芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ショーロホフの「静かなドン」を読む

「これって、とんちゃん向きじゃないと思う」
 もう四十年余り昔のこと、三十歳になったばかりのえっちゃん、これはボクのワイフの通称だが、ボクのような人間、つまり「とんちゃん」はこの本なんて読まなくっていい、そう言い切って、笑っていた。
 えっちゃんはなかなかの読書家で、特に長編小説を片ッ端から読破していた。また、かなりの速読だった。
「つまらないところは斜め読みするの。とんちゃんみたいに一字一字キチッと読んでたら、日が暮れちゃうわ」
 
 「静かなドン」 ショーロホフ著 原久一郎・原卓也訳 新潮文庫 全八冊

 だが、えっちゃんを亡くしてから、彼女が読んでいてボクは読まなかった本を、この四年余り、ずいぶん読んできた。えっちゃんを追体験するために。その人が読んでいた本を読むことは、その人の心をもっと深く知ることだ、ボクはそう思ったから。唐突に聴こえるかも知れないが、例えば、ボードレールを愛しているなら、彼が愛読したポオやド・クインシーの作品を熟読するのは、トテモ大切、じゃないか?
 それに、哲学者のルカーチが、社会主義リアリズムの文学の傑作のひとつに「静かなドン」をあげていた。えっちゃんが三十歳の時といえば、ボクはルカーチが否定するカフカを中心とした前衛文学はよく眼を通したけれど、社会主義リアリズムの本はすっかり閉じたままだった。そういう意味でも、娑婆苦からもうじき退散する前に、この世の見納めにたとえ一冊でも社会主義リアリズムの傑作を読んでおこう、ほとんど終活に近い気持ちで、読んだ。
 物語は、ボリシェヴィキから徹底的に弾圧されたドン・コサック、その一員として生まれたグレゴーリイという男の悲劇を描いている。
 社会主義リアリズムといっても、共産主義思想を宣伝するプロパガンダのパンフレットではない。その程度なら、もうとっくに時代と共に作品は消滅している。この作品の大きな主題のひとつは、第一次世界大戦や赤軍と白軍の内乱という血みどろの極限状況の中で、愛とは何か、家族とは何か、友とは何か、故郷とは何か、これらを誰にでもわかるように丁寧に克明に描くことにあった。簡単に言えば、人間の普遍性を言葉を尽くして描写するところにあった、まあ、そんな、ボクの読後感だけれど。