芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

エリアーデの「シャーマニズム」

 十年くらい前、エリアーデの「世界宗教史」全八冊(ちくま学芸文庫)を読んだ。読んだ理由のひとつには、ボクもワイフも海外旅行が好きで、一緒にあちらこちらの遺跡を訪ね歩いたことも、多々あった。そんな旅行者には「世界宗教史」は絶好のガイドブックだと思った。こんなことを言うと、きっとエリアーデはイヤな顔をするに違いないけれど。

 今から三千年以上昔、アブ・シンベル大神殿の壁画などのエジプトの遺跡群、カンボジアのクメール王朝の時代に建造されたアンコール・ワットやバイヨンの壁画。「ホラ、えっちゃん。天上界、地上界、冥界、この三層で世界を表現して、ご覧、この世界軸の穴や梯子から権力者や英雄、宗教家が下降したり上昇したりしていたんだ。天上界や冥界を彼等だけが旅行できたんだ」。ボクは壮大な壁画に圧倒されながら、得意になってエリアーデの受売りをワイフにまくしたてていた……今は亡きワイフの懐かしい思い出のひとこま。

 

 エリアーデ著「シャーマニズム」全二冊 堀一郎訳 ちくま学芸文庫

 

 言うまでもなく、ボクは学者でも宗教家でもないのである。従って、専門的なことはからっきしわからない。でも、エリアーデがこの本を書いた根本的な思いはボクのような無学の徒でも、なんとなく理解は出来た。この本の序言で、彼は「聖の弁証法」という余り聞き慣れない言葉を出して、古代から歴史的時間が経過する中で、聖と俗との極端な分化、それに伴って聖なるものが現実から乖離していくと述べ、さらに、こう言う。

「歴史というものはある程度、聖の頽廃であり、制限であり、縮小であるからだ。しかし、聖は自らを顕わすことを止めはしない」(上巻22頁)。

 だから、エリアーデのように、この世に聖なるものが顕れることを第一義的な事柄だという立場に立てば、日本語版の序にも書かれている通り、シャーマンの霊魂がその肉体から離脱して天上界へ上昇するエクスタシー体験、この「呪術的飛翔」がより原初的で普遍的なシャーマンの技術であり、シャーマンの本質だと言えるのだろう。

 詳細は本文を読んでいただくことにして、第十四章の「結論」でこのような主旨を述べている。つまり、シャーマンに代表されるエクスタシー体験は、古代人類のすべてに知られていた。古代人類は現代のわたくし達と違って、シャーマンという特別な人ではなく誰でも「至上神」と、「高きにあるもの」、「天空の神」、「聖なるもの」と結びついて生活を送っていた。ところが、歴史的時間の経過に従って、聖と俗は極端に分離され、聖なるものは人々から去り、地上の楽園は失われた……。

 シャーマンのエクスタシー体験は、霊魂が彼の肉体から離脱して、彼はこの世で死に、異界、天上界を旅してふたたびこの世に帰還して復活する、われわれ俗人の前で。この体験は人間の死と復活を開示する根元的技術だ、エリアーデはそう考えているのだろう。

 そしてさらに「エピローグ」では、シャーマンの巫儀のドラマティックな構造についてこのように語っている。

「日常経験の世界では見られないような『光景』、(中略)、すべてのことが可能と思えるような世界、死者がよみがえり、生者がまた生き返るためだけに死に、人が見えなくなり、同時にふたたびあらわれることのできる世界、『自然の法則』がなくなり、ある種の超人間的『自由』が例証され、目くらむように現在せしめられる、世界」(下巻350-351頁)。