエール」181号 発行所 正岡洋夫 2022年3月15日発行    この詩誌は、二十人の詩人の作品二十一篇、八人の詩人のエッセイで構成

列車と吊り橋

 この物語は、列車に同席した男性から始まる。いや、それ以前からずっと物語は続いていたようだが、「それ以前」はボンヤリして私にはわからなかった。  男性にはまったく見覚えがなかった。小太りした中年のこの男性は、スーツにネク

フォイエルバッハの「キリスト教の本質」

 このところキリスト教神秘主義関連の本を読んでいるので、やはり、その対極に立っている本も読んでおくのが、事柄の公平性を求める私にとっては必然だった。    「キリスト教の本質」上 フォイエルバッハ著 昭和43年

カアカアは、いずこへ。

 先週の土曜日からちょうど一週間、カアカアの姿が見えない。四月に入って、一日数回来ていた彼女が、一回ないし二回しか我が家に訪問しなくなった。お元気そうだったのに、何故だろう? そう思っていた矢先、フッツリ姿を見せなくなっ

「芦屋芸術十四号」が出来ました!

「芦屋芸術十四号」が出来ました。ちょうど、去年出版した十三号から一年が経ちました。両書とも「編集後記」は三月十九日、発行日は四月十九日です。十九は、私にとって特別な数字です。それはともかく、収録作品は以下の通り。 &nb

工場街の路地にて

 記憶に鮮明に残っているが、ここだ、そう特定できない場所がある……頭の中を流れてゆく映像を見ていて、ふと私はそんな感慨を抱いているのだった。  損害賠償をされているのでその分野の仕事をしているあなたにぜひ立ち会ってほしい

消えた両足

 耳もとでザラザラしたノイズが騒いで、前頭葉に張り付くような砂の映像がカチカチ固まり始めた瞬時、私はベッドに寝ころんだまま闇に浮かぶ天井を見つめていた。午前二時十六分。何故か耐えがたい寂寥感にかき乱されていた。すべては無

カメさん、庭をお散歩!

 お昼過ぎ、カメさんの池の水替えをした。今年初めての水替え。  池といっても、プラスチックで出来た小さな人工の池。以前飼っていた熱帯魚の水槽の底砂を池に敷いて、レンガを積んだ小さな島。この島の上で、カメさんはのんびりお昼

無縁の人

 昼過ぎ、いつものように芦屋浜の散歩から帰ってくると、我が家の庭に、おそらく私と同世代の七十代半ば前後だろうか、男と女がいた。  男は前庭の西側の隅に立って、ややうつむき加減の姿勢で、スマホのようなものを見つめている。右

新詩集「七年の後に」を出版します!

 新詩集「七年の後に」を今年の五月十九日に出版します。  既に原稿は出来上がって、USBにPDFで入力し、いつもお願いしているコーシン出版に送付してこのまま印刷・製本していただけば、いつでも本になります。しかし、五月十九

カラムクドリさん、きょうも来た!

 最近、近所の親水中央公園でカラムクドリをよく見かける。公園の北側、中央辺りの枯れた草むらをピョコピョコ跳ねながら移動する。  カラムクドリがいる時は、「きょうは、いるな」、すぐに私は了解する。何故って、おそらく珍鳥なの

カメさんの朝ご飯。

 きのう冬眠から目覚めた私のライフパートナー、イシガメさんは、はやばやと今朝、午前八時ごろ、ご飯を食べました!  まあ、ご飯とはいっても、私は生物に関してはまったく音痴で、事実、学生時代、生物の成績は極端に悪かった、とい

カメさんが冬眠からめざめた!

 春だというのに、冷たい日が続いていた。きょう、やっと、春らしい春が来た。  私は少し不安だった。この七年余りの間に、妻も金魚も愛犬も愛猫も失った私には、三十三歳のイシガメさんが最後のパートナーだった。カメさんの寿命は二

やれなかった自分が

やりたいことを あるいは やらなければならなかったことを やれなかった自分が   闇を 歩いていた   それは 誕生から現在までの さまざまな自分だった   それを書いていた

午前一時三十四分

 階段を下りると、薄暗いタイル張りの地下街に出た。太い円柱が林立して天井を支えている。  私は円柱の林の奥へ足を入れた。    午前一時三十四分……    枕もとの近くに置いているスマホで時間を確認し

さまざまな映像の破片が砕け散った

闇が 消えるまで 記憶だけの世界で 遊んでいた   そこでは 記憶の破片が さまざまに組み合わされて 昼間とは違った映像界と音響で ひしめきあっていた   どす黒い物が 座っていたり 立ってみたり い

「芦屋芸術十四号」を四月十九日に出版します!

