芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ふたたび、海へ

 夏が来れば、まだジャックが五歳くらいまでは、毎朝、近くの浜へボクとワイフといっしょに散歩して、彼は海で泳いでいた。冬でも暖かい朝なら、海好きジャックは泳ぎ出した、ワイフが投げたボールをめざして、それをくわえ、ふたたびワイフの手のひらへ。

 六歳になって、海で泳ぐと、理由は判然しないが、ジャックはからだのあちらこちらがカユイカユイと掻き始めたので、水泳は週に一回くらいにした。

 夏の朝、六時過ぎくらい、ベランダの洗い場で海水を落とすためにジャックのからだを水洗いしていると、ベランダのガラス戸を開けて、きまってワイフは冷たいアクエリアスを満たしたコップを汗だくになったボクの眼前に差し出し、「水分をとらなきゃダメよ」。

 ジャックが最後に泳いだのは、いまから二年余り前、ボクラといっしょに泊まったドッグホテルのワンちゃん用のプールだった。五月十七日のことだが、その年の七月十九日にワイフは亡くなった。それ以後、二度、次男夫婦が島根にピクニックに連れて行ってくれた時、川に足をつけた程度で、彼には水とは縁がなかった。

 ジャックは十三歳と四ヶ月目になり、ラブラドールレトリバーという大型犬では、もう高齢犬といっていい。毎朝夕、草むらに鼻を突っ込んで臭いをかぎながら、ノロノロ歩いている。

 きのうの朝、六月二二日五時三十分過ぎ、普段はボクの後ろをノロノロ歩いているジャックが、ボクを浜まで引っぱって、海の前でお座り。ボクの顔をじっと見あげて。ワイフはボクの左斜め後ろに立って、いつものように笑みを落としている。ボクはリードをはずした。彼は海へ向かって歩き始めた。