芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ストリンドベルクの「父」再読

 どこに置いてしまったのか、ここ数日間、一階と二階にある本箱をシラミツブシに探した。最近、この作家の作品を読んでいるので、どうしてもこの作品も読んでおきたかった。薄くて古くてテーブルに放り投げたら崩れそうな半ば解体した文庫本なので、発見するのは思った以上に手強かった。

 

 「父」 ストリンドベルク作 小宮豊隆訳 岩波文庫 昭和二十 年 月十五日第十四刷発行

 

 発行年月日で空欄になっている個所には印紙がこびりついて剥がそうとしたら奥付が破れてしまいそうなので、どんな数字が入っているかわからない。ただ、初版は昭和二年七月十日となっているので、おそらく戦後早々に再版されたのだろう。奥付の左上欄に「30」と鉛筆書きが入っており、私が二十歳前後の時、古書店で三十円だったのだろう。

 この戯曲は、一八八七年、著者三十八歳の時に発表されていて、その年の九月から先日ブログに紹介した「痴人の告白」を書き始めているので、内容は極めて近似している。ただ、「父」は「痴人の告白」の執拗でこれでもかと書き連ねる言語群を切断して、そのエッセンスを劇化したものだろう。いや、おそらく、むしろ「父」では表現しきれない著者の情念や妄想などをさらに深淵に向かって形象化したのが、「痴人の告白」ではないだろうか。ストリンドベリが「痴人の告白」を発表する意志がなかった、死を覚悟して書き上げたというが、読者からすれば、成程、スサマジイ妄想の書だった。

 「父」の概略だけ書いておこう。

 主人公の大尉アドルフは妻ラウラと娘の教育のことで口論する。互いの意見が真っ向から対立して決着が付かなくなる。口論の果て、ラウラはこう主張した。子供を産んだのは母親であって、父親ではない。従って、その子供の父親が誰であるかを知っているのは母親であって、父親は知らない。夫婦であって父親だからといって、ほんとうにその子供の父親かどうか、それはわからない。ひょっとしたら他の男との間に出来た子供であって、その真実を知っているのは妻だけなのだ。だから、子供のしつけや将来のための教育を決定するのは母親の権利なのだ。

 もちろん、その他にもさまざまな手段を講じてラウラはアドルフを精神的に追い込んでいく。夫は疑心暗鬼の末、発狂する。

 この作品は、二つの争いが伏線として描かれている。一つは、主人公は徹底した無神論者ではあるが、それに対立する市民社会で平俗化したキリスト教の有神論との相克。他の一つは、男と女の愛と憎悪の二面性。憎悪が激しくなった結果、夫婦生活の中に出現する地獄絵。

 この劇の幕が下りる前、妻ラウラの策謀によって精神病者にされ、狭窄衣で自由を奪われ、主人公アドルフはこう叫んで、絶命した。

 

「男は決して子供を持ってはいない、子供のあるのは女だけなんだ、だから未来は女のものなんだ、俺達は子なしで死んで行く!」(本書107頁)

 

 そうと意図されたものではないが、結果として、ストリンドベリは、妄想が人間を破滅させていく姿を克明に、極めて精密に描いたのだった。