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「吉田一穂全集」第二巻を読む

 この本は、四篇に分けて構成されている。すなわち、「試論篇」、「随想篇」、「雑纂」、「草稿」。

 定本「吉田一穂全集」第二巻 昭和57年12月20日発行 小澤書店

 もう少し詳細に紹介すれば、「試論篇」は、二冊の単行本と「試論篇拾遺」を収録している。単行本はこれである。

 「黒潮回帰」 昭和16年11月3日発行 一路書苑
 「古代緑地」 昭和33年4月17日発行 木曜書房

 さて、「随想篇」は、昭和44年3月20日、「反世界」第二号に発表され、その後、昭和47年11月20日に彌生書房から単行本として出版された「桃花村」、余談だが、この本が出版された数ヵ月後に著者は永眠している、その他の随想は「随想篇拾遺」として収録されている。「雑纂」は、「編輯録」、「序文・跋文」、「書評」、「雑篇」、「断章」と分類され、最後に「草稿」が二分類されて収録されている。
 言うまでもなく、吉田一穂は、アナーキストを自認しているが、そればかりではなく、自らをテロリストとさえ呼んでいる場合もある。しかし、深夜、闇にまぎれて、拳銃や手榴弾をポケットに忍ばせ暗殺計画の実行を企んでいる訳ではなく、階級社会の搾取や欺瞞を言葉で粉砕・破壊するのである。
 人間は、そもそも私的所有物ではない・誰のものでもない「自然」を発祥の地としている。しかし、資本主義社会はそんな人間を賃金奴隷、単なる機械人にしてしまった。人間本来の自然が破壊されてしまった。この現代社会に対して、人間内部の元始自然のカオスから噴き上げる純粋なマグマを言語によって表現する、この絶対自由な表現者を吉田一穂は詩人と定義している。
 この集に収められた「黒潮回帰」、「古代緑地」、「桃花村」、あるいはその他の文章にしても、つまるところ、いわゆる散文ではなく、吉田一穂の詩の自註であり、言語の意味と論理を軸に展開した詩作品だ、そういっても決して過言ではあるまい。
 吉田一穂で、多少わかりにくいところは、元始の自然が、いつのまにか、黒潮回帰して、原日本人の世界に転入するところだ。あるいは、彼の出生した北海道は、本土の資本主義に汚染される前に、北海道は独立国にならないとダメだ! そう宣言している。
 また、彼は、日本の歳時記文学を否定して新しい詩の確立を志していたが、晩年、歳時記文学の学習を後進の人たちにすすめている。つまり、かつて彼は資本主義が日本をコンクリート化して歳時記的世界を破壊したため、過去の日本的文学を超えた新しい方法論に立った詩の確立のために悪戦苦闘していたのだが。
 だが、考えてみれば、おそらく、第二次世界大戦の敗北によって、日本人は物質的にも精神的にも爆殺され荒廃して焼け野原になったのを直視し、彼は、文学を二度とコンクリート化させないために、日本特有に深化して来た歳時記的世界からもう一度再生への道をたどろうとしたのだろう。
 この書を読了して、本を閉じた時、不図、こんな一句が浮かびあがってきた。吉田一穂はこの書の中で芭蕉を論じて、芭蕉はこの一句に尽きると明言した、その一句が。

  旅に病んで夢は枯野をかけめぐる