芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

成就

 あなたは岸辺にしゃがんで水の面を見つめていた。水紋が午後の陽射しに反射して、あなたの顔には縞模様の影が揺らいでいた。どうしていいかわからずに、わたくしは黙ってそばに立ったまま、ただ池とそれを取り囲む樹林を前にして一行の言葉さえ浮かばなかった。小石をつまむと、少しため息を漏らしながら水の面にあなたはそれを落とした。水紋の影が激しくあなたの顔の上で騒いでいた。

 十年後、あなたは一人の男と連れ立ってわたくしの前に現れた。地下街の広場で噴水を背にして立っているあなたは、何故かしら雨にうたれたいちじくの匂いがした。わたくしは一礼して大人になったあなたの体から遠ざかり、二度と振り返りはしなかった。かすかに揺らめく水紋の影を脳裏に覚えていた。

 それからまたおおよそ十年後、つまり今日の遅い午後のことだが、あなたと再会したのは狭い路地裏の奥まったあたりに建つ仕舞屋の二階だった。出窓の手摺りに寄り添って、表通りから路地に入って近づいてゆくわたくしの姿を目で追い続けていた。門前で見上げると、二人のまなざしが混じりあって、ひとつになっていく気持ちがした。あなたの額から水の波紋は跡形もなく消えていた。長襦袢のままで、ほつれた髪をそのままにして、まるですべての飾りを体から投げ捨ててしまった風情だった。

 仕舞屋の二階に上がり、わたくしは出窓の明かり障子を閉ざした。あなたと交わした約束の時が来た。わたくしはあなたを抱きしめ、左の耳たぶにくちびるを寄せた。