芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ヤスパースの「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」

 このところストリンドベリの作品を少し読んでいるので、さらに一歩進んで、我が家の二階の本箱からこの本を手にして、階段を降り、いつもの指定席、ダイニングテーブルの東南端に座った。頭の右側、東窓の飾り棚には、北から南に向かって、アニー、えっちゃん、ジャックの骨壺が立っている。

 

 「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」 カール・ヤスパース著 村上仁訳 山口書店 昭和21年12月20日初版発行

 

 この本にはこんな副題が付いている。

 

「芸術的作品と精神分裂病との関聯の哲学的考察」

 

 現在では統合失調症と病名変更されているが、ここでは精神分裂病と表記する。というのも、本書は一九二一年「応用精神病学叢書」の一冊として発表され、一九二六年に増補されて「哲学的研究叢書」に再刊されている。原題は、「ストリンドベルクとファン・ゴッホ、スウェーデンボルグ及びヘルダーリンと比較せる病誌的分析の試み」となっている。この本を読んでいただければわかることだが、ストリンドベルクやゴッホの病名が精神分裂病と表記されることによって、決して違和感は生じない。また、ゴッホは違った病名、癲癇を指摘されることもあるが、この本を読めば、何故ヤスパースは精神分裂と判断したのかも理解できる。私は専門家ではないので誤った説明をする可能性があり、興味のある方は直接読んでいただきたい。

 ヤスパースは、この本の第一章で、まずストリンドベルクの症例を分析する。結論だけ言うと、ストリンドベルクの場合、精神分裂病の影響は主に外部の対象に影響する。妻に対する執拗な嫉妬妄想、誰かに監視されている追跡妄想、だから彼は逃げるように転居を重ねる。スウェーデンボルグに抱く彼の親近感。両者に共通するのは、神秘的気分だろう。ヤスパースは、彼等の症例を妄想型の精神分裂病と呼んでいる。

 一方、ヘルダーリンやファン・ゴッホの場合は緊張病的興奮状態が発症し、精神分裂病の影響は対象よりも強く彼等の主観に作用する。従って、彼等の主観が解体する過程で、短い期間ではあるが、極めて形而上学的世界、超越的なもの、あるいは聖なるものが、言葉や絵画で具象的に表現される。その後、ゴッホは自殺、ヘルダーリンは長い末期状態を迎える。

 第二章では、第一章で分析したストリンドベルクを基礎にして、さらに詳細に、スウェーデンボルグ、ヘルダーリン、ファン・ゴッホが分析される。ここで注目すべきは、先にちょっと触れたが、ヘルダーリンやファン・ゴッホの場合は精神分裂の症状が主観的に体験され、心的機能自体が侵されていく。彼等を客観的に見れば「支離滅裂」でありながら、主観的には意味深く感じられ得る。ヤスパースはこう表現している。

 

 恐らくは形而上学的体験の最深層、超自然的なものの感覚に於ける絶対者の意識、至福と恐怖の意識等は魂が破壊されて仕舞う程深く解体する時に初めて與えられるのであろう。(本書137頁)

 

 つまり、主観性が徹底的に否定される時、聖なるものがその人の心に現象するのであろうか。

 ヤスパースは、ファン・ゴッホの作品についてこのように述べている。

 

 彼にとってこの現実的なものが直ちに神話となり、現実が強調されると共に、それ自身が超越的に体験されるに至った。(183頁)

 

 この当時のヤスパースの考えでは、ヨーロッパに於いて芸術的資質を持っている人が精神分裂病によって真実の深淵を垣間見せてくれるのは、比較的最近の出来事で、少なくとも中世期までは資料も少ないが、確認できない。寧ろ中世期にはヒステリー症状に強く影響されている場合が聖テレサのように多々見られ、逆に近世に至ってヒステリー症状は影を潜め、精神分裂病の影響する天才的な芸術家が出現する。ニーチェやキルケゴールも再考に値するのかも知れない。また、不遇のうちに精神病院でこの世を去ったフランスの十九世紀を代表する銅版画家シャルル・メリオンにも言及している。

 最後に、ヤスパースはヨーロッパの最近の芸術の傾向の一つとして、ストリンドベルク、スウェーデンボルグ、ヘルダーリン、ファン・ゴッホをめぐってそれを模倣する接神術者、様式芸術家、原始主義者等が輩出しているが、彼等には何か真実でない、不生産的な、死せるものが共通にあるのではないか、そうした疑問を提出している。そしてこのように言う。

 

 我々は真実なるものに於て深淵を、啓示を感得するが、精神分裂病者に於てもこれを模倣し得ない個性的な形態に於て認める。それは我々が彼等の存在からの呼びかけ、問題の摘出を体験する点で、又すべての真実なるものと同じく、絶対への一瞥を獲得し得る点で重要である。(本書214~215頁)