  「芦屋芸術十四号」を出版します。詳細は以下の通りです。        収録作品 ・「カアカアと、このひとときを」           ・「詩画集 脳の軌跡」           ・「暗中を模索する その3」

「カワラヒワ」を見た!

 最近、芦屋浜に近い公園、芦屋市総合運動公園や親水公園辺りに多くのアマチュアカメラマンがやって来る。みんな望遠レンズを装着したカメラや様々な付属品を持って、重装備をしている。我が家とも近接しているので、散歩しているとよく

わからなかった

長い階段を下りていった 下は闇だった 何が存在するのか わからなかった なぜお化け屋敷のようなところへ下りてゆくのか わからなかった

七年の後に 序曲

意識では もう死にたいと思っているのに 無意識は 生きようとしていた     *写真は、三月十一日お昼ごろ、芦屋浜から春の海を、スマホで私が撮った。

七年の後に 終曲

孤独になるということは 自分のすべてと向きあうことだった   心に雲が浮かんでいた すべての過去が そのまま 浮かんでいた     *写真は、三月八日の午後六時頃、夕日が沈んで暮れなずむ芦屋

七年の後に その43

愛は からだの奥深くに住んでいた 愛は からだと一体になってしまった 愛は いつもからだの奥の方から優しく語りかけてきた   そうだ だが それにもまして あなはと愛しあったということは 愛しあったまま あなた

カアカア、その後

 カアカアは、基本的には、毎日やって来る。「基本的」と言ったのは、滅多にないことだが、たまに一日姿を見せなくても、必ず翌日には我が家のウッドフェンスの縁に立って、ご飯をオネダリする。  一日に一回しか来ない時もあれば、多

「後藤光治個人詩誌アビラ9号」を読む。

 後藤光治さんから詩誌が送られてきた。    「後藤光治個人詩誌アビラ9号」 編集発行 後藤光治 2022年3月1日発行    この詩誌はすべて後藤光治の執筆になるもので、まず、「ロラン語録」、「詩作

七年の後に その42

なぜ えっちゃんは帰ってこないんだ 小雨が降る中 自問自答しながら  私はきょうも芦屋浜を歩いていた   違う えっちゃんは帰ってこないんじゃない 帰りたくても 帰れないんだ 帰ることが出来ないんだ &nbsp

「リヴィエール」180号を読む。

 永井ますみさんから送られてきた詩誌を読んだ。    「リヴィエール」180号 発行所 正岡洋夫 2022年1月15日発行    十七人の詩人の作品十八篇、扉の裏に一篇、八人の詩人のエッセイ八篇が収め

「風のたより」24号を読む。

 伊川龍郎さんから雑誌が送られてきた。    「風のたより」24号 発行所 風のポスト 2022年1月    執筆者は同誌23号と同じ五人のメンバーだった。  まず小坂厚子の詩二篇。二篇とも特殊な時間

七年の後に その41

まいにち 雲ばかり見ていると   その思い出が 心にいっぱいたまってくる だから   ボクは 雲が大好きだ   とても ふわ ふわっ として あなたの口のなかで   綿菓子がとける

「風のたより」23号を読む。

 こんな文芸誌を読んだ。    「風のたより」23号 発行所「風のポスト」 2021年8月    この本は五人の作家で構成されている。概略を以下に紹介しておく。  まず巻頭、伊川龍郎の現在の日本の状況

七年の後に その40

きょうも 雲を見ていた   もし君があの空から帰ってきて もう一度同じ屋根の下で暮らせたら   ボクはこんな詩なんて 書きはしなかった     *写真は、二月二十四日朝九時頃、 近

七年の後に その39

きょう お昼過ぎ   六甲山を背に 芦屋浜を歩いて   海と その上に浮かぶ 雲を見ていた   四十三年間 愛しあって   別れた     *写真は、二月二十三

「芦屋芸術」十四号を出版します!

