芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ストリンドベルグの「歴史の縮図」

 ストリンドベリは晩年、神秘主義者になった、そう言われている。この本は、一九〇五年、五十六歳の時に書かれていて、その六年後に彼はこの世を去っているので、晩年の神秘主義の書の代表作と言っていいだろう。

 

 「歴史の縮図」 ストリンドベルグ作 宮原晃一郎訳 春陽堂 昭和9年8月15日発行

 

 不思議な味のする長編小説だった。モーゼの誕生秘話から始まり、さまざまなエピソードを経て、フランス革命の終焉、ブリュメール十八日のクーデターの勃発、十九世紀が始まる鐘が響き渡る場面で、物語を閉じている。

 もちろん、言うまでもなく、二十世紀初頭、世界で初めて資本主義を確立して人類がかつて経験しなかった未曾有の経済的繁栄を迎えたヨーロッパの一作家の視点からみた歴史であってみれば、世界史と言うより、正確にはひとつのヨーロッパ史であり、しかも、特異な神秘主義的な歴史観に立ったヨーロッパ史だ、そう言って差し支えないだろう。

 モーゼから始まった物語は、アテナイに移り、ソクラテスを中心にして、プラトン、アルキビアデス、悲劇作家エウリピデス、ソフィストのプロタゴラス、また、政治家のクレオンや喜劇作家アリストファネスなどが登場して、この物語の底辺、アテナイとその神々の没落、そして、ローマが形成される過程に顕現するただ一つの神の手を描いている。この後に展開されるさまざまなエピソードの底辺には、登場人物がそうと意識しようがしまいが、結果として、ただ一つの神、アブラハムの神が現われんが為に行動する。思えば、確かにソクラテス・プラトンの哲学は、ギリシアの神々の没落からただ一つのイデアの顕現が表現されているのではないか。初期のキリスト教はプラトン哲学と強く共鳴しているのではないだろうか。

 アブラハムの神を信じる民は、モーゼによってエジプトの奴隷から脱出し、黄金時代へと向かう。それは何度も挫折を繰り返し、その混沌の中から、ふたたび不死鳥の如くこの世に顕現する。ストリンドベリのこの物語は、その出来事を象徴的に描いたものだろう。

 

「学者は言います、モンマルトルの丘は、海から頭を出すのに百万年を要したと。ところで、我々人類の歴史は僅か三千年に過ぎません。若し三千年で人間がその過去の回想を始めることが出来るとすれば、六千年では、多分改善のあとを認めることが出来るでしょう! 我々は気短かで、傲慢です。それでも進歩は早いです。三百年前、アメリカは発見され、今は欧州に共和国が出来、アメリカ、インド、志那、日本は開国し、全地は間もなく欧州に属します! 御覧なさい、今こそアブラハムへの約束ですー汝のたねに於て、あらゆる民族は祝福せらるべしという神の約束は、今、成就の途上にあります。」(本書394頁)

 

 さらに、このように表現されている。

 

「ユダヤ人であったキリストを通じて、我々はアブラハムの精神的子孫です。一つの信仰、一つの洗礼、一人の神、そして万人の父!」(本書395頁)

 

 アブラハムの経験の根源が将来、すべての人間の心を捕って離さないであろう、従来の歴史の研究からストリンドベリはこう推論し、まさにその時、この地上に楽園が、黄金時代が到来する、晩年になって彼はこんな希望を発見した。