芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「風のたより」23号を読む。

 こんな文芸誌を読んだ。

 

 「風のたより」23号 発行所「風のポスト」 2021年8月

 

 この本は五人の作家で構成されている。概略を以下に紹介しておく。

 まず巻頭、伊川龍郎の現在の日本の状況への批判的時事評論が掲載されている。新型コロナから始まり、現代日本人の人工的に歪曲された自然感覚など、さまざまな状況に対して私見を率直に述べているのが印象的だった。

 小坂厚子は二篇の詩を発表している。二篇は共通して、時間の疾走感・切迫感を言語で表現している、いわば言語実験と言えるのだった。例えば、朝、家を出遅れ、出社のための電車にギリギリ間に合うかどうか、その切迫した状況を丸の内線三番ホームまでさまざまな風景の中を駆け抜けていく、疾走感の言語表現だった。

 松岡祥男は、「猫」と「松」、こんな愛称を持つ二人の対話形式の作品だった。私は不勉強のため、この対話に登場する人物について存じあげない。おそらくこう言った作品は、何かゴタゴタしてるな、そんなゴタゴタ感を読んで楽しむ、非日常性にあるのだろう。

 若月克昌は、軽妙な私小説タッチの作品だ。サラリーマンの一日を書いていて、ちょっと風変わりなさまざまなエピソードが夜まで流れ、サラッと読了するだろう。ただ、不思議なのは、このサラリーマンはいったいどんな仕事をしているのか、その片鱗さえ見せなかったことだった。

 松本孝幸は、「<線>から見たマンガ表現(1)」という論文を発表している。この論文は、今後この誌上で連載されていく第一回目の文章だった。掲題の通り、マンガを<線>から理解しようというもので、著者が一九九〇年代に辿り着いた試論を、このたび再構築するのだろう。マンガ表現における<線>の二重性にたどり着いたのは、マルクスの資本論第一巻の巻頭に展開された商品形態論の中で、商品の二重性とその根底にある実体、つまり労働の二重性を論述しているが、その商品の二重性から、私は勉強していないが吉本隆明の言語の二重性に至り、そこから<線>の二重性へ到達したと言うことである。私はマンガはほとんど見ていない。無知な私にはマンガを学ぶいい機会でもあり、今後の展開が楽しみな論文だった。