芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

半世紀近い昔の話

 今となっては、夢か現実だったか、わからなくなってしまった。それはともかく、私が二十代後半、新橋の神谷町に住んでいた頃、ある一夜の物語である。

 どこで飲んでいたのかはもう記憶にない。ずいぶん酔っぱらっていたことだけは確かだった。もう夜の十一時は過ぎていたのか。……山手線の座席に向かいあって座っている人々の顔が、見てる間に、柔らかくなってしまった。別に人の顔が柔らかくなっていけない道理はない。だが、座席に向かいあって座っていた五六人の顔がそろって柔らかくなってしまったので、なんだか薄気味悪い気持ちがしてきた。

「もうすぐ新橋です」

 誰かが注意してくれたように思われた。それでももし隣に座っている人の顔も柔らかくなっていたら困ると考えて、返事をしないことにして、聞こえなかったふりを決めていた。すると、辺りが騒然としてきた。こいつだ、こいつだ、中にはそんなふうにささやきあっている人々もいた。追い立てを食らったようにヒヤヒヤしながらプラットホームへ飛び降りると、一目散に改札口を駆け抜けた。余りにあわてたものだから、まだ電車の座席に私の頭だけが取り残されていて、悲鳴を上げてコロコロ転げ回っている、そんな映像が脳裡にこびりついてきた。

 ふと我に返ると、辺りはたそがれていた。誰もいない薄明の新橋周辺をうろついていた。風がバラバラになって吹いているのだろう、あちらこちらで街路樹が逆方向に揺れていた。それとも、街路樹までもうすでに柔らかくなってしまったのだろうか。

 新橋駅から日比谷通りに出ると、やはりその辺りも柔らかくなっていた。

 新橋三丁目から仰ぐと、東京タワーまでフニャフニャ柔らかくなって、今にもずいぶん大きなナメクジになってしまいそうに思えて、立ちすくんでしまった。そうこうしている間に、街は闇に沈んでいた。新橋だというのに、あかりひとつなかった。

 きょうという日はいかにも腑に落ちないと、そんな取り留めのないことばかりあれこれ思案していたので、もう少しで我が家の前をやり過ごしてしまうところだった。それにしても、東京タワーまで柔らかくなるなんて、いったい何事が勃発したのだろう、ひょっとしたら、この私自身もフニャフニャしているのではないか。いや、きっとそうに違いない。……

 アパートの共同廊下の奥、我が家の戸口の前で私はしばらくためらってしまった。うつむいて額をコツコツ叩いて迷っていると、部屋の中からネチャネチャした声が聞こえてきた。あわてて扉を開けると、奥の障子の隙間から大きなタコの足が一本ゾロリと出て来たので、呆然自失してしまった。妻がタコになってしまった。もう家庭も柔らかくなって崩壊してしまったのだと気づき、一目散に逃げだした、その一瞬、タコの足がズルズルっとのびて私の襟首を捕まえ、金輪際離そうとしない。とにかく、タコの顔だけは断じて見たくない、そう決心して両手で目を覆っていると、タコはとても悲しそうにアイアイ・アイアイ泣きながらもう一本の足ものばして私の両肩を抱きしめ、耳もとでつぶやいた。

「弱虫、弱虫、弱虫、弱虫……」

「弱虫でもいいから離してくれ」

 だんだんタコの言葉がわかり始めて来た。私はタコになった妻と何度もとりとめもない問答を繰り返しているうちに、なんだかタコが好きになってしまった。もう一度タコと生活をやり直してみたい、タコの子供を二人で作りたい、そんな幻想を脳裏に描いては、タコの顔をじっと見つめていた。

 夜明けが近いのだろう、藍色に染まった空間に東京タワーのライトがひときわ明るかった。窓の下をおびただしいタコの影が麻布台の坂をゾロゾロ歩いていた。坂を上がっていくタコもあれば、下っていくタコもあった。彼等には彼等の生活が待っているのだ、妻の肩を抱きしめながら、何故か私はそんな感慨にひたっていた。窓には二人のタコの姿が映じていた。