芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

親水公園にて その27

木の下に立って 好き を考えていた…… 少年時代 トカゲ 好き ヘビ トンボ ホタル カブトムシ チョウ 好き ……モンキチョウ モンシロチョウ アゲハ キアゲハ クロアゲハ ベニシジミ…… 十代から大人になって もっと

親水公園にて その26

 一九六九年秋。私がSのアパートで遊んだのは、あれが最初で最後だった。  遊んだ? いや、私たち二人はじっと見つめあったままだった。三つくらい年上の彼女はベッドの縁に座って私を見上げ、まだ二十歳だった私は勉強机の前に立っ

D.クーパーの「家族の死」

 もうずいぶん古い話だが、一九七〇年前後の頃、個人的に言えば私が二十歳になるかならないか、そんな頃のお話だが、「家族帝国主義」という言葉があった。今でもこの言葉が残っているのかどうか、私は詳らかにしない。それはとにかく、

親水公園にて その25

あの女に 手紙を書いていた   無視されるのは わかっていた   それでも 書いていた   きょうも この木の下に立っていた 手紙を出したのを 後悔して     *お昼過

虫の息

 あの女は巨大だった。私は毎晩、彼女の手のひらの上で寝ていた。  だが、状況が徐々にわかってきた。決してあの女が巨大なのではなかった。姿見に映った私はゴキブリだった。彼女はゴキブリが怖くて、嫌悪していた。明るい台所で私を

親水公園にて その24

愛したために 待つことを覚えた   愛したために 死を恐れなくなった   愛したために すべてを投げ出そうとした   愛したために 捨てられることを知った     *写真

親水公園にて その23

あなたといっしょにいるのが とても楽しくて   別れるなんて 心に浮かびもしなかった これっぽっちも!   そうなんだ 長い歳月 愛しあったので もう 愛しあうことしか出来なかったんだ  

頭 覚醒

頭が澄んでいる 透明な空間が拡がっている 光っている 2022.9.5.23:54 頭 緊張 このまま 破砕するのではないか 破砕…… 2022.9.6.03:34 頭 覚醒 2022。9.6。03:50

眉間

 洗濯機だとばかり思っていた。  衣類を投げ込んだ時、思った以上に底が深いのに気が付いた。そればかりではなかった。穴は垂直な小さい空間ではなく、かなり深く、横にも広がっていて、果てが見えなかった。薄暗く、荒れ果てた、広大

親水公園にて その22

あなたがもうこの世にいなくても 雲はきれい   この空も この雑木も また 足もとに咲くこの九月の花も   きれいは きれいだった     *今日のお昼ごろ、いつものように親水公園

ミシェル・フーコーの「精神疾患と心理学」

 私はこれまで、デヴィッド・クーパーの「反精神医学」、ロナルド・D・レインの「自己と他者」、また、彼等に影響を与えたサルトルの「方法の問題」、こういう順序で三冊の本を読んできた。これらの著作に共通して主張されている事柄は

親水公園にて その21

この歳になって わたしにも やっと わかった   誰でも みんな 自分なりに けんめいに 生きてるんだ   よし わたしも 今夜 あの女に手紙を書こう     *夕方、五時過ぎ、親

親水公園にて その20

大切な人を 喪うということは   自分の中心が 穴になることだ   その穴には 八年間 毎日 苦痛が座っている   けさも 苦痛はあぐらをかいたままで おはよう なぜか優しく そう言った &

「芦屋芸術十五号」が出来ました!

 本日、「芦屋芸術十五号」が出来ました。内容は以下の通りです。     カアカアと、このひとときを(続)   詩画集 原始の領域から   暗中を模索する その4    以上、三篇を収録しています。執筆

親水公園にて その18

あの女に 手紙を書いていた   炎天下 毎日 公園を歩きながら   頭の中で何度も書いていた そして 何度も消していた     *真昼、親水西公園の池のほとりに立って、終わりゆく夏

親水公園にて その17

愛は 言葉ではなかった   鯉も そうだった     *午後六時ごろ、親水西公園の池の鯉をスマホで撮った。まだ空は明るく、辺りは澄みわたり、この夏初めての涼しくてひたひたした夕暮れだった。も

サルトルの「方法の問題」

 先日読んだデヴィッド・クーパーの「反精神医学」、ロナルド・D・レインの「自己と他者」、この論述を読んでいて、彼等より十五年前後人生の先輩の哲学者の名前が出てきた。おそらく彼等が家族という存在を思索する導きの糸として影響

親水公園にて その16

芦屋の海に近い公園の片隅で 私は片隅なりの詩を書いている   好きなら 好きだ きれいなら きれいだ そう書いている   雲や木や風 そこに生きるあの女とお話しをする それが片隅の詩だ  

亀と三十三年半、反復した!

 雨が朝方に止んだので、曇天の下、七時過ぎ、亀の池の掃除を始めた。  池を洗っている間、きょうはなぜか私の足元にくっ付いて彼は離れようとしない。作業も後半になって、やっといつものように庭中あちらこちら散歩しだした。今度は

何故

 どうして二派に分かれて争っていたのか、私にはわからなかった。ただわかっていることは、投石や火炎瓶が渦巻き、見知らぬ暴徒が殺到する中で、私自身も争い続けていたのだった。  夜の街、いや、あれを夜の街というのか、だだっ広い

野間明子の「襤褸」

 友人山中従子の縁で、こんなステキな詩集を読むことが出来た。    「襤褸」 野間明子著 七月堂 2022年7月17日発行    この詩集の特徴は、昔綺麗な濃い空色だった薄紙がいまや変色して灰色に汚れ

