芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

マヤコフスキーの「ズボンをはいた雲」

 もう五十年くらい昔の話、二十歳前後だったか、私はマヤコフスキー選集全三巻を持っていて、三歳年上の友人に貸してしまった。まあ、「貸す」というのは「やる」という言葉と同義だと承知はしているが、あれから五十年、マヤコフスキーから何の音沙汰もない。それどころか、三歳年上の友人さえどこにいるのか皆目わからなくて、音信不通状態だった。

 最近、トロツキーの「文学と革命Ⅰ」(内村剛介訳、現代思潮社)を読んでいて、もう五十年来帰ってこないマヤコフスキーと出会った。この本の「第四章 フトゥリズム」の主人公として登場するのだが、この「フトゥリズム」とは、おそらくイタリアやロシアで流行した「未来派」に違いない。とにかく、トロツキーはフトゥリズムの特徴として、「ブルジョア芸術の屈折として発生した」(「文学と革命」115頁)と述べている。この「屈折」という言葉は極めて微妙な展開を含んでいて、確かに二十世紀早々、イタリアの未来派の作品は過去の芸術を破壊して現代の機械工業や都市に出現する自動車・飛行機・スポーツ・電気・鉄道などの速度・運動・雑音(ノイズ)などで表面構成されているが、内部は空洞だった。従って、未来派を主導するマリネッティは、戦争は世の中を衛生的にする唯一の方法だと讃美して、内部空洞を好戦的なファシズムで満タンにした。この間のいきさつは「文学と革命」に引用されている「同志グラムシのイタリアン・フトゥリズムに関する手紙」(「文学と革命」146~148頁)を参照されたい。

 一方、ロシアの場合、イタリアのようにファシズムが台頭しているのではなく、周知の通り台頭しているのは革命運動であって、フトゥリストの内部を革命が充満した。トロツキーは一九二〇年前後の同時代の作家の状況と作品を丁寧に分析しているので、私のような半可通がどうこう言うよりぜひ「文学と革命」に直接当たって欲しい。

 

 「ズボンをはいた雲」 マヤコフスキー著 小笠原豊樹訳 土曜社 2014年11月17日初版第2刷

 

 この作品は一九一五年、まだ二十歳そこそこのマヤコフスキーが発表したものだ。何故数あるマヤコフスキーの著作の中でこの作品を選んで私は読んだのかといえば、トロツキーがこのように言及していたからだった。

 

 「結局、『ズボンをはいた雲』という実らなかった愛の叙事詩はマヤコフスキーの作品のうちで芸術的に最も注目すべく、創造という点から最も大胆かつ将来を期待させる作品である。これほどの張りつめた力と独自の形式をもった作品を二二、三歳の青年が書いたとは信じられないほどだ! これに比べると、彼の「戦争と平和」、「ミステリヤ・ブッフ」、「一五0,000,000」は目に見えて弱い。それというのも、マヤコフスキーがここではすでに彼のインジヴィジュアルな軌道を飛び出て、革命の軌道に乗ろうとむきになっているからだ。<後略>」(「文学と革命」142~143頁)

 

 つまり、「ズボンをはいた雲」ではマヤコフスキーは血肉化したインジヴィジュアルな言葉で表現しているが、それ以後、革命に共鳴はしているがまだ血肉化していない言葉で表現しようとする余り、人の心を打たない。トロツキーは次のようにわかりやすく語っている。

 

 「フトゥリズムの詩人たちの所有している共産主義的世界観、共産主義的感受性は、それを言葉によって有機的に表現し得るほどに有機的な結びつきを持ったものではない。いうなれば、それは血肉化されていないのである。」(「文学と革命」132頁)

 

 ところで、トロツキーから離れて、「ズボンをはいた雲」の訳者の解説によれば、この詩の主題は四方面あって、第一章はきみらの愛、第二章はきみらの芸術、第三章はきみらの機構、第四章はきみらの宗教、この四方面を倒せ! 大声で啖呵を切った詩だ、そう書かれている。

 ただ、私にはこの「ズボンをはいた雲」は理解できなかった。理解したような顔をしてテイのいい読書感想文を書くのはいとたやすい仕儀ではあるが、特定の詩がわかるかわからないか、そんな類のことで嘘をついても致し方あるまい。わからなくっていいじゃん。わからないものはわからないと明晰かつ判明に理解するのが近代人じゃん。そうじゃんか。特に上方から下方に向かって人間も社会も宗教も束にしてぶっ飛ばしなぎ倒す言葉を、年老いた私の体はいよいよ受け付けなくなってしまった。五度読み返してみたが、結局、頭が憔悴してボンヤリしたまま私は本を閉じていた。