 去年の四月十九日に「芦屋芸術」十三号を出したきり、それ以降、もう「芦屋芸術」は廃刊にしよう、そう考えた時期も、私にはあった。だが、アレコレ逡巡した結果、やはりトテモ業が深いのだろう、もう一度、やることにした。  今年の

「幻想と怪奇」第五巻から「表現主義時代の幻想」を読む。

 表現主義、そんな言葉を耳にすれば、いったいどんな作家の名前が脳裏に浮かぶだろうか? 例えば、カンディンスキーか? カフカか? トラークルか? シェーンベルクか? 一九一〇年代から二〇年代半ば辺りにドイツ周辺で閃光を放っ

七年の後に その38

七年前 えっちゃんは 骨と煙になった   いずれ 私も 骨と煙   生きてるうちが 花だった     *写真は、二月二十二日お昼前、我が家の庭に毎日遊びに来るカラス。私を見つめてい

鈴木大拙の「神秘主義」

 精神医学に従事していたミンコフスキーの「精神分裂病」を読んだとき、これは確か去年の九月の話だが、ベルグソンの思想に強く影響されている主旨が述べられていた。彼はベルグソンの前期の思想に影響されたのだろうが、私は後期の作品

七年の後に その37

えっちゃんといっしょに暮らした 四十三年間 とても楽しくてしかたなかった   それ以上でも 以下でもなかった     えっちゃんを喪ってから 七年間 ものすごくしんどかった   そ

七年の後に その36

花は ずいぶん昔から きっとたましいに寄りそってきたに違いない   私はふとそう思った     *写真は、二月十六日午前七時頃、五年余り前に永眠した愛犬ジャックの骨壺を彩る花を、スマホで私が

七年の後に その35

かつて肩をならべて歩いた小道を きょうもひとりで歩いていた   悲しみの涯に 喜びがあふれていた     *写真は、二月十五日お昼頃、芦屋総合運動公園の西端の小道を、スマホで私が撮った。

「パスカル小品集」を読む。

 この本を開いたのは、先月、ラファイエット夫人の「クレーブの奥方」を読み十七世紀フランス作家の文章をもう少し読んでおこうと思った、それに加えて、去年の九月にベルグソンの「道徳と宗教の二源泉」の中で神秘主義についての積極的

七年の後に その34

七年余り 花に助けられてきたのが わかった   けさ 水替えしながら きれいなあ そうつぶやいていた     *写真は、二月十三日午前七時過ぎ、台所の流し台で水替えしている花を、スマホで私が

七年の後に その33

愛する人と死別した人は ともに歩いた道を 何度も歩くだろう 昼も 夕も 何度も 狂った眼と足で まぼろしが 笑みを落とす道を   *写真は、二月十二日お昼頃、潮芦屋緑地の松に覆われた小道を、スマホで私が撮った。

七年の後に その32

同じところから出て来て 雲になったり ボクになったり えっちゃんになったり   宇宙はトテモにぎやかだった     *写真は、二月十一日お昼頃、芦屋総合運動公園の樹木に囲まれた遊歩道から雲を

七年の後に その31

北から 南へ 雲が動いていた   冷たくもない 優しくもない 雲が     *写真は、二月十一日午前七時過ぎ、我が家の庭から雲を、スマホで私が撮った。

七年の後に その30

雲を見ていると 心が軽くなって 浮かんでいた   *写真は、二月十日午後五時半頃、我が家の裏の歩道から、夕日が落ちた空と雲を、スマホで私が撮った。

ベックフォードの「ヴァテック」

 私が二十五歳の頃に「幻想と怪奇」という文芸誌が出版されていた。この文芸誌は、創刊号が一九七三年四月一日に三崎書房から出版され、第二巻以降最終刊の第十二号までは歳月社から出版された。この最終刊は一九七四年十月一日に発行さ

かゾットの「猫の足」

 先日読んだカゾットの「悪魔の恋」は、「幻想と怪奇」という雑誌の創刊号と第二号に連載されたものだが、同じ著者の別の作品が「幻想と怪奇」第三号と第四号に連載されているのでご紹介しておこう。    「猫の足」 カゾ

かゾットの「悪魔の恋」

 十八世紀のフランス文学を読み進んでいて、先日、レチフの「パリの夜」を読み終えた時、フランス革命のさなか、ギロチンで死刑になった作家を思い出した。早速、私はこの作家の作品を読んだ。    「悪魔の恋」 カゾット