親水公園にて その14

親水公園の 木立の奥から あの女が浮かんで 両脚は定かでないが こちらに向かって 笑みを描いて やって来る   狂っているのか     *夜来の雨は朝方にはあがって、降りそうでいて降らない、

親水公園にて その13

不幸を 幸福に変えることはできない だけど 不幸を表現することはできる   そのことをまた 再確認していた しばし橋の前で 空を仰いでいた     *もう夏の終わりが近づいたのか、朝から激し

R・D・レインの「自己と他者」を読む。

 先日読んだ「反精神医学」の著者デヴィッド・クーパーと反精神医学運動を共にしたこの人の本を開いてみた。    「自己と他者」 R・D・レイン著 志貴春彦、笠原嘉訳 みすず書房 2000年5月19日第22刷 &n

親水公園にて その12

 この夏は例年になく暑い日が続いた。それでも真夏日や猛暑日の真昼時、わたくしは毎日親水公園を抜けて芦屋浜まで歩いている。浜の東北端のあずまやから海と空と雲をみつめている。右後方には、入道雲を背後にして六甲山が立っている。

亀さん、現行犯逮捕!

 けさ、七時半ごろから、亀の池の掃除を始めた。ご飯の食べ残しや、彼の汚物、夏の炎天下、一週間前後にわたる水の腐敗。ポリエチレンの池の壁面や底砂をキレイにととのえるのに、毎回、おおよそ四十分を費やしている。その間、亀は自由

いのちの火

まだ燃えていた あなたがいて また もうあなたがいない場所には 骨だけが残り 座っていた 笑っていた 確かに まだ燃えている わたしのこころと あなたの骨が 未明 輝きあって 重なりあって やわらかく開き ついに ふたつ

クーパーの「反精神医学」を読む。

 先日、「臨床精神薬理」第25巻4号(星和書店、2022年4月10日発行)を読んだ。また、その読書感想文を「芦屋芸術」のブログに私は書いた。結論から言えば、所謂「統合失調症」という病の原因は不明だった。あれこれ推論はある

亀と白いキキョウ(続続続)

 朝方、豪雨がやって来た。しかし私は、この土曜日の午前中に二つのお願いを胸に秘めていた。  一つのお願いは、週に一回やっている、庭の池の掃除をやりたかった。もう一つのお願いは、洗濯だった。九時前にはパラつく程度の空模様に

親水公園にて その6

夏の 朝 かよいなれた小径 ここでは 雑木と風と蝉が交響してる   ソレは サーミン ザワミン ザクミン だ     *写真は、朝九時過ぎ、親水中央公園から親水西公園へ向かう小径。

親水公園にて その5

この道を 十九年間 ほとんど毎日歩いた   十一年間は ふたりで 残る八年は ひとりだった     *朝九時過ぎ、我が家の南、親水公園の散歩道をスマホで撮った。芦屋浜にもこの道を歩いて出た。

親水公園にて その3

雲は にぎやかだ そう思うときもあり   雲は さびしい そう思うときもあった   雲は きれいなあ きょうはそう思った     *親水公園から、正午の空を撮った。

「臨床精神薬理Vol.25,No4Apr.2022」を読む。

 まったく個人的な理由だが、私は所謂「統合失調症」に深い関心を持っている。「芦屋芸術」のブログにもヤスパースやビンスワンガー、ミンコフスキーのこの病に関する論文の読書感想文を書いた。また、周知のとおり、ヘルダーリンやスト

親水公園にて

 空は  ひとりぼっちなのに  たくさんの雲を  受け入れている  とても不思議だった    *写真は、近所の親水公園で。炎天下の真昼、木陰から空を撮った。

芦屋の花火大会

 昨夜の七時四十五分から八時半まで、近くの芦屋浜で久しぶりに花火大会があった。このところ、毎年恒例だった花火大会がコロナで中止になっていた。  暗い空で破裂し散乱する豪華な火花を、道路の脇に座って、私は見あげていた。

スライスされたもの

 体は冷たくなっていた。  先ほどまではまだガタガタ震えていたのだが、ぴたりと静止したまま、カチカチ固くなっていた。また、絶え間なく刻む音がした。それは時計の秒針ではなく、刃物に似た鋭い先端がカチカチ固まってしまった体を

えっちゃん、カアカアが来たよ!

 雨中の食後、小半時くらいして、カアカアは我が家のウッドデッキまで遊びに来ました。きょうは亡妻えっちゃんの八年目の命日です。私は仕事を休んでいました。雨風をいとわず、カアカアは足を運んでくれました! えっちゃん、カアカア

カアカア、風雨の中で。

 強い風雨の中、午前十一時半ごろ、カアカアが来た。吹き飛ばされそうな傘を手に、庭の食卓に彼のご飯を置いた。うれしそうな眼でじっと私を見つめながら、顔を上下させて、彼はそれを食べていた。

「芦屋芸術十五号」編集・校正、終わりました!

 本日未明、三時過ぎに起床。表紙から作品、編集後記まですべてを見直し。若干の修正をして、「芦屋芸術十五号」の編集・校正を完了。ワードの原稿をPDFに変換して印刷会社に送ればもういつでも本に出来る。  ただ、七月に入って急

「お伽草子」を読む。

 ハイネの「ドイツ古典哲学の本質」で民話について言及されていたことは既に私はブログに書いた。また、それに触発されて先日読んだ岩波文庫の「日本昔ばなし」全三冊の流れの中で、さらに日本の民衆の考え方・感じ方を学ぼうと、この本

商店街

 商店街に来て気づいたことがある。  商店街には人気がない、誰もいない。さまざまな店が並んでいるが、看板が見当たらない。店名がわからない。何を営んでいるのか、どんな商売をしているのか、そもそも店を開いているのかどうか